頭領と狗


 アジトの奥深く。そこには独特な匂いの香が焚かれていた。充満するけむりはしかし、息苦しさを感じさせることはなく、むしろ高揚感と開放感を与えてくれる。

 ほどよく酩酊した、甘美な感覚に溺れそうになりながら、ぼくは頭領さまの声を聞いた。声の主は煙の向こうから、悠然とした歩みでやってくる。

 彼はぼくの顎を撫でて、ぼくの髪に鼻を寄せた。


「セジャヤ。身は、清めたな?」

「はい。頭領さま。……ご覧に、なりますか?」


 一歩下がって天鵞絨びろうど色の衣装の裾をはだけさせると、彼は褐色の肌をした手をゆっくりと振り、笑顔に哀れみを滲ませながら言った。


「まだよい。しばし我慢しておけ」


 視線は下。ぼくの腰もとへ向けられる。彼はふっと笑い、


「いつまで保つか、見物よな」

「今宵は、そうやって愉しまれるのですか?」

「安心しろ。俺とて身体は芯から沸騰している。すぐにでも獣欲に任せ、お前をあいし尽くしてやりたいとさえ思っているさ。……だが、それではあまりに、風情がない」


 おもむろに、彼は床の敷物の上に寝転がった。


「……しばらく、そこにいろ。お前の昂りを、俺に見せてくれ」

「はい、頭領さま」


 返事をすると、彼は心底愉快そうに笑った。


「まったく、お前はつまらん男だよ。これまでに俺の狗となった者はみな、一人残らず、この香に身も心も融かされ――一月ひとつきと経たずして、飼い主おれの『待て』が聞けぬようになったものだが……それがどうだ。お前は三月みつきもの間、ずっと忠犬のままだ。ああ、実につまらぬ」


 言葉とは裏腹に、彼は実に愉しそうだ。細められた翡翠の瞳は、ぼくが獣欲に身を任せるさまを見たがっているかのよう。

 そのことは、いい。僕だって、それを望まれていることはとうに承知している。だが。


「頭領さま。今はぼくの時間なのに、他の狗の話をされるのですか?」

「くふふっ。嫉妬する余裕もあるとは結構。お前はそれで良い。それだから良い。暗殺者の家系の者を拾った甲斐があるというものだ」

「……家の話は、あまり好きません。これ以上されれば、この怒張がすぼんでしまうやも」

「ああ、そういう約束であったな。では替わりに、ほかの男の話をするとしよう」

「頭領さま」


 抗議の意を込めて呼ぶと、彼は小首を傾げた。


「ん? 何か問題があるのか? お前は男ではなく、狗だろう? そのあり方を受け入れたのは、お前自身であろう?」

「…………っ」


 返す言葉もなかった。


「では、続けるぞ。隻眼のクラマのことだ」

「――! ……余興の間に話すこととは、思えませんね」

「はっ。だからこそ、余興たり得るのだろう。見世物というのは、演者が不可能を可能にしてこそ、観客を熱狂させることができる。お前も、もっと俺を愉しませて見せろ」

「……承知しました。隻眼のクラマは、やはり、頭領さまの睨んだ通り、密かにシドリィーニャ国と通じてるようです」

「ふぅむ。では、このアジトも早晩、引き払わなくてはならんな。広くて気に入っていたのだが……仕方あるまい」

「また、デラベネスタのキーシュエスが我らの動向を探ってるようです」

「ということは、例の悪評はまだ消えてないのだな」

「ええ。ですので、南方のレジュヴェッサ島に行くのが堅実かと」

「俺は享楽に耽りたいだけなのだがな……ともあれ、お前の言う通りであろう。して、隻眼のクラマ以外に内通者は?」

「確認できていません」

「奴は狡知だ。一人きりで我らを裏切りはしまい。必ずや見つけ出せ。手段は問わん」

「承知しました」


 ぼくが首肯すると、彼はゆっくりと立ち上がった。


 そして、ぼくのものに触れて具合を確かめる。


「ほう。見事だ……じゅる。うむ、悪くない」

「…………では、」


 ぼくの言葉は途中で遮られた。彼はぼく衣装の裾を引いて、ぼくを一糸まとわぬ姿にした。彼もぱさりと、着ていたものを脱ぎ、よく熟れた象徴シンボルを僕に見せつけた。


「……見世物というのは、演者が不可能を可能にしてこそ、観客を熱狂させることができる。お前は、俺に熱狂してくれるか?」


 ぼくの返事は決まっている。


「ようやく、ですね」

「ああ、ようやくだ」


 彼の手がゆっくりと僕のかたちをなぞるのを目で追いながらぼくは、その手が身体を撫で上げてくれるその時を、ひたすらに待った。


(了)

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