灰の瞳の贋作たち 第3話
イソローラ島での作戦のあと、彼女たちは艦上研究所で検査を受けることとなった。彼女たちの直接の上官であるはずの僕でも、面会は未だ許されていない。
僕はコーヒー片手に、研究所の長い廊下の真ん中にぽつんと置かれた長椅子に腰掛けていた。ほかにすることもないのだ。なら、彼女たちに会える時が来るのをここで待つのが一番良いように思えた。
……彼女たちは、一体なんなのだろう。
全員が同じ顔。全員が同じ灰色の瞳。そして厳重に秘匿された教会の暗部、第0部隊所属の教会騎士——だめだ。考えれば考えるほどにわけがわからない。
教会は裏でなにをしている? 僕の、教会のためにと死力を尽くした働きは一体、なんのためにあったんだ……?
教会騎士団第1部隊の隊長から、第0部隊の指揮官になって、教会の闇を垣間見た。そして僕は今、心揺らいでいる。
「……くそ」
悔しい。
なにが悔しいってこの程度のことで自分の信仰が揺らぐ、自分の軟弱な精神が悔しい。
……腕がもげても、足がもげても、彼女たちは再生する。「そういうふうに造られている」——隊長のリアはたしかにそう言った。あれは、どういうことなのだろう。彼女らが、ゴーレムやホムンクルスであるということだろうか。
否。違う。
ただのゴーレムやホムンクルスであれば教会はそれを第0部隊という箱に押し込めて秘匿したりはしない。
きっとなにか、理由があるのだ。表には出せぬような、理由が。
「…………といっても、そんなのは、『考えるだけ無駄』ってやつだよなあ……」
「なにが、無駄なの?」
金の髪を揺らして、ひょいと顔を覗き込んできたのは、灰の瞳をした少女だった。
「ぬわっ!? あっ……あぶなぁ……コーヒー零すとこだった……」
「で、何が無駄なのよ。長椅子を堂々と一人で使って」
「あ、ああ……済まない。誰もいないからいいかと思って……座るか?」
「お気遣いどうも。ありがたく」
少女はグレーの検査衣の裾を手で抑えて、僕の横にちょこんと腰かけた。
……こうして見ると、本当に普通の女の子なんだな……。とても、手や足が千切れても笑い続けていたあの、……狂戦士と同じには見えない。
「ええと、検査はもう済んだのか?」
「まあね。でも、ほかの子たちはまだ。だから私が会いに来たの」
「……その、済まないんだが君の名は?」
彼女たちはどうも、個々に異なる性格を持っているらしいが、姿かたちはまったくの同一だ。会って日の浅い僕には、誰が誰だか判別がつかない。
……というか、よく考えたら僕は隊長のリア以外、誰の名も知らない。これはさすがに指揮官として大問題なんじゃないか。
「名前なんてないわ」
「……え?」
「一応、識別番号ならあるけどね。私はリア-091。だからまあ、091って呼んで頂戴」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。え? それはどういうことなんだ? ……リア、091? リアっていうのは隊長の名だろ?」
「リアというのは私達の名よ。レリアに至らぬ贋作たち——の意味を込めて、リア。ただ、みんながリアって名乗ると面倒だから、隊長だけが代表してリアって名乗ることにしてるの」
「………………わ、わけが分からない」
レリアに至らぬ贋作たち? なんだそれは、どういう——。
そこで、一つ思い出したことがある。そうだ、たしか枢機卿はこう言っていた。
——贋作部隊。
じゃあ、まさか「贋作」っていうのは……レリアに至らぬ贋作たちっていうのはつまり、
「……その、間違っていたら笑い飛ばしてほしいんだが、君たちの正体はその…………本当、馬鹿げた話だと重々承知の上ではあるんだが、」
「……聖女レリアの複製体?」
不意に、少女——レリア091に囁きかけられてどきりとした。それが、かすかな吐息が耳朶を震わせたからなのか、はたまた内心思っていたことを言い当てられてしまったからなのか。それは分からない。
確かめるつもりもない。
僕がいま確かめたいのは、ただ一つ。
「……どう、なんだ? まさか本当に……」
「ふっ」
彼女は鼻で笑った。ああ、なんだ。良かったと、僕は胸を撫で下ろしかけて、
「なんだ、分かってるんじゃない」
時が、止まったみたいだった。一体どれだけの時間が経っただろう。僕は、体感にして決して短くない時間をかけて、何度も、何度も、彼女の言葉を頭の中で繰り返した。
それでも理解できなくて。理解したくなくて。僕は彼女の目を見た。
「………………冗談だろ?」
彼女は無言のまま、ただ少しの揺らぎもない灰色の瞳で僕の目を逆に覗き返すだけ。言葉はない。ただ、その目はカラスが黒いことや、太陽が東から昇ることを主張するかのように、静謐で、頑強で、僕は屈するしかなかった。
「……聖典には、こう記されている。『汝、死者を蘇えらせること勿れ』」
「ええ、そうらしいわね。でも大丈夫よ。私たちは贋作。レリアじゃない。だから、死者を蘇えらせたことにもならない」
「だが、蘇えらせようとした結果、誕生したのが君たちなんだろう?」
「まあね」
「…………それは、教皇の勅令で?」
「私は知らない。だけど、第0部隊なんてものが用意されてるんだから、そりゃあ……ね?」
「…………嘘だ」
「指揮官さんって、思ったよりナイーブなのね」
「そういう話じゃあ、ないだろ」
「…………気持ちの整理なら一人でつけなさい。私は戻るから」
彼女が立ち上がる。ほのかに、かぎなれない薬品の臭いをただよわせながら。
僕は彼女を見送ることもせず、ただ打ちひしがれていた。とてもじゃないが、彼女の姿を見られるような精神状態ではない。
だって彼女は、さっきの話が本当なら聖女レリアの生き写しのような姿をしているということになる。僕が信仰し、命さえかけた——僕だけではない、多くの人間が「この世で何よりも尊き存在」として崇めた超常の乙女の似姿。幾万もの心と命を捧げられた絶対の存在の、模倣。
絵画にはあらゆる形でその神聖が表現されてきた、紅玉のような瞳の少女の本当の姿が、あんな、なんてことのない、どこにでもいるような女の子だなんて。
しかも、その不可侵の存在をよりによって教会自らが、聖典の禁を破って復活させようとしているだなんて。
「……………………悪い、やっぱり、信じられないよ」
そう言って、ちらと顔を上げてみる。だが、ほのかにただよう薬品の香り以外、もう。そこに彼女がいた痕跡は何もなかった。
長い廊下には僕だけがぽつんと、この長椅子のように置かれている。取り残されている。
……長い廊下の果て。そこには大きな扉がある。「関係者以外立入禁止」の札を下げられた扉が。
あの向こうに行けば、確かめられるのだろうか。彼女の言葉が、本当だと認めるしかなくなってしまうのだろうか。
「………………」
唇を噛む。足が動かないのはきっと、メネシカでの戦いの後遺症なんかじゃないのだろうと、それだけを確かなものとして僕は冷め切ったコーヒーをすすり、目を閉じた。
結局、あの扉を開けることのないまま、僕はその廊下から逃げた。
(了)
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