025 泡沫夢幻の文芸部長

 赤崩あかくずれ博巳ひろみくんが死んでいる。

 私の可愛い可愛い後輩が死んでいる。

 私が部室の鍵を閉めるから先に出て待っていてくれと頼んだのがいけなかったのだろうか。部室の暖房と照明を切り、カーテンを引き、鍵を閉めて出てきて生徒用の昇降口に行ったところで、事切れている赤崩くんを発見した。

 赤崩くんは真っ黒な学ランを来ているが、それでも尋常な出血量でないことが分かる。血をたっぷりと吸って重たくなった学ランからさらに血が漏れ出している。


「やれやれ、死体になっても可愛いのかよ、君は」


 私はしゃがんで赤崩くんの頬を撫でる。

 殺されたばかりなのでまだ暖かいが――秋の夜風に晒されて肉体からは急速に熱が奪われつつある。私は冷え性なので指の先まできんきんに冷えているが、このままだと私の指よりも赤崩くんのほっぺたが冷たくなってしまうだろう。


「GrrrrrrrrrrrrrrrrrAhrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!」


 およそこの世のものとは思えない咆吼が聞こえる。

 声の先には――ゆらゆらと実体のはっきりしない影の様なものが居た。

 夜の帳とはまた異なる、青黒い煙のようなものがあたり一面に広がっている。影のようなものは、四足歩行の獣――まるで狼のような形へと収束すると、私と赤崩くんの方へと飛びかかってきた。

 影のもつ牙が私と赤崩くんに殺到しようとする直前、


「させるか――ッ!」


 小太刀が狼のような形の影へと投擲された。奇妙な駆動でその小太刀を躱した影は、小太刀を投げてきた方向へと向き直り、獣のように威嚇した。


「――今少し遅かったか」


 女の声がする。

 女は男用の喪服のようなブラックスーツに身を包み、日本刀を携えている。髪は肩の辺りで切り揃えられていてやや幼く見えるが、声は女性にしては低く、年齢不詳の感がある。


「ああ、遅いよ。赤崩くんが死んじゃったじゃないか。君たちはいつも遅いんだ。時空間を超えて管理している組織の行動が遅刻気味とは悪い冗談だね。それともなにか、時空間の中はいつも満員電車のごとく混雑しているのかね?」

「貴女は――真室川まむろがわ黒魅くろみ殿であらせられるか」

「だからなんだというんだ……ああ、まったく、折角私の数少ない普通の人間関係が、こうして失われてしまうとはね……」


 お下がりください、とスーツ姿の女は日本刀を構えて影と対峙する。


「ティンダロスの猟犬ごときになにをそう張り切るのかねきみは。ちゃっちゃとなんとかしてくれたまえ。こっちは後輩を殺されてちょーブルーなんだ」

「御助力は――」

「面白いこと言うね。君、それでも現地助勢員ヴァルキリーかい?」

「駄目元で訊いただけですよ――ッと!」


 ティンダロスの猟犬の牙を、刃で凌ぐ女。

 牙と日本刀のぶつかり合う、甲高い音が辺りに響く。


 私は地面に座り、赤崩くんの頭を膝に乗せる。やれやれ、いつかは私の彼ピッピとして膝に乗せて甘やかしてやるのが夢だったんだけどなぁ、こんなことで死なれるとはたまったもんじゃないぜ。なんのために人付き合いを絶って君と一緒の時間を健気に作り出してきたんだと思うんだ、悲しくて泣いちゃうよ。

 ああ、赤崩くん。

 普通で普通な男子高校生に懸想するのなんていつぶりだろうか。君は私の言うことなんかどうでもいいと思って適当に流す割に、こうして文芸部のあってないような部活動には律儀に参加してくれるところが好きだったんだぜ。今日なんて土曜日で、運動部や吹奏楽のような休日まで部活動やらなくていい部活だというのにさあ――。


 って。

 そうか。

 今日は――土曜日で、もうこの時間は誰も居ないじゃないか。

 部活動の生徒は軒並み下校しているし、管理会社の警備員の見回りの時間までは大分ある。教員用の駐車場を見る限り、校内に教員も居なそうだ。

 私はティンダロスの猟犬と戦っている女に声をかける。


「おうい、そこの現地助勢員ヴァルキリー、名前はなんて言うんだ?」

「は――え、なにを、急に」

「いいから。名前ぐらいは知っておかないと都合が悪いんだ」

「は、はあ。円応寺えんのうじ頼羅ラィラと申します」


 そうかそうか、と言いながら赤崩くんの頭をゆっくり地面に置いて、円応寺の方へと歩いていく。


「この辺りは人払いされてるんろうな」

「勿論。真室川殿のような方以外は、自動的に退去されているかと――」

「そうか。なら問題ないな」

「? なにが――」


 と。

 私に問いかけようとした円応寺の心臓を、

 がふぁ、と気道から口へ血液の逆流する音を立てながら、円応寺は吐血した。


「まむろがわ、どの、な、なに、を――」

「いいから黙って死んでろよ。なぁに、なんだからさ」


 円応寺の持っていた日本刀でどうにか彼女の首を切り落とす。やだなあ、私はなんかあんまり得意じゃないんだよな。げ、刃が毀れた。

 まあいいか。


 ティンダロスの猟犬の方を向くと、事態が掴めないのか此方の様子を伺うように構えている。


「やれやれ――これでどうにか完全に人払いが出来たぜ。円応寺とやらは私の名前を知っていたみたいだが、なんのために私が人付き合いを極端に限定しているのかまでは聞かされてないようだな。ま、知ってれば不用意に近づかないだろうけどな」


 円応寺の日本刀を適当に地面へうっちゃる。

 彼女の心臓を貫いた右手がぬるぬるして気持ち悪い。これが赤崩くんの血ならそんなことはなんだがなぁ、どこの馬の骨かもわからんの女の血など醜悪極まる。


「さて――ティンダロスの雑魚如きが私と私の周りの人間に牙を剥いた報いを教えてやるよ」


 瞬間、ティンダロスの猟犬は漆黒の球体に包まれ――そのまま球体が圧縮されるようにして、圧死した。

 ふん、この程度のヤツを仕留められないとは円応寺とやらも大したことはないな。


 私は赤崩くんの方へと歩いて行く。


「私は徹頭徹尾――自分の為にしか能力を使わないんだ。使っちゃあいけないんだ。幸運だったな、円応寺とやら。べ、別にお前のために能力を使ってあげるんじゃないんだからね。いや本当に。赤崩くんに死なれると私がちょー悲しいからさ――だから私は能力を使う。私自身のために――ね」


 赤崩くんの頬を撫でる。すっかり赤崩くんは冷たくなってしまっていた。


「やれやれ、失恋したときにしか使わないんだが、まさかこうなるとはね。それじゃあまた後で会おうぜ――夢の外でな、赤崩くん」


 そして、

 すべては、

 泡沫の夢幻へと再帰する。





 部室。

 私は一人。

 こうして今日も彼を待つ。


 今日は来るかな。来ないかな。と乙女のように恋い焦がれるのはあんまり好きじゃあないんだが、どうしても気がそぞろになってしまう。

 円応寺とやらもそろそろ目が覚める頃合いだろうが――私たちの邪魔をしないように上に言っておいたから、二度と彼女と会うことはないだろう。


「おはようございます、真室川先輩」


 いつもどおり気の抜けたような声で赤崩くんは挨拶してくる。


「やあおはよう赤崩くん。君もこんなやる気の無い部活に毎日参加してくれるとは、やる気があるんだかないんだかわからなくって非常に私好みだよ。もしかして私のことが大好きなのかな?」

「ははは」

「ははは……いや笑ってないでもう少し取り繕うなり顔を赤くして否定するなりしてくれ、そういうのがいちばん傷つく」

「先輩はこういう反応の方が傷つくかなーと思って、そうしました」

「気軽に人を傷物にしようとする心意気、流石だね」


 やれやれ。

 赤崩くんはいつだって夢の中でも外でもつれないんだからな。


 私は本をぱたんと閉じて、大好きな後輩に向かっておなじみの言葉をかける。


「それじゃあ今日も私の夢の話を訊いてくれるかい――赤崩くん」






文字数:3074(本文のみ)

時間:1h

2021/1/3 お題

【現代舞台の怪奇小説】をテーマにした小説を1時間で完成させる

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