2021年1月
文芸部顧問の苦悩
自慢じゃないが、我が文芸部はけっこう凄い奴らが集まっている。
どこどこの文学賞で賞をとったというたぐいの話はとんと聞かないが、部員それぞれが持つ一芸はいずれも抜きん出てるのだ。
たとえば、三年生の
あるいは、一年生の
此花の幼馴染だという岬は流麗な舞いをして見せる。聞くところによると神社の娘で、神事としての神楽の動きを昔から習ってきたおかげなんだとか。
二年生、この部の副部長である芹澤は腹話術の達人だ。小説の執筆中、口を真一文字に結びながらも書いた文章を読み上げ、音韻を確認している姿は我が部の名物と言えるだろう。
そして、部長の烏羽。あいつはとりわけ器用だ。なにもないところからハトを出すといったマジックならお手の物。ピザ生地を渡せばそれを見事に回し、焼き上げるし、両手に持ったけん玉でそれぞれ別々の技をくり出すことさえして見せる。バルーンアートで実物大のヒグマを作った時にはさすがに目を疑った。
――と、まあ。こんな具合に特異なまでに個性的な一芸持ちが集まった文芸部である。顧問として、俺は正直楽しんでいた。
小説――いや、創作物をもっとも魅力的にする素材、それはリアリティだ。地に足のついた感覚、固く、確かな地面の上で展開される物語。読者自身の体験談ではないからこそ、創作物にはリアリティが欠かせない。
そして、リアリティを得る手っ取り早い方法とは、体験することだ。自分が体験したことをそのまま書けば、それだけでリアリティが生まれる。なにせ、現実にあった出来事なのだから。
ゆえに、特異な技能を持つ彼らの書く小説は一癖も二癖もあってとても読み応えがある。有り体に言って面白い。
平々凡々とした人生を送り、なんとなくで教職に就いてしまった俺にしてみればまったく眩しくて敵わない。
こんな人間があいつらを導く、顧問という立場をやってていいのか……そんなふうに思うことすらあるくらいだ。
「かくし芸大会?」
だから、その提案を聞いたときには困惑よりまず、恐怖を覚えた。
部長の烏羽は、いつもの何を考えているのかよく分からない、涼しげな顔で言う。
「ええ、かくし芸大会です。……夏に行う合宿、単に執筆したりみんなで映画を見たりするだけでは夏の思い出としてはいささか、盛り上がりに欠ける気がしまして……。若輩者の私が言うのもどうかと思いますがほら、青春ってあっと言う間じゃないですか。みんなが本気になる機会を設けなくては、味気ないまま終わってしまいます。ですので、みんなでかくし芸大会をやろうと」
「それはたしかに盛り上がるだろうが……なあ、烏羽。さっききみは、俺にも参加してほしいと、言わなかったか?」
「能ある鷹は爪隠すと言います。加藤先生のかくし芸、みんな気になっているんですよ」
烏羽は涼やかな表情のまま、にこりと微笑んだ。
教え子のペースに押し切られるというのは教師として非常に不本意であるが、俺はどうにも辞退するとは言えなかった。
きっと、烏羽の言っていた「本気」という言葉が棘のように刺さっていたのだ。
すべてがなんとなくで生きてきた俺にその言葉は、深く、突き刺さる。
本気になれば、全力を費やせば、何かが変わる――そう願っていた。そして、本気になる機会を偶然にも与えられた。
あんなすごい奴らから先生として多少は尊敬されている。
なら、本気を出さないわけにはいかない。
期待を裏切りたくはない。
夏休み合宿までのおよそ一カ月、俺はひたすらに芸を磨いた。僅かな余暇時間をその芸に費やし、ついに合宿当日を迎えた。
「先生、今日はどんな芸を披露してくださるんですか?」
「それは今夜のお楽しみだな」
「おや、自信のありそうな顔」
手応えはあった。これならイケる、という確信めいたものが。
俺が練習したのはボイスパーカッションだ。ちまたで大人気だし、教材となる動画もネットにあふれるほどある。
これならこいつらをあっと驚かせることができるに違いない――!
「一年、此花ここ実。ボイスパーカッションやります」
「一年、岬ななき。三味線やります。曲はオリジナルです」
「三年、汀蓮陽。受験勉強の苦難の記録を弾き語りします」
「二年、芹澤晴雄。出会い系生主のモノマネします」
「二年、烏羽ぬえ。一人ヘビメタバンドやります」
……こんなはずじゃなかったんだがなあ………………。
「せんせー? どーしたんですかぁ? トリですよオオトリ! がんばってくださいって!」
「ちょっとここ実……そういう言い方やめなよ。なんか煽ってるみたい」
「大丈夫っすよ。先生が何やろーと芹澤レベルにスベることはないんで」
「はぁっ!? 先輩に言われたくはないんですけどぉ! ……ていうか、僕の女声、そんなクオリティ低かったですかね……?」
「大丈夫だよ、芹澤くん。あの声で自作小説の朗読劇をやってれば拍手喝采は確実だ」
「部長なにげにひどい……」
「――それで、先生は一体何を見せてくれるんですか?」
正直、一カ月近くの……教師と生徒、そりゃ余暇時間に差はあろうが……短い期間にこれほどの芸を身につけたという事実が恐ろしかった。そして、そんな連中と自分を比較されることが何よりも、恐ろしい。
……本気で習得しようと、時間を費やしたからこそ、自分の芸が大したことないものだと見做されてしまうのが、嫌なんだ。
――中島敦の『山月記』を思い出す。
尊大な羞恥心と臆病な自尊心……だったか。今の俺を蝕むのは紛れもなくそれだろう。
……これは、虎になるわけだ。
現国教師が聞いて呆れる。俺はいま、ここにきてようやく日本人なら誰もが知る短編を理解できたというのだから。
顔を上げる。
前を見る。
俺の芸を待つ、虎にならなかった生徒達が、虎になるかどうかの瀬戸際に立つ俺をじっと、凝視している。
固唾を呑み、息を吐いた。
覚悟の音はささやかに、しかししっかりと俺の口から吐き出される。
マイクを握り、眼鏡の位置を直して、声を出す。
「――文芸部顧問、加藤篤史。……此花とダブるが、ボイスパーカッションをやります」
拍手喝采なんて望まない。
期待に応えられるという確信は彼方に消え去った。
けれど、それでも。
先生として、そして初めての本気に報いるために俺は、自分にできる全力を見せる――!
結果は想定以上のものだった。
だがやはり、気恥ずかしい思いはあるし、自分の未熟さを嫌というほど理解させられることになった。二度は正直、やりたくない。
それでも、俺が芸を披露し終えたあとに見えたあの光景は、悪くなかった。
「……今年も期待してますよ、先生?」
「ああ、期待に応えられるよう、頑張るよ」
――もう一度、挑んでみてもいいと思えるくらいには。
(了)
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