水着とスイーツとお祭りと若干の記憶喪失

 燦々と照り付ける太陽はビーチを灼熱の地獄に変えていた。

 だというのに今日、この砂浜は人でごった返している。男女問わず、水着姿で屋台や出店の料理を思い思いに満喫していた。


「なんで僕がこんなところに……」


 はあ、とため息をついて人混みへと向かう者が一人。その隣を歩く男が面倒臭そうに言う。


「言い出しっぺはユウキ、お前だろうが。お祭りになんとしてでも行きたいって」

「そんなこと言ってません」

「言った。俺は覚えてる」

「僕は知らない」

「……ったく。まだ戻らねぇのか、記憶」


 そう。サーフパンツを着た水着姿、ユウキには今朝から一部の記憶が欠けていた。いわゆる、記憶喪失である。

 さすがに過去の記憶まるごと、という映画やドラマのような豪快な喪失こそなかったものの、とはいえそのせいで色々と不都合が生じていることは事実だった。特に男——カイにとっては不愉快なことこの上なかった。


「だいたい。この僕がどうしてこんなところに来たいなんて言ったのさ」

「なんでって……ほら、ここからでも匂いで分かるだろ」


 カイに促されてユウキは目を閉じ、鼻に意識を集中する。漂ってくるのはバニラビーンズや蜂蜜、焼き菓子などの甘い甘い芳香。


「——スイーツ!」

「そう。砂浜どんちゃん騒ぎ海祭りの今年のテーマはスイーツだ」

「そんなダサい名前だったんだこのお祭り」

「全国各地から有名無名を問わず様々なスイーツ店が店を出している。中には有名企業や世界的名店が正体を隠して出典しているところもあるとか」

「いいね! こんなところで油売ってる場合じゃない! 早く行こ!」

「お、おま——突然やる気を出すなって!」


 ぐいぐいと腕を引っぱられて、カイは仕方なくついていく。ユウキの細腕の一体どこにあれだけの力があるのか、いつ見ても不思議だ。

 それから二人は手当たり次第にスイーツを食べて食べて食べまくった。

 アイスクリーム、続いてパフェ、モンブラン、かきごおり、チョコレートフォンデュ、クレープ、チョコバナナ、今川焼きに大判焼きにベビーカステラそしてベイクドモチョモチョ……。

「…………待て。なんか俺達、最後らへんは似たようなのばっかり食ってないか?」

「そう? まあ別にいいじゃん。名前は違うんだし」

「いいのか……?」

「あったかいのばっかり食べてきたし、今度は冷たいの食べよう。ほら、あっちにトルコアイスの屋台がある!」

「でもありゃしばらく並ぶぞ。店主のパフォーマンスがやたら長いみたいだ」


中東風の出で立ちをした店主が客の前で棒の先端に取り付けた白いアイスを回して伸ばして……というのを幾度となく繰り返している。規則的なようでいて先の読みにくい独特な動きは、芸として見る分には中々飽きないものだったが、いかんせん長い。しかも店主の矜持ゆえか、彼は自分の店にできた長い行列を見てもパフォーマンスを省略あるいは短縮しようとする気配は一切なかった。


「ていうかお前、トイレはいかなくて大丈夫か? こんな祭りの日なんだし、行ける時に行っておかないと大変なことになるぞ」

「え? そう?」


 カイに促され、ユウキはトイレを探して少し歩く。見つけたトイレは確かに、少し並んでいるようではあったが、女子トイレのそれと比べればささやかなものだった。この程度であれば、今感じている程度の尿意で並ぶ必要はないだろう。ユウキの目にはそのように映った。


「……ん。これくらいなら平気だと思う」

「そうか? ならいいんだが……」

「で、次は何食べる?」

「まだ食べるんだな……。そんなにお腹も膨らんでいるのに」

「当然!」

 ポン、とユウキが自分の腹を叩く。

「はしたないからやめなさい」

「あ、あれとか良さそうじゃない?」


 とユウキが指差した先、そこは不自然なほど人気ひとけがなかった。

 パティシエが出してるような店も、腕に刺青を入れてるお兄さんが営んでるような店も、どこもかしこも繁盛しているというのになぜか、その店だけは閑古鳥の鳴く声が聞こえてくるかのようだった。

 しかも奇妙なのはその店名で、漢字が金文体で書かれており、読みづらい。カイが辛うじて読み取れたのは、「記憶の味」という言葉のみ。

 店の外観は入口以外のほぼ全てが黒いカーテンで覆われており、スイーツ店というよりかは占い師の占い小屋といった風情だった。

 どう考えても普通じゃない。

 なのに、ユウキはその店へと歩いていってしまう。

「おい!」

 制止する声も聞かず、ふらふらと。まるで光に引き寄せられる虫のように。

 そうしてユウキは一足先に、黒いカーテンの向こうへと消えてしまった。

 ——躊躇する。

 明らかに普通じゃない。ユウキの様子も、この店も。

 この先に入ったら、何か取り返しのつかないことが起きてしまうのでは——そんな予感すらする。

 だが、だとしても。

 カイにユウキを追い掛けないという選択肢などない。


 なにしろユウキは、カイにとって世界で一番大切な人なのだから。


 カイは黒いカーテン——天から降り注ぐ、あるいは砂浜から反射する光を受けて熱せられたであろうそれに手をかける——その時。

 店の中から何かが勢いよく飛び出してきた。

 カイは背中をついて砂浜の上に倒れる。

 砂が熱い。火傷してしまいそうだ。

 だが、そんなことは問題ではなかった。

「ユウキ——」

 店から飛び出してきたのは、ユウキだった。

「——あ、ああ————」

 ユウキは顔を真っ赤にして、目いっぱいに涙を溜め、口をわなわなと震わせている。

 そうして、やっとのことで出てきた言葉は。


「——カ、カイのバカ!!! 変態ッッッッ!!!!!」

「ぐふっ」

 思いきり腹を殴られた。それもマウントポジションから。

「なんで止めてくれなかったのさ! せめて上着にパーカーを着るように言ってくれたら良かったじゃないか!!」

「だ……だってそれは——お前が日頃から男装を——うぐっ」

「バカ! バカ! バカ! 日常的に男装してるからって上半身裸で人前に出るような変態じゃないよ僕は!」

「記憶喪失で、頭がおかしくなったのかと——」

「たしかに、なんでか自分の性別が男だと思い込んではいたけどね! いたけどさぁ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」


 ユウキにどすどすと腹を殴られながら、カイはため息をつく。

 つまりは、そういうことだった。

 ユウキは一週間前から付き合いはじめたばかりの、カイの恋人であり、異性だ。日頃から男装をしているという少し変わったところのある少女だが、特別、男性になることを目指しているわけでもない。

 今日はそんな彼女と一緒に食べ歩きデートをする予定だった。二人の家が海から近いということもあり、家からそのまま水着でお祭りへ行く予定だったが、今朝になってユウキに原因不明の記憶喪失が発覚。

 カイは不安を懐きつつも、約束を破れば記憶が戻ったときユウキが怒るかもしれないと考え、ユウキをお祭りに連れ出した。

 ——そして、その記憶がどうやら、今になって突然戻ったらしい。


「……しかし、一体どうして」

 頃合いを見て、カイが呟く。原因はどう考えてもあの怪しい店だ。

 だが、カイが身を起こしてみると、あの黒いカーテンに覆われた奇妙な店は、跡形もなく消えていた。

 そして、状況はそれどころではなかった。

「……ね、ねえカイ。なんだか僕たち、注目されてない……?」

 人の視線が突き刺さるかのよう。

「そりゃあ……あれだけ大騒ぎすれば……な」

 カイとユウキは、そそくさとその場をあとにし、お祭り会場からも離れ、可能な限り速やかに、自宅へと戻った。


 この日の出来事は、忘れられない思い出として、羞恥心と共に二人の心に深く刻まれるのだった。


(了)

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