染みを落とすのに、銃はいらない


 ――この男を殺してください。


 送られてきたメールには一枚の写真が添付されていた。身なりのいい若い男だ。年齢は20代後半といったところか。屈託のない笑みからは溢れんばかりの自信を感じる。浅黒い肌にガタイのいい体格。学生時代に何かスポーツをやっていたのだろう。

 厄介だな。

 目立たず、悟られず、密かに殺すことをモットーとする俺にとって、こういう筋肉がついてて運動神経もそこそこあるやからは厄介者にほかならない。苦手ではないが、抵抗されるような殺し方は選べないという時点でかなり面倒だ。


「……やめてぇな。この仕事」


 天井を仰ぎ見て、俺はため息をついた。


 ◆


 平日昼間の公園のベンチに座る成人男性は、不審者だろうか。

 それなりに身なりは整えているつもりだが、俺も若くはない。どんなに若く見積もっても大学生認定されるのはほぼほぼ不可能だろう。

 なにより目立つ。

 普段はここらで遊んでる子供たちが俺が来るや否や、蜘蛛の子を散らすようにどこかへ消えた。

 ……親父の話だと、一流の殺し屋はうまく日常に溶け込んで、誰にも悟られることなく仕事を遂行するそうだ。俺にはとても、真似できそうにない。

 この、全身に染み込んで落ちない血の匂いが、擬態を許してくれないのだ。

 PTSD、というやつだろうか。何人も人を殺しておいて、とは自分でも思うが、どうもこの仕事が原因で俺は精神を病んでいるようだ。人殺しを仕事と割り切ることは、いつまで経ってもできないまま。


 今日、何度目になるか分からないため息をついた。


 ……依頼人からの情報によれば、毎週この時間、ターゲットはこの公園の近くを通るらしい。ここで張ってれば直に見ることができるのではないかと思ったが……一向に姿を見せない。

 今日のところは諦めて帰ろうか……そんなふうに、思った時だった。


「どーしたのー、おじちゃん」


 俺の前に女の子が立っていた。

 その女の子は逃げるどころか俺の隣に「よいしょ」と座り、


「なやみがあるときは、ひとにはなすといいんだって!」


 そう言ってはこちらにその大きな黒目を向けてきた。

 ……この子供、まさか俺が話すまで離れないつもりか?


「……ありがとう。それじゃあご厚意に甘えて、少し話すよ」


 一分と経ってはいまいが、俺は根負けして話し初めることにした。いい感じの作り話をこの土壇場で捻り出す要領の良さなんて、俺には無論ない。

 素直に自分の悩んでることを、――多少ぼかしながら――話すことにした。


「おじちゃんはさ、匂いが取れなくて困ってるんだよ」

「? くさくないよ」

「おじちゃんにしか分からない匂いなんだ。それが、体に染み込んでて、取れないんだ。仕事でついた匂いだからまあ、仕方ないんだけど」

「ふうん。おしごと、たいへんなんだね」

「ああ、大変さ。お仕事、やめようとすら思ってるくらいだ」


 俺がぼやくと、女の子はベンチから降りると俺の前に来て、膝を叩きはじめた。


「……なに、してるんだ?」

「おじちゃんがこまらなくなるように、しみぬきしてるのー」


 女の子は顔を上げ、俺の目を見て言った。


「パパがね、しみぬきするときはこうやって、たたいておとすんだっていってた。こすったらダメなんだって」

「――――――」


 それは、あまりにバカバカしい。しかし、なぜかこの世の真理をついているかのようにも思えて、俺はなぜだか、救われた気分になった。

 なにも、問題は解決してない。なのに、こんなにも暖かな気持ちになってる。

 俺は女の子に礼を告げようとして顔を上げ――彼を見た。


「ああやっと見つけたぞ、コハル! まったく、知らない人に話しかけちゃだめだって…………ああ、すみません。この子がご迷惑をおかけしませんでしたか?」

「え、ええ。はい。なにも、迷惑なんてことは」


 よくできた人間だ、と思う。昨今、知らない人間に対して警戒の念を抱きつつも表面上は礼を失さないように振る舞うことのできる者は少ない。ましてや、それが子供と話している大人ともなれば余計に。


「……その、もしかして娘さんですか?」


 確認のために尋ねると、男は女の子を抱き上げながら、「ええ」と答えた。


「まったく、やんちゃな娘で大変ですよ。母親がいれば…………と、初対面の方に話すことではありませんでしたね。忘れてください」

「ああ、いえ。こちらこそ、申し訳ない。ただ、娘さんはいい子ですよ。……落ち込んでた私を、励ましてくれた。きっと、あなたの背を見て育ったからでしょうね」

「……それはどうも。ありがとうございます。では、私たちはこれで」

「おじちゃんばいばーい!」


「……ばいばい」


 俺は親子が公園から去るのを見送ると、スマホでターゲットの写真を確認した。

 そこに写っていたのは、やはり、さきほどの女の子の父親だった。


「"染み抜きするときは、叩いて落とす"……か」


 握り拳を作ると、それで自分の顔を殴った。


「ああ、確かにすこし、落ちた気がするな。スッキリした気分だ」


 もう、「やめたい」なんて言わない。


 ――俺は、この仕事をやめる。


【続かない】

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