異世界転移したら先代魔王に懐かれて命の危機

 王国騎士、アーネスト・ベルク・ティリウスは呆気に取られていた。

 焼けただれた森の中、そこに真っ黒な塊が倒れ臥している。

 頑健な鱗とトカゲの頭、三本の捻じれた角を有する巨大な生き物――邪龍である。

 この、王国でも有数の豊かなマナに満ちた森。それを焦土に変えつつあった邪龍が、死んでいるのだ。


「これは……どういうことだ」


 そも、アーネストが王都からはるばるこの森へやってきたのはこの森の豊かなマナを喰らい尽くさんとする邪龍討伐のためであった。

 アーネストは仲間の騎士たちと共に森に入り、邪龍捜索のために広大な森の中を歩いていた。発見し次第、信号弾で位置を伝える――そういう手筈で散開し、森を調べていたのだ。

 だが、アーネストが見つけた邪龍はもうすでに死んでいた。邪龍が二体いるという話は聞かない。紛れもなく、アーネストらが討伐すべき邪龍に違いないのだ。

 ……しかし、潤沢なマナを喰らい尽くさんとしていた邪龍の死に様は、むしろ逆。蓄えたマナのほとんどをどこかに吸われてしまったかのようだった。カラカラに干涸びて、その大部分において骨のカタチがくっきりと見てとれた。


「…………我が神に願う。【計測】のスキルを、我に貸し与えたまえ」


 不気味に思ってアーネストが邪龍に残ったマナを計測してみると、やはりマナはほとんどない。異様なまでに枯渇している。死んだ生き物からはマナが抜けていくものだが、これほどの量のマナが抜けるには、短く見積もっても5日はかかるはずだ。


「何者かが、この邪龍を倒し、そのマナを奪った……?」


 そう考えるしかなかった。


「……ん」


「――――っ!?」


 アーネストたちのほかに誰もヒトはいないはずの森。そこに、耳慣れない声がした。

 アーネストは警戒を深くして声のした方へ近寄ってみる。

 果たして、その声の主は木の上にいた。


「ん…………あ、あれ? なに、ここ、どこ?」


 複雑に絡まった枝に引っかかるかたちで、その女は木の上にいた。

 あたりをきょろきょろと見回して、アーネストの姿を見つけると


「おーい! そこの人ー! ちょっとあの、降りるの手伝ってくれませんかー?」


 などと手を振って救助を求めている。だが、アーネストは警戒せざるを得なかった。

 先ほど神から貸し与えられた【計測】のスキルはまだ発動中だ。そして、そのスキルによれば、木の上の女は絶大なマナを保有していることになっている。

 アーネストは腰の聖剣を抜き、構えた。

 女を真っ直ぐに見据えて、


「――答えろ。あの邪龍、あれを倒したのは、お前か?」


「…………へ? な、なに? 邪龍?」


 睨めつけるようなアーネストの視線にたじろいで、女は手を振るのをやめた。困惑の表情で、尋ね返す。


「……あの、なんのこと?」


 ◆


 己の死因を聞いて、樫村鑑かしむらかがみはこう思った。

 ――男のせいだ、と。


 その日の夜、樫村鑑は一人きりの自宅で酒を飲んでいた。成人祝いに父親から貰った日本酒をはじめて開けて、水で割ることもせずにぐいぐいと飲んでいた。なぜそんなことをしたのかと言えば、失恋の痛みを癒すためである。


 その日、彼女は数年来思いを寄せ続けた年上の男性に告白をしようとして――彼に交際相手がいることを知った。それも同性の恋人で、彼女の親友でもある男だった。

 思い人は同性愛者だったのだ。そして、彼女が今まで友達三人組だったと思っていた関係は、実のところカップルが一組と友人が一人というもので、彼女は「自分を取り合って友情が崩壊したらどうしよう」などという思い上がり甚だしい懸念をしていた過去にを思い出しては身を焼かれるような恥辱を味わった。


 というわけで、その日はヤケ酒だった。

 顔も本名も知らぬ相手とネット越しに通話して、心の傷を癒そうとする。

 だが、恥辱の炎は簡単には消えてくれない。彼女は酔った頭で一人、家を飛び出してコンビニへ向かった。ツマミを買うためである。

 夜遅くだったからだろう、幸いにも車の通りはほとんどなく、彼女は無事にツマミを購入して自宅へ帰った。そして、酒盛りの続きを始めることにした。


 問題は、そのツマミである。


 ◆


「ツマミ? えっ、車に轢かれたとか空き巣に殺されたとかじゃなくて、ツマミが原因で死んだの私」


 樫村鑑はいま、彼女の自宅のリビングを再現した空間にいた。こたつを挟んだ向こうには女神を自称する黒髪の少女がいる。彼女は生真面目さを感じさせる声で応じた。


「はい。……あなたはピーナッツアレルギーにも関わらず、ピーナッツのツマミをバカみたいに、呑みこむように嚥下して、アナフィラキシーショックを起こして死んだのです」

「マジで……?」

「はい。ウソは言いません」

「マジか……畜生、あの裏切り者どもめ……あいつらがああだから私は酒をアホみたいに呑んで死ぬハメに……」

「責任転嫁の最中に申し訳ないのですが、あなたには魔王討伐に出かけてほしいのです」

「は? 魔王? なに、ゲームの話?」

「とりあえずスキルは……【原始言語ビフォア・バベル】と【緊急時蘇生エマージェンシーリヴァイヴ】の二つがあればなんとかなるでしょう。ああ、あと【鍵】も必要でしたね。……とりあえず、頼れる助っ人の近くに飛ばすので、がんばって魔王討伐してきてください」

「あ、話聞く気ないな? えっ、ていうかなんでそんなことしなくちゃならないの?」

「なんか都合良さそうだったので。というわけですから、早く行ってください。頑張ればきっといいことありますよー多分、きっと、運が良ければ」

「あっちょ、待って――」


 樫村鑑の身体は空の果てへと飛ばされ、ほどなくして意識がブラックアウトした。


 ◆


 次に樫村鑑が目を覚ますと、そこは遺跡の中だった。


「えっ、なに、ここ……」


 ひんやりとして冷たい、青い炎だけが通路を辛うじて照らすのみの、今にも朽ちそうな遺跡。なんだかよく分からないままにその奥へと、道の続く方へと足を進めて――石壁に取り込まれた白髪の少女を見つけた。

 何かに導かれるようにして、少女の顔に触れる。

 その瞬間、石壁が砕け散った。少女のあどけない身体があらわになって、目をつむったまま、少女は樫村鑑の手を取る。そして――


 暴風が起きた。


「ウぅぁああああああああああ――――――!?????」


 理解不能なまま、暴風に巻き込まれて樫村鑑は遺跡を構成していた石材の破片に頭をぶつけたり、暴風に全身をシェイクされたりして死に、蘇りを繰り返す。


 樫村鑑が死に続けている一方で、暴風は岩を削り、遺跡を崩壊させていた。蒼天の下に投げ出された樫村鑑はそのまま、壁に取り込まれていた少女と共に暴風に投げ出され――遥か遠くの森へと飛ばされる。


 そうして、どこかの森の木に引っかかった彼女は金髪の見目麗しい少年騎士――アーネストに出会った。


 状況は分からないが、彼に助けてもらおう――そう判断した彼女だったが、


「――答えろ。あの邪龍、あれを倒したのは、お前か?」


「…………へ? な、なに? 邪龍?」


 アーネストに剣を向けられ、安易に身じろぎすらできない格好であるにも関わらず、これ以上ないほどの警戒心を向けられるに至ったのであった。


【続け】

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