魔女と汽笛とマンドラゴラ
発車と同時に高らかに汽笛が鳴り響く。
ゆっくりと動き出した列車の振動が、ゆっくりと、ゆっくりと増してゆく。より大きなものになってゆく。
はじめ、わずかに不安定だった振動は徐々に安定さを獲得し、存在そのものを忘れさせるほどに安定したものとなっていた。
流れる景色を眺めながら、僕は正面の座席に座るエミリィ姉様に前々から疑問に思っていたことを尋ねた。
「あの、これって本当に魔術で動いてないんですよね」
「ええ。魔力に乏しい異界由来の技術の産物だから。魔術だったらもう少し、スマートにできていたはずよ。出発の時にあんなに大きな音を鳴らすことも、煙を噴いて走ることもない」
「不満たらたらですね」
エミリィ姉様は頬杖ついて窓の外の景色を眺めている。色々と、思うところがあるのだろう。しかし、その翡翠の瞳に眠る真意は、僕のような若輩者には読み取ることすらできない。
なにせ彼女は300年の時を生きる魔女で、僕はその30分の1程度しか生きていないのだから。
「……なにか今、すごく失礼なこと考えてなかった?」
――しかも、鋭い。
「やだなあ、そんなはずないじゃないですか」
エミリィ姉様は見た目だけなら17歳とか18歳とか、そのくらいだ。だから僕と一緒に行動しているとよく姉弟に間違われるし、彼女もそのように振る舞う。この、エミリィ姉様という呼び方もそう。
――エミリィ姉様と呼びなさい。
出会って間も無い頃、彼女は高圧的な態度で僕にそう言った。
はじめは家族の真似事なんて嫌だったけれど……今となってはすっかり口に馴染んでしまっている。もはや彼女を僕の彼女と認めるのに、不満はなかった。
「……それで、仮に魔術で同じものをつくるとしたら、どんな感じになるんですか? この……汽車とはどう違うんです?」
「まず、エネルギー源は魔力になるわね。あと、魔力をより多く使えるなら地上の線路を走らされるということもなくなるでしょう。魔術において、地を走ることと空を飛ぶことは同じようなものだから」
「はあ。それじゃあ、異界由来の技術なんて使ってないで魔術でとっとと作ってしまえば良かったのに」
「……突然だけどアレン。私達が今、汽車に乗ってる理由は?」
「移住のためですよね。前住んでたところが近隣の土地開発のせいで魔力保持力に衰えが見えはじめたので移住を……あっ、もしかして」
「ええ、そう。魔力を必要とする魔術式汽車では、土地の魔力が十分に満ちている場所しか走れないの。要は霊脈の上ってことね。業腹だけど、恣意的に線路を引けばそれだけでそこを走ってくれる異界産の汽車のが便利ってわけ。もちろん、魔鉱石を使えば走る場所を限定されるってことはなくなるんだけど……すると今度は魔鉱石の量が問題になってくる。試算してみたところ、この汽車が走るのに必要な石炭の何倍もの魔鉱石が必要になるようで……まあつまり、現実的じゃない」
「なるほど。だから――――」
――そんなに嫌そうな顔してんのに、黙って揺られてるんですね――と、言おうとした時だった。
「どうしたの?」
「……なにか、聞こえませんか?」
「なにかって?」
「……なにか、鳴き叫ぶような……」
「鳴き、叫ぶ? それはもしかして、」
エミリィ姉様は鞄から一冊の本を取り出して、それを開いた。パラパラとページを捲り、止める。どうやら薬草図鑑のようだ。一ページごとに薬草の名称とイラスト、そして説明が記されている。
僕の手を掴むとエミリィ姉様は、その指先を右上の魔術陣に触れさせた。
――瞬間、僕の頭の中に音が鳴る。
「もしかして、こんな音じゃない?」
それは、鳴き声だ。ずっと聞いていると平衡感覚が失われ、世界が歪み、捻れ、切り離され、色を失い、色を得て、不条理が条理になる――
「あっ! 待った! 離して! 手!」
指先が離れると同時、僕は現実に引き戻された。
珍しくエミリィ姉様が僕に謝ってくる。
「ごめん! アレン! 本っっっ当に、ごめん!」
「……い、いえ。大丈夫です。なんともないので……ていうか、今のって…………まさか」
そのページのイラストを認識して、背筋が震えた。そのページに記述された植物、それは、人型の根を持つ植物。つまり――
「そう。マンドラゴラだ。……で、どう? 今、アレンが聞いてる鳴き声とさっきのマンドラゴラの鳴き声、似てる?」
ごく、と唾を飲んで僕は首肯した。
「……似てます。少し雰囲気は違いますが……たぶん、マンドラゴラがいま、この列車のどこかで鳴き叫んでいるんじゃないかと」
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