拡散性偽病領域 - Spreading Pseudo-Disease -
悪夢を見た。
「慎平。どうしてお前が……お前だけがまだ生きている」
父さんが言う。
「にいちゃん、たすけてよ、にいちゃん。こさにめ様のところまで迎えに来てよ」
妹が言う。
どちらも、今となっては骨すら残らずこの世から消えてしまった。そんな二人の言葉に対し、冷血なことに僕は笑うだけだった。いない人間の言葉がそんなに滑稽だったのか、それとも、もう間もなく二人と同じところに行くであろう僕に恨み言をぶつけることの無意味さを感じてのものなのか。そんなことは僕自身にも分からない。
もしかすると、そのどちらでもなく尋常の病――肺癌によって亡くなった母さんが登場しなかったことに安堵していたのかもしれない。母さんだけは、ちゃんと成仏できたのだと思うと、少しは救われる気がする。
◆
――朝、目が覚めると左腕が消えていた。出血はない。断面は完全に塞がっている。まるで、元々なかったかのように。
「ばあちゃん」
僕は一階に降りて、居間で朝食の支度をしていたばあちゃんに空っぽの左袖を見せる。
ばあちゃんは一瞬だけ顔を壮絶に歪ませ、それから仏間の方へと向かった。慌てていたのだろう、扉は開け放たれたままで、ほどなくしてばあちゃんの読経の声と線香の匂いが居間にまで届いてきた。
「……悪いことしたかな」
けれど、どうせ隠せるようなことではないのだ。僕は間も無く、父さんや妹と同じくこさにめ様のところへと持っていかれる。それが、この僕の運命だ。
◆
学校に行くと、みんなが腫れものに触るような目で僕を見てきた。担任の先生も僕の左腕が消えているのを見ると目を見開いて、励ましにもならないような言葉を二、三吐いた。僕にとっては無意味な言葉だったので、覚えていない。
「まったくさ、ひどいよねみんな。気を遣ってるんだかなんだか知んないけどさ」
席につくと、隣の席の河原井が言った。河原井は女子で、僕と同じくこさいにま病の患者だ。本人の話によると、右腕の肘から先と左大腿部が持っていかれたらしい。当然、今朝の僕と同じように腫れもの扱いを受けている。
そんな彼女だからか、いつもと変わらない態度で僕に接してくれた。なんなら、
「いいなー。左腕丸ごと持っていってもらえて。うちなんて太ももしか持ってってもらえなかったから足の処分大変だったんだから」
なんて軽口すら叩いてくれた。正直、彼女の態度には救われたような気がする。
◆
その日の放課後。帰宅部としては初めての帰り道にて。
「――こさにめ様って、なに?」
僕は変な女に絡まれていた。
黒のセーラー服を着た色々とデカい印象の女だ。
そんな当たり前のことを尋ねてくるところを見るに、どうやらこの町の外から来た人らしい。
「知らない」
面倒になって、僕は適当に答えた。そういうことはお年寄りにでも聞けばいいのに。
振り切ろうとさっさと歩いていく。だが。
「こさにめ様って、なに?」
「こさにめ様って、なに?」
「こさにめ様って、なに?」
…………しつこい。
女は諦めるという言葉を知らないナポレオン系女子のようで、何度も何度も、借金の取り立てに来た闇金業者のごとくしつこく僕に訊いてきた。
もう面倒だ。無視をするのも限界。むかつくし、少し怒鳴ってやろうかと――そう思って振り返ろうとした矢先。僕は身体のバランスを崩した。
足を引っかけられた?
いや、違う。
右足の大腿部と
「……こ、こさにめ様に遭った…………? 今……?」
触るまでもなく分かる。膝だけが、消えていた。起きている時に遭うなんて、珍しい話だ。滅多に聞かない。
「へえ、そういうのを『こさにめ様に遭う』って表現すんだ」
僕の足を見て、女は興味深げに言った。
「……見世物じゃ、ないんですけど」
「ああ、これは失敬。今まで色んな偽病を見てきたつもりだけど、珍しくてさ、こういう神隠し的なのは」
「神隠し……?」
「そ。普通の神隠しは人を丸々さらうものだけど、ここのは身体の一部を神隠しするみたいだね。だからこそ、病として認知されてるんだろう」
「――なんか、色々と知ってる口ぶりですけど、何者なんですか。あなた」
すると、女はにっこり笑って僕に手をさし伸べてきた。
「私は
◆
――もしかすると、君は消えずに済むかもしれない。【こさいにま病】とやらを、根絶する方法に心当たりがある。
女はそんなことを言った。期待するなとは言われたが、僕とて死にたいわけじゃない。それにこれ以上、ばあちゃんや学校のみんなの、曇った表情を見るのも御免だ。
僕は三咲に言われるがままに寂れた社の場所を教えることにした。昔、小学校の裏山の中で見た覚えがあったのだ。小さな石造りの鳥居と、寂れて誰からも忘れ去られたような社を。
僕は脹脛から先の足を抱え、三咲に肩を貸してもらいながら小学校の裏山へ入った。記憶が定かでないから、見つけるにはけっこう時間がかかるものと思っていたが――案外とあっさりそれは見つかった。
「なるほど。たしかにこれは、かなり膿んでるね」
社の前に着くなり、三咲は笑みを顔に貼り付けてそう言った。
「それじゃ、そこの木の幹にでもよりかかって待ってて」
「どうするんだ?」
返事はなかった。
三咲はスカートの中から小刀を取り出すと、演舞を開始する。独特の節がついた言葉を唱えて、社の前で舞う。やがて、三咲は社の前で跪いて止まった。小型を持ち上げて、ちき、と鞘から刀身を抜く――と、そこで気付いた。
その小型には、柄から先がなかった。あるべきはずの刀身が存在しなかったのだ。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神……筑紫の日向の……」
そのまま、刀身のない小刀を掲げて三咲は何かを唱えた。そして、それが終わったかと思うと、す、と刀を振り被って――勢いよく振り下ろした。
何かが、両断されてするすると断面を滑り落ちてゆくのを幻視する。
三咲は刀を鞘に収めると、一息ついてこちらへ振り向いた。
「――よし。ちゃんと戻ってるみたいね」
「戻ってる?」
「その足。ちゃんとくっついてるでしょ」
言われて、はじめて気付いた。いつの間にか僕は、ちゃんと両足で立っていた。もちろん、膝だけが欠けてるなんてこともない。
「SPD――Spreading Pseudo-Diseaseっていうのがあるの。この町だと、こさにめ様に遭うってやつがそれね。こんな風に古びて誰からも忘れさられた社に宿る神性が、局所的病となって文化的ミームの継承者を冒す……まあ、非医学的な病気の一種。偽病って私たちは呼んでる。それを今、私は治癒したの」
「治癒……?」
「まあ、患部を切除したって表現のが正しい気もするけど。これでもう、町の人達の身体が神隠しに遭うこともないと思う」
「はあ…………」
つまり、今の儀式みたいなものでこの町の人たちみんなまとめて治してしまったということだろうか。理解しきれているとは言えないが、僕の膝が戻っているところを見るとそれは事実らしい。
「…………本来なら、事実が改竄されて初めからなかったことになるから君の記憶からこさにめ様のことも消えてるはずなんだけど――まあ、立ち合っちゃったからかな、これは」
「なかったことにって……じゃあ、それで消えた人達も返ってくるのか?」
「いいや。残念ながら死んだ人は別の要因で死んだことになる。たいていは、不慮の事故とか尋常の病とかだね」
「……そう、ですか」
僕は左手で口もとを押さえようとして――気付いた。
「あれ? まだ、手が戻ってない……」
「手?」
「左腕も、こさいにめ様に持ってかれたはずなのに、まだ返ってきてない……」
「妙だな……時間差で治癒するということはないはず――――」
「じゃあ、まさか」
「ああ。大急ぎで町に戻ろう。状況を確認する必要がある」
――この時の僕はまだ知らなかった。この町が永きにわたって、複数の偽病に冒されていることも、僕達を「痾隴気」と呼ばれる偽病ふぁ待ち受けていることも。
まだ、何も知らなかった。
(了)
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