青春には、もう凝りた


 高校生活初日の朝は心臓の音がうるさかった。

 僕は……いや、俺は今日から生まれ変わるのだ。充実した高校生活のために、中三の冬からこっち、できることはなんでもやってきた。その成果がいま、試されようとしているのだ。

 ……とはいえ、やはり不安はある。

 果たして、本当にこれでいけるのだろうか。

 スマホのカメラで顔を確認する。髪はうっすらと色素の抜けた明るめの茶髪。よく手入れの行き届いた髪はさらさらと、風にほどよく揺れている。

 化粧水で保湿した肌はよく潤っている。軽くコンシーラーを当てたから、ヒゲの灰色もほとんど目立たなくなっている。

 メガネも今日のために新しく買ったもので、レンズにはゴミ一つない。

 顔立ちも、それなりに悪くはないんじゃないだろうか。元々、素材には自信がある。

 ……だが、それでもやはり不安は付き纏うもので。

 端的に言って俺は今、高校受験の時の100倍は緊張している。


 そんな時だった。


 駅のホームで電車を待つ俺の背が、突然叩かれる。

 といっても、ホームから落ちるほどではない。小突くようなもので、その手の慣れ親しんだ力加減で俺は相手が誰か察する。

 幼馴染の小日向みのりだ。

 僕と同じ高校の制服着て、彼女はもう一度背中を叩く。


「よっす。ほら、猫背直して、しゃきっとするっ!」

「……あ、ああ。うん。でも、大丈夫なの、本当にこれで」

「うーん。見た目は7割くらい完璧かな」

「7割!?」

「……相手が人間、それも不特定多数である以上、10割、つまり100パーセントはないと思って。あとの三割は、これからの振舞で稼ぐイメージで」

「な、なるほど」


 うなずく俺に対して、みのりはいたずらっぽい笑みを見せた。


「……な、なに?」

「いやあ? よくここまで頑張ったなーって。なんだかちょっと誇らしい気分だよ」

「お前は僕の母さんか」

「似たようなもんでしょ。そうなれるように指導したの、誰だと思ってんの」


 そう言われ、俺は思い出す。


 始まりのあの日のこと。晩秋の放課後、みのりにオタク趣味をからかわれたことに耐えかねて発した言葉を。


「根暗オタクとか言うなよ。高校行ったら友達どころか彼女も彼氏も100人作るくらいの陽キャになってやるから」

「え? 彼氏も?」


 ――それ以来、やたらと俺に話しかけてきては「陽キャになるんじゃないの?」「オタク丸出しじゃ~ん」「服のセンスダサ……」「眉の形が根暗」「眼鏡男子の研究が甘い」「髪染めたら陽キャとかナイーブな考えは棺桶に詰めとけ」「素材を生かせ。ジャ○ーズになろうとするな」……などと色々口出ししてくるようになった。いや、有用なアドバイスも結構あったのがありがたいと言えばありがたいんだけど。


 その結果が、今の俺だ。

 近世の、子爵家のお嬢様への躾もこんな感じだったんだろうな……と思うほどの厳しい陽キャレッスンを受けて、俺はいま、高校の入学式に向かおうとしている。


 ――ああ、そうだ。なにを恥じることがある。

 もう、以前の根暗な僕じゃない。あの日々を乗り越えた俺なら、初対面の人間と会話を楽しむくらい、造作もないはずだ。活発に発言することも、クラスで積極的に行動することも、余裕!


 己を鼓舞して、俺は電車に乗り込む。


「……ありがとう。みのり。俺はもう、大丈夫だから」

「これから別れるみたいな雰囲気出してるけど、私も同じ学校だかんね?」

「高校では遠くからそっと見守っててほしい」

「要するに話し掛けんなってことね。おーけー」


 ◆


 高校生活が始まって一週間。早くも彼女ができた。


「おはよ、佐原くん」

「おはよう、桐河。今日の一限って数学だっけ? 宿題やった?」

「いやあ、それが全然でさあ。ちょっと見せてくんない? 授業始まる前に全部写しちゃうから」

「はいはい……んじゃこれな」


 隣の席の桐河良。鴉の濡れ羽色の髪が印象的な、どこか儚い雰囲気の美少女だ。その実態はいつも気怠げな様子で、何事も他人に放り投げるフシのあるダメ人間なのだが……そういうところもすごくいい。正直言ってタイプだった。

 なんと言っても、人から頼りにされるというのが気持ちよくてたまらない。


 この一週間、俺は彼女から色々な頼まれごとをされてきたが、その全てを快く引き受けてきた。それも本心からだ。


 充実した高校生活の、素晴らしいスタートダッシュを切れたと思う。


 ◆


「……最近、パシられてるみたいだけど大丈夫なの?」


 その日の夜。みのりがわざわざ家まで押しかけてきてそんなことを言ってきた。


「パシりじゃないから大丈夫だよ。できたばかりの彼女につくしてるだけ」

「そういうのをパシりって言うんだけどね……いい? 女の子は怖いんだから、あんま盲目になってちゃそのうち、ひどい目に遭うよ」

「はいはい。りょーかい」

「あと、二人目の彼女のアテはあんの? 彼氏でもいいけど」

「…………あの日の言葉は忘れて下さい」


 ◆


 それから、俺は桐河のために色々なことをした。

 一日に2個は頼まれごとを引き受けて、それらすべてをきちっとこなしてきた。

 ……さすがにバイト先のメイド喫茶に代理で行ってほしいと言われた時は断ろうかと思ったが、陽キャレッスンの時に化粧の仕方は一通り教わっている。元々童顔な方だし、と女装して行ってみたらなんとかやり通すことができた。

 そんなこんなで、無茶振りに一つ、また一つと答えていくうちに段々と彼女に頼りにさせられていき……一方で俺の方も、自分に頼ってくれる彼女にずぶずぶと依存していった。


 ◆


「……カンニング?」


 中間試験を目前に控えた土曜日のこと。桐河とカラオケデートに来ていた俺はまたしても頼まれごとをされた。それも、これまでとは比にならないくらいヤバい。


「そう。佐原くんってさあ、勉強できるじゃん? だからこう、試験中になんとかして答えを教えてくんないかなって」

「……それ、間違いもそっくりそのまま写してバレるやつなんじゃ……」

「そーなんないように、私の方は、いくつかワザと間違えておくよ。ぶっちゃけ、70点以上取れればそれでいいからさ」

「…………まあ、そういうことなら」


 俺の方は100点を取るつもりでいる。向こうが70点くらいで満足してくれるのなら、間違いが同じという理由でカンニングバレをすることはないだろう。

 ……大丈夫な、はずだ。


「で、具体的にどうやって答えを伝えればいい?」


 ◆


 カンニングがバレた。

 日頃、先生方から好評をいただいていたからか、初犯だったからか、僕は一週間程度の休学処分で済んだ。

 そして桐河さんの方はと言えば、転校することになった。聞いたところによると、カンニングを持ちかけたことを彼女が自ら自白したのだと言う。

 もしかすると、彼女が僕を庇ってくれたのかもしれない。


 一週間なんて、あっと言う間に過ぎ去った。

 それから、二週間、三週間……僕は引きこもった。

 青春だなんだと調子づいて、その果てに好きになった女の子を転校させてしまった。彼女に、傷をあたえてしまった。


 …………もう、青春なんていやだ。

 このまま引きこもって、高卒認定試験でも受けて、大学にはそれで行こう。高校なんて、卒業する必要、ないんだから。


「……なに、このくっさい部屋」


 いつものように、布団の中で丸くなってると、不意に扉の開かれる音がした。


「しかも暗いし散らかってるし……これ、どっかにカビ生えてんじゃないの? やだなー」


 ずかずかと、無遠慮に人の心の中に踏み入ってくるその姿は、見るまでもなくわかる。

 みのりが来たのだ。


 きっと、僕を高校に連れ戻すために。


(了)

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