マンドラゴラ取り違え事件

 毎週月曜の午後は優雅に紅茶を飲むことにしている。ゆったりと淹れたての香りを楽しみ、少し啜って口の中一杯にその芳醇な味わいを取り込む。

 すべて、そう、すべては滞りなく進行している。

 フリマアプリで購入した例のブツも届くのだ。今に助手が持ってきてくれることだろう。

 これで私の研究は飛躍的に進歩するに違いないし、その研究成果によって石油王のパトロンがつき国家予算規模の研究費が使い放題になって人生に勝利する……うむッッッ。実にパーフェクトなプランだ。


「――大変です教授!」

「やれやれ騒がしいな君は。そろそろ一流の助手としての振舞を――」

「荷物の中身が、入れ替わってしまったんですッ!」


 言って、助手は梱包済みアダルトグッズの入ったダンボールを見せた。


「……は? 待て、では、私の、マンドラゴラの種子は?」

「持っていかれました……! すみません、私がうっかり落としてしまったばっかりに…………! すれ違った人とぶつかって転んで、箱を落として……その時に取り違えてしまったんだと思います」

「お、おい待て、待ってくれ! それじゃあ私の、なけなしの十万円はどうなる!」

「……この、ぷるぷる震える玩具と交換、ですかね…………」

「勘弁してくれ!」

「いえ、これはこれで何かの研究に使えるかもしれません。分解すればモーターを取り出せるでしょうし」

「その玩具もモーターも、どう高く見積ったところで10万円もしないだろう! いや、それより問題なのはあれだ、マンドラゴラの種子を購入したことが他人にバレては不味いということだ」

「え? でもあれ、一見しただけじゃナスの種子と区別つかないじゃないですか」

「それが問題だ。もし、私達の荷物を拾ってしまった何者かがなにかの気紛れに種子を植えてしまったらどうなる?」

「マンドラゴラが、育ちますね。にょきにょきと」

「引き抜いたら?」

「ぎゃあぎゃあと叫びますね」

「それを聞いたら?」

「人がばたばた倒れて地獄絵図ですね」

「そんな事件が起これば、警察は躍起になって原因を追及するだろう。それでもし、我々がマンドラゴラの種子を闇のルートフリマアプリで入手したと判明したら?」

「テロリスト認定待ったなしですね」

「……では、我々が何をすべきかは、分かるな?」

「はい。急いで飛行機のチケットを取りましょう。周囲には新婚旅行とでも言っておきますか? 教授のことはタイプじゃないんですけど命がかかってるのなら話は別です」

「違うわボケェ――!!! 君が廊下でぶつかった相手のもとを尋ねて、マンドラゴラの種子を取り戻すに決まってるだろう!」


 すると助手は、面倒くさそうにため息をついた。


「えぇ……? 本気で言ってます? それ」

「何も面倒なことはないはずだ。その箱に貼ってあるはずだろう? 住所とか受取人の氏名とか」

「それがですね……破けてるんですよ」


 助手がダンボールのフタの部分を見せる。そこにはたしかに、伝票の剥がされた跡が残っていた。


「……人相とか」

「覚えてませんよ。ヤクの運び屋みたいな気持ちだったんですから。そんなもん気にしてる余裕なんてなかったですし、向こうも向こうで顔を隠したがってましたから。気恥ずかしかったんでしょうね……中身がコレですから」

「性別は?」

「ヤクの運び屋気分だったんでよく分かりません。細身の方だったということしか……」


 我々がいる建物に細身の人間なんていくらでもいる。何せここは寝食を忘れて研究に没頭するような研究ジャンキーの集まるマッド荘。大学や学会からドロップアウトした落伍者のエルバ島だ。


「……真面目に、手詰まりじゃないか、これ。中身が中身だから向こうが受け取りに来てくれることも期待できんし…………」

「だから言ったんですよ。いますぐ逃げましょって」

「いや、しかしな…………それは……」


 私たちが頭を抱えていると、コンコンと扉をノックする音がした。


「とりあえず、まだ時間はあるんで検討しといた方がいいですよ」


 そう言って、助手は玄関の方へと向かった。


「……て。なんで教授まで付いて来るんですか」

「落とし主かもしれんだろ。そう思うと、おとなしく待っていられるか」

「はあ…………」


 少しばかり建て付けの悪くなった扉を開けると、そこには見目麗しい少女が立っていた。


「ん? 君は……?」


 見ない顔だ。ここに住む誰かの親戚の子かなにかだろうか。


「あ、あの。……その」


 俯きがちの少女はもじもじとして、なかなか話を切り出そうとしない。


「……に、荷物、取り違えてしまったみたいで、その」

「まさか」


 思わず、私はそう口走った。それを聞いたのだろう、少女は弾かれたように顔を上げて、顔をかあっと赤らめた。


「……み、みみ、み、見たん、ですか…………?」

「はい。……見かけによらず、おませさんなんですね。お嬢さん」


 なんと答えたものかと迷っていたら、助手が澱みなく頷いてにこりと微笑みかけていた。


「おい、こら。なんてことを――」


「うわああああああ…………見られたぁぁ……」


 目の前で少女が泣き出す。と同時、足下の方が少し湿っぽくなる。心なしか、水音がするような――と、見て驚いた。


 失禁していたのだ。


「あっ!? いや、待て、待ってくれ! 一旦落ち着いてくれ!」


 玄関が少女の尿でいっぱいになるのは勘弁願いたい。私にそんな趣味はないんだ。

 慌てて宥めようとして、しかしどう接したらいいのか分からず、とりあえず助手を頼ることにした。助手とて女だ。それもまだ二十歳手前。私なんかよりよっぽど、少女の気持ちに寄り沿えることだろう。


 ――と、期待して助手の方を見れば、彼女はあろうことか、少女のスカートをまくって内側に顔を突っこんでいた。今なお失禁の続く、少女のスカートの中へ。


「――――助手!!!???」

「教授。これ、尿じゃないですよ」

「はあっ!? なにをバカなことを……ていうかセクハラだぞ、それは!」

「ほら、浴びてみてください」


 と、助手はその手いっぱいに溜めたそれを私の顔にぶっかけた。


「わっぷ! な、なんてことを…………ん?」


 違和感があった。

 たしかに生暖かいし、色素薄めだが、色もそれっぽい。なのに、匂いがしないのだ。まさか、これは……と、ちらと舐めてみる。


「…………水?」

「はい。スカートまくって確認したんですけどこの子、アンドロイドです。人間じゃありません」


「ひっぐ、うう、うううう…………」


 それでも、廊下に満ちる声は、人間の少女のそれと相違ないように見えた。


 ◆


 後日、私たちは例の少女のから感謝の言葉を述べられた。

 やれ、人工知能の情緒の発達についての研究が進んだだとか、外装の精度を高めて股間部分も人間そっくりに作ったから今度見に来てほしいだとか。

 ここの連中の倫理観など所詮そんなものと知っている私でも、ムカっ腹の立つような連中だった。


「まーでも、私たちも人のこと言えないじゃないですか」


 助手は芽を出したマンドラゴラに水やりしながら言う。


「だって、私達はこれから、このマンドラゴラを人間にしようとしてるんですから。それも、臓器や手足の養殖目的で」

「……法律が、憲法が保証しなくとも、、彼らの人権を重んずるべきだと思うがね」


 つまるところ、違いなんてその程度なのかもしれない。私もあの連中も、人間でないものはモノとして扱う。そこに違いなどない。

 だが、彼らは生き物でもあるのだ。少なくとも、研究者の側は、かくあれかしと望んで、生み出している。

 ならば、モノ扱いなどするべきではない――そう思いながら、私は月曜の紅茶に口をつける。

 今日のは少し、苦味が強い。


(了)

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