焼肉パラドクス

 数学の試験結果が散々だった「数学研の汚名」こと飯尾、鳴滝、百目鬼の三人はお疲れ様&慰め会と称して人気焼肉チェーン店に来ていた。


「かんぱーいっ!」


 まるで満点を取ったかのような笑みでグラスをかちんと鳴らす三人だが、一人残らず赤点である。


「いやー、今回の試験は楽勝だったな……前回より4点も上がったぜ」


 と、誤差を堂々と誇るのは飯尾・あつし。中学時代は野球漬けの毎日を送っていたが、高校に入ってからした初恋のためにメジャーリーガーの道をすっぱりと捨て去った熱血漢である。


「ふふん。あたしだって点は上がったんだから。一夜漬けでゼノンのパラドクスを暗記した甲斐があったわ」


 と、無意味な行いを誇るのは鳴滝・夏蓮かれん。身長が低いのを気にする数学研のマスコット的存在であり、この三人の中では唯一、先輩から快く受け入れられている天然愛され女子である。


「……あっはっは! まさかケアレスミスでトータル80点減点なんてねぇ! 笑うしかねえや!」


 と、瞳を潤ませるのは百目鬼・しず。高校入試のマークシートで解答番号間違いからの全問不正解を叩き出してからというもの、ケアレスミスで赤点を取るようになってしまっていた「数学研の汚名」唯一の秀才である。


 三人は三人とも異なる事情を抱えているものの、「数学研の汚名」として一纏めにされているうちになんとなく仲良くなり、一学期の期末試験が終わる頃にはみんなで焼肉に行くような仲となっていた。


 各々好き勝手に注文して、焼肉が来るのを待つ。

 こういう場では基本的に割り勘で支払うのが三人の不文律だった(しかし割り算すら覚つかない者もいるので、金銭的余裕の一番ある百目鬼がこっそりと毎回、他より少しばかり多く支払っている)。


「なーシズよぉ。お前なんでそんなケアレスミスしちまうんだよ?」


 飯尾が言った。


「……それが分かればここには居ないと思いますよ?」

「ちくちく言葉だ! シズさんや、言っていいことと言っちゃいけないことがあるんだよ?」

「……ん? 悪い、どういうことなのか俺にも説明してくれ」

「アッくんは知らなくていいんだよ~。シズさんも、そういうこと言わない! ここに居る三人は仲間なんだから!」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、なんだか釈然としないなあ……」


 百目鬼はカルピスをちびちび直飲みしながら肩を落とす。放っておいたら頭からキノコでも生やしそうな陰気さである。

 鳴滝はそんな百目鬼にあまり触れないようにしつつ、飯尾に話を振った。


「あっ。そういえばアッくんってさ、今回はあたしたちの間で一番点が良かったよね?」

「う゛っ」


 百目鬼に被弾した。


「おい、百目鬼……? どうしたんだ」

「ああ、気にしないで気にしない! ホラ、カルピスがヘンなとこに入っただけだから」

「ちょ、叩くのやめ、ゲホッ、ゲホッ」

「……そうか? 健康には気をつけろよ?」

「あ、あっはははー……」


 ――肉はまだか。


 鳴滝は注文した肉が到着するまで、一瞬たりともリラックスできなかった。


 ◆


 肉が到着してからは飯尾の独壇場だった。


「ほれ、そっち焼けたぞ。このブタもいい頃合いだな。ほれ、カルビ食え」

「アッくんって意外と焼肉奉行なんだね……」

「ん? まあ中学ん時に先輩からシゴかれたからな。ついつい仕切っちまうんだ。もしかして、嫌だったか?」

「う、ううん! そんなことないよ! ね、シズさんっ!」

「ふふんんふふぁふぁ、ふぁふぁいふぇんふむんふふ」

「ほらっ! シズさんもこう言ってる!」

「俺には何て言ってるのかさっぱりなんだが……?」

「ムカつくけどたくさん肉を食べさせてくれるからうれしい、です」

「お、おう。そんじゃどんどん食え」


 飯尾は百目鬼の皿に次々に肉を盛る。皿に収まり切らなくなった肉を百目鬼は白飯の上に置いていくので、ちょっとした丼めいた様相になっていた。


「で、鳴滝はそんくらいでいいのか?」

「え? ああ、うん。あんまり食べすぎると太るからね」

「う゛っ」


 百目鬼がむせた。


「あれ? 大丈夫?」

「……へ、へいきへいき。うん。太るね……肉だもんね、そりゃ太るわ……」

「シズさんはむしろ痩せぎみだし、もうちょっと脂肪つけてもいいと思うけど?」

「あの、そういうことここで言わないで……だん、……飯尾くんだっているんだから」

「気にすんな。俺は姉ちゃんが二人、妹が三人いるからそういう話聞かされたって気にならん。ていうかそのくらいなら気にすることないんじゃないか? 俺の一番上の姉ちゃんだって毎日そのくらいの肉を食ってるがデブってねえし」

「……それは、飯尾くんのお姉さんが特殊なだけだと思う……」

「あーなんかそういうことあるよね。焼肉のパラドックスっていうのかな」

「なにそれ?」

「同じ分量の焼肉を食べてるのに、なぜか太らない人となぜか太る人となぜか痩せる人の三種類がいるって話」

「……それ、パラドックスって言わなくない?」

「えー。だって矛盾してるでしょ? 同じだけ焼肉食ってて太ったり太らなかったりするのは絶対不平等だって!」

「そういう話なら俺にも心当たりあるぜ。人間って、同じ千本ノックを毎日やっても、体壊す奴と体壊さない奴と健康になる奴の三種類に分かれるんだよな」

「前者二つはともかく最後のは何……?」

「単にデブってただけじゃない?」

「ああ、あれがダイエットになってたのか。あいつはすごかったなー。最後は部のエースになって中学生なのにプロ野球チームからスカウトまで貰っててさ」

「そこまでいく!?」

「あーれはマジびびったわ……人間、やろうと思えばやれるモンなんだなって……」


 そこで、飯尾ははじめてトングを置いた。


「――だからさ、俺たちも諦めずに頑張ろうぜ」

「……うん」

「そう、ですね……」


 ここに集った三人――「数学研の汚名」とまで呼ばれた彼らは諦めないと誓い合う。バラバラな彼らではあるが、いま、この瞬間だけは心を一つにしていた。


「……………………あ、よく考えたら俺が食う分の肉ねぇじゃん。ワリィ百目鬼、食わないんだったらそれ貰うわ」


 飯尾が百目鬼の肉が乗った皿と白飯入りのお碗(食べかけ)を取って箸をつける。

 あまりに自然なその動きを止められる者は、誰もいなかった。


「あっ……」


 その日、百目鬼ははじめてきっちり三分の一の料金をそれぞれが支払うことを二人に要求した。


(了)

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