014 百一年の夏の果て

 あなたはきっと待っている。

 里山に囲まれたあの村で。


 私はあなたを置いていく。

 あなたが老いていく姿も知らずに。


 日の本でない土地で死んでも。

 魂はあなたの元へと還るのだと、そう願いながら。




 1945年8月 001


 あなたが死んだと聞きました。

 あなたがいなくなってから三ヶ月後。

 ラジオで玉音を聞いた日のことでした。

 公民館に置かれたラジオで読み上げられるその言葉は、なにを言っているのかわかりませんでした。周りで聞いている村の人たちも、しっかりと意味が分かっていない様子でした。ただ、一番前で聞いている男の人たちは、途中で目を押さえていて、その人たちは泣いているのだと分かりました。


 漸く負けたか、とラジオが終わってから誰かが言いました。

 その一言で、その場にどこか安心したような空気が満ちました。

 戦争は終わったのだと、私はすぐにわかりました。

 それじゃあお兄様は帰ってくるのですね、と私は嬉しくなりました。


 その日の夜に、あなたの戦死を知りました。


 お兄様。

 本当のお兄様ではありませんが、あなたは私がそう呼ぶことを許してくださいました。病気がちなあなたはずっとこの村で苦しそうでした。周りのお友達が戦争へ連れて行かれてしまっているというのに、体が弱いという理由で戦争へ行かなくてもいいとされていて、それがなによりあなたを苦しめていたのだと今ではわかります。

 でも私はそれがなにより嬉しかった。

 あなたがずっと私の前に居てくれて、私はあなたの世話をして生きる。

 それだけでよかったのです。

 それなのにあなたは征ってしまいました。

 赤というには薄くなりすぎた召集令状あかがみを持って、あなたは遠いところへ行ってしまった。そして帰ってきたのはただの紙切れ一枚だけ。


 私はもう、終わりにしたい。

 あなたの居ない世界には耐えられないのです。


 川の水は冷たく、苦しく、けれど悲しみごと私の体を飲み込んでいきました。




 1944年 9月 002


 彼岸というのものは、思ったよりも気心の知れた場所なのかと思いました。

 何故ならそこには私の村があって、そしてあなたも居たのです。

 死んでも還る場所は同じなのであれば、どれだけ幸いなことなのかと喜びました。

 けれど其処が彼岸ではないことに気付くのに、そう時間はかかりませんでした。

 だって、戦争は終わっていなかったのですから。


 死ぬ前の最後の長い夢を見ているのだろうかと思いました。

 ちょうど私が自裁する一年前と同じ日々が繰り返されていくのですから。

 けれども夢と言うには暖かく、生々しく、そして厳しいものでした。

 私はあなたが隣に居る喜びと、あなたが苦しむという苦しみをずっと感じていました。それは私が自裁する前よりも強く感じられ、私の心を苛みました。


 1945年 5月 002


 ずっと同じ日々が続けばいいと思っていました。

 けれども、あなたが召集されていくことまで同じでなくてよいのです。


 ずっと私の隣に居てください、とあの日言えなかったことを言いました。

 けれどもあなたは困った顔で笑うだけでした。

 翌日、あの日と同じように、大人達に祝われたあなたは鉄道に乗って征ってしまいました。最後まであなたは私に困ったような笑顔を向けていました。


 1945年 8月 002


 葉書が届きました。

 あの日とまったく同じように、役場の人が持ってきました。

 私はそれを読む前に、なんと書いてあるのか知っていました。

 私は泣き崩れ、そして、声を上げて泣きました。


 私は家族が寝静まってから、外へ出ました。

 虫の鳴く声が満ちていて、空には明るい月が昇っています。

 暫く使われていない薪割り用の鉈をとり、自分の首に押し当てました。

 最後に見たのは、自分の血で汚れた地面でした。




 1944年 9月 003


 嗚呼――。

 そうなのですか。


 ずっと、繰り返しても、よいのですか。




 1945年 5月 008


 あなたは三ヶ月後に死ぬのでしょう。

 七度繰り返しました。

 七回あなたの戦死を聞きました。

 決まって玉音の放送される夏の日に、私はあなたの死を知ります。

 あなたの死を避けられないものかと何度も試みましたが、どうしても変えることはできませんでした。何度年を重ねようと――何度時を繰り返そうと、私の体は成長することはなく、ただの小娘でしかありません。

 だから私はずっと繰り返すことにしたのです。

 けれどあなたの居ない世界には意味が無いのです。


 私はあなたを見送りました。

 それから、最初と同じ川へと向かいます。

 足を水に着けるとまだ冷たくて――それでも躊躇はいたしません。

 私が死ねば、またあなたに会えるのですから。




 1945年 2月 013


 ついに私はあなたと同い歳になってしました。

 行き遅れと呼ばれる歳ですが、私はあなたと同い歳になれたことが嬉しいのです。

 でもあなたはそんなことは知りません。

 私はずっとあなたの妹のような存在でしかありません。


 私はずっとあなたの隣に居るのに。

 あなたと同じ歳になれたというのに。

 それでも何故だか、あなたが遠いような気がします。


 だから抱いて欲しかったのです。

 けれどもあなたは拒みました。

 よく考えればそれは当たり前のことで、あなたにとって私はずっと子供なのですから。けれども、私の生きる時間とあなたの生きる時間が段々ずれていくことに耐えれないのです。そして抱かれたとしても、私は月の障りがまだ来ていません。子を成すことも出来ないのです。


 私は初めて、あなたが征ってしまう前に、川へと身を投げました。




 1945年 5月 035


 ついに私はあなたの倍の時間を生きてしまいました。

 幼子のふりをするのも、年々難しくなってゆきます。

 それでもあなたの隣に居るために、なにも知らない子供のふりをします。

 女として愛されぬまま、時は何度も繰り返します。




 1945年 5月 050


 夢を見た、とあなたは言います。

 何度も私と何度も同じ時を繰り返す夢を。

 そういえばあなたはたまに、未来さきのことを知っているかのように振る舞うときが何度もありました。けれどもそれは明瞭はっきりとした記憶ではなく、既視感デジャヴにすぎないものではありました。




 1945年 5月 090


 私は征かなければならない、とあなたは強く言います。

 時を重ねるごとに、重ねた記憶は明瞭はっきりとしていきます。

 やがてあなたは、私とあなたが同じ時間を何度も繰り返していることにすぐに気付くようになりました。

 こんなことはやめてくれ、とあなたは何度も私に頼むのです。

 私は悲しくなります。

 どうして私の気持ちをわかってくれないのか。

 何度も繰り返したのに、あなたとの時間は離れていくだけでも辛いのに。

 それでもあなたと過ごす時間は、未来よりも大切なのことなのに。




 1945年 5月 100


 疲れました。

 私はもう――老いたのです。

 あなたは言います。私との未来を生きたいのだと。

 ずっと繰り返すわけにはいかないのだと。


 疲れたのです。

 あなたが苦しむ姿を見続けるのは。

 私の我儘で時を繰り返しても、記憶と共にあなたの苦しみは積み重なるだけでした。あなたはおくびに出さずとも、私には痛いほどにわかります。

 百年もあなたと一緒に居たのですから。


 それでも私はもう、あと一回だけ繰り返すことを願いました。

 終わらせるために、もう一度始めました。




 1945年 5月 101


 最後の一年を、私とあなたはこれ以上なく親密に過ごしました。

 最後であることを確かめるために。

 最後であることを受け入れるために。

 子は出来なくともかまいません。

 私はあなたと愛し合いたかったのです。

 目が覚めると布団は血に汚れていて、そしてあなたが出征する日の朝でした。

 兄と妹では、もうありません。


 駅であなたを見送って、私はそのまま家へと帰ります。

 もう川に身を投げることはいたしません。

 あなたは最後に、晴れ晴れとした笑顔を私にくださいました。

 私はあなたの居ない未来を受け入れて――。

 きっと帰って来るという言葉を信じて――。

 そして、最後に泣きました。




 1946年


 あなたはきっと待っている。

 里山に囲まれたあの村で。

 鉄道を降りて、生家の方へと歩いて行く。

 ここは田舎で、何も焼けていない。

 ただ、矢張り男手は少ないままだ。


 畦道と変わらぬ道を通り、私の村へと到着する。

 生家に行くよりもまず、あなたの元へと足を向ける。


 遠くの地で鍬を振るあなたを見つける。

 とても小さく愛しいあなたを見つける。

 漁夫いさなとりの如く手を荒らし、土と汗にまみれた顔で。

 日に焼けた顔には日々の暮らしの疲労が見える。


 振り向いたあなたの顔は記憶よりも大人になった。

 最後に別れたあの日から、少しだけ成長した顔で。

 儚く美しいその顔は、すぐに幼女のようにくしゃくしゃになる。


 農具を捨てて、私の方へと走り出す。

 私も荷物をかなぐり捨てて走り出す。

 幼子のような拙い足取りは、老いた母を見るような気持ちにさせる。

 視界が滲む。鼻の頭が熱くなる。

 声を出そうとして、口が渇いていることに気付く。


 あなたの体を抱きしめる。

 老婆のように軽いその体を。

 別れた日から少し成長した体を。


 あなたと私は泣いている。


 そして、私たちは漸く還ってきた。


 百一年の夏の果てから。






文字数:3621(本文のみ)

時間:1h+16m

2020/12/23 お題

【ロリババア】をテーマにした小説を1時間で完成させる

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