036 星辰の正しき刻

 ソシャゲのガチャには宗教が存在する。

 そしてその全ての実体は淫祠邪教の類いである。


「嚢莫三曼多縛日羅多仙多摩訶盧舎多耶蘇婆多羅耶吽多羅多含満」


 真言である。これを唱えれば目当てのキャラがソシャゲのガチャから排出されると信じて止まない男がいた。彼は特段、真言宗にあついというわけではなく、祝詞のりとの選定に関してはほぼ気まぐれに近い。しかし、一念天に通ずるが如く、兎に角祝詞の類いであれば回す際に唱えた。それが実際に結果に反映されているかは彼にとって些事だった。そして今日もスマホをテーブルに置き、真言を唱えて画面をタップし続ける。


 同時刻。全裸の男と女が居た。彼らはガチャの画面を左乳首でタップすれば目当てのキャラが排出されると信じている者たちだった。多くは風俗に遊びに行き、遊びの合間に嬢の左乳首を利用するかたちでの礼拝を行っていたが、彼らの場合は男女の交際を利用して左乳首礼拝を行う、特段の淫祠邪教の崇拝者であった。彼らにとっては結果などどうでもよく、左乳首で回せればそれでよいとする境地に達していた。


 同時刻。一人の絵師が居た。彼が信仰する淫祠邪教は、目当てのキャラの絵を描けば排出されるという教え。公式サイトのインフォメーションから目当てのキャラの公式イラストを表示させ、液タブを用いて絵を仕上げていく。完成した絵はSNSへアップロードし、加えてAmazonの欲しいものリストを合わせて公開することでガチャを回す資金も確保する戦略だった。実際的な収入を得られるこの手法は信仰としては兎も角手段としては一定の利があった。


 同時刻。一人の男が居た。彼は物欲を抑える為に座禅を組んで無我の境地へと達しようと試みていた。物欲のないときに画面をタップすれば目当てのキャラが引けるという信仰である。なんの気なしにガチャを回してみたときに限って結果が良かった事例から生まれた宗教で、無論、実体は只の気の所為である。無我の境地を単なる忘我と捉えている異常は本来的な無我の境地ではなく、そしてガチャに挑むという行為そのものが物欲の顕れであり、論理的瑕疵を抱えている宗教であった。


 彼らは極めて珍しいことに、同じタイミングでスマホの画面を押した。

 奇しくも彼らの位置関係は、それぞれが天体であると仮定すると星辰の正しき位置に酷似していた。タップされ、ガチャ画面は演出を始める。そんなものに今更拘泥する理由のない彼らは演出を飛ばそうとタップし続ける。


 そして――、

 星辰の中央に、邪神が降臨した――。






「っていう宗教を私のフォロワーに流行らそうと思うんだけど、どうかな?」

「お買い上げありがとうございましたー! ……いや私に売り子押しつけてコミケ来てまでガチャやってないでちゃんと愛想振りまけよ、先生」



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