039 二度目のない話

「二度とやりたくないくらい厭なことって、なんかある?」


 お弁当を食べながら結花はいきなりそう切り出した。

 今日のお昼の雑談のテーマはこれか、と涼香は思った。まあいつものような他愛もない雑談で、テーマというほどのこともないものなんだけれど。


「私ね~……お化け屋敷は本当無理」

「ふ~ん……なんで急に?」

「いや昨日ね、あの駅のモールあるじゃん。あそこの3階のフロアの催事場? みたいなところにお化け屋敷が出来てたの」

「あー、あのちょっと前までリアル脱出ゲームとかやってたところね」

「そうそう、で、昨日日曜だから買い物行ってたのね。そこを通りがかったら『なんかお化け屋敷とか出来てんじゃーん』って思って入ってみたのね」

「はあ」

「そしたらもうさ……なんかもう、怖がらせるじゃなくてひたすらビビらせてくるみたいな? 急に出てきてデカい音をいきなり出したり、あと急に暗くなったり明るくなったりで、なんていうの? 心霊的な怖さじゃなくてただただビックリさせるだけのお化け屋敷だったのね。私ああいうの本当無理。もっと気が付いたらぞわっとする感じのお化け屋敷を期待してたのに。もうお化け屋敷は入らん」


 そういうのあるよね、と涼香の隣の理沙が言う。

 理沙は涼香や結花に比べるとあまり話さないタイプだ。しかし無口や物静かというわけでなく、他人の話を聞くのが好きだというのが正鵠だろう。涼香や結花が喋りたがりなのもあって、その二人に比べると口数が少ないというだけである。

 わかる~? と言いながら結花は理沙の手を取る。一瞬理沙がびくっとする。急に触れられると理沙はいつもこうなんだよな、と涼香は内心で思った。癖なのかどうかわからないが、たとえ相手が目の前にいても理沙は急に触られると体が一瞬強張るような動きをする。

 結花は理沙に尋ねる。


「理沙もそういうの、なんかある?」

「そうだね~……私は死ぬは二度とごめんかな」

「いや、誰だって死ぬのは厭でしょ。ていうか、人間は一度しか死なないから」

「そんなことないよ。私、一回死んだことあるもん」


 空気が止まる。

 凍ったわけでもなく、緊張が走ったわけでもなく、ただその場の空気が止まったようになった。人間は意識の外にあった概念を急に提示されると、思考の処理能力が著しく落ちてしまうというのを涼香たちは身をもって体験した。


「……えーと、それはなんか、比喩的な意味とか臨死体験とかそういう……?」

「いやもっと本当のヤツだよ。火葬まで行ったし」

「え、それは……ないでしょー、その話は! 火葬まで行ったら死にすぎだって」


 漸く理沙が冗談を言っていると判断した涼香はぎこちなく笑った。あまりに本気のトーンで理沙が喋るものだから、それまで冗談の類かどうか判断できなかった。しかしこれだけ突飛な内容ならば流石に冗談だと判断できた。


「うん、だからもう厭なんだって、火葬。死んでてもあれはつらいし」

「いや、死んだらなにもわからないでしょ」

「うーん、肉体的にはね? 痛みとか熱いそういう苦痛はないんだけど……ほら、人間の焼死体って筋肉が収縮してガッツポーズみたいな感じになるでしょ? 火葬されてるときも最初はあんな感じなの。自分が動かしているわけでもないのに全身が強張って体が勝手に縮こまっていくのがさぁ、本当に気持ち悪くて。あれは思い出すだけで気持ち悪い」


 気持ち悪い毛虫でも見たような言い草の理沙。

 理沙が冗談で言っているわけではないと、涼香たちは理解していた。しかし、それを認めてしまってはいけないと、無意識で涼香たちはその認識を拒絶していた。


「で、火葬が終わるともう骨と灰しか残らないじゃん。そうするとさ、なんか自我みたいなのがふわふわしてくるわけ。なんて云えばいいんだろ。お母さんがさ、泣きながら私の骨を箸で骨壺に入れてくのね。私はそのとき自我の入れ物になってる肉体がないからすんごい揺れてるの、境界が。だからお母さんが悲しんでいる感覚がそのまんま私の感覚として入ってくるの。私が悲しいんじゃなくて、お母さんが悲しんでいるっていうお母さん自身の感覚が私に入ってくるの。いやあれは本当に気持ち悪い。いやお母さんのことは気持ち悪くないよ!? 他人の感情が自分の心というソフトウェアで走っているっていう感じがめっちゃ厭なの。なんだかんだで自分の心って自分で管理してるじゃん。いや急にムカついたり不安になったりすることもあるけどさ、あれは無意識のうちでコントロールしてるし、コントロールできてなくても『これから私はこのような気持ちになる』っていうのを予見できてるんだよね。普段は意識してないけど。でも他人の気持ちが入ってくるときは本当にわからない。悲しいって感情もひとそれぞれなんだよ、あれ。全然パターンが私とお母さんで違うの。その違う感じがさぁ、なんていうの、肌に合わないっていうか水が合わないっていうか……本を読んでたらいきなり全部象形文字になったっていうか……違うなあ、教科書の数字がいきなり32進数で表されるようになったとか……そんな感じ?」


 理沙は昨日見た映画の内容を語るようにそう話した。

 生々しいというか――いや、生々しさが逆にない。本当に昨日あった出来事のような感覚で理沙は喋っている。生々しくない、普通の雑談の延長のような語り口が、逆にとても恐ろしい。


「でそうやってふわふわしていて、いろんな人の気持ちが入ってくるわけ。悲しいもそうだし、火葬なんか怠いとか、お坊さんとかは午後から別の葬儀場行かないといけないとか……なんかそういう気持ちがすっごく気持ち悪くて、そのうち気を失ったのね。そして次に目を覚ましたら病院のベッドの上だったの。新生児用の。だから私、私が生まれてくる前に死んじゃったお姉ちゃんの生まれ変わりなんだ」


 笑顔でそういう理沙。

 結花と涼香は完全に固まっている。


「――結花が好きなホラーって、今の私の話みたいなのだよね」


 そこでようやく、その言葉で、結花と涼香は人心地がついた気分になれた。


「うわ~……もう、バカ! 理沙マジで今の怖かったって!」

「ちょっと喋り方マジすぎだって! うわ~変な汗かいたよ本当に」


 結花も涼香も、まだ笑い方がぎこちない。


「今の結構私の十八番の怖い話なんだよね~。ビビった?」

「超ビビった!」


 そこでちょうど昼休みの終わりのチャイムが鳴った。


 午後の授業を受けながら涼香はつらつらと考えていた。

 理沙が急に触れるとびくっとするのは、その瞬間に相手の思考が流れ込んでくるからなのでは――と。

 本当にそうなの――と訊いてみようか、と涼香は思い、やめた。

 本当にそうだったとしたら――私はどんな顔をすればいいのだろう。


 結局、その後理沙にそのことを訊くことはなく。

 理沙の怖い話を聞くことも、二度となかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る