魔法も幻想もすべては――

 鬱蒼とした森の中は生き物を襲う積極的食肉植物、それらに食われぬよう独自の進化を遂げた超常生命の生息地と化していた。外界の生命が迷い込めば、逃げ出すこと能わず。エサとして、食われるしかない――そんな無慈悲な場所だ。


「――炎は剣に宿れ。この意に従うままに」


 森の中に、一つ、灼熱の光が起こった。剣に炎灯し襲い来る植物を焼き、払い退けるのは一人の青年だ。


「サクラ! 森の出口まであと何キロ!?」

「500キュレンです!」

「ああ畜生! IS単位系持ってこい!!」


 半ばパニックに陥りながら傍らの精霊に文句飛ばすのは勇者、カカサギ・トーマ。この世界に召喚された異世界人である。


「とりあえず北! 北にあとちょっとです!」

「……なあサクラ、今オレたちが進んでるのって、東だったりしない?」

「はい! なので方向転換推奨です!」

「……オーケー! なんとかするっきゃねえな!」


 ――そんなこんなで森を脱出すると、トーマは疲労と心労とツッコミ疲れで倒れ伏した。もう一歩も、歩けそうにはない状態だ。


「なにやってるんですか! ノイマンさんの屋敷がもうちょっと進んだとこにあるんですよ!」

「エネルギーが常に外部から供給されてるお前と違ってなぁ……こちとら燃料内蔵式なんじゃい……ああ、天の川銀河が見えるぜ……」


 そんな状態でもサクラにツッコミ続けるのだから、まったく生真面目な男だ。トーマを内心、自嘲する。

 ……薄れゆく意識の中、サクラのこちらを急かすような声が聞こえる。


「あっ! 大賢者の屋敷から変な女の子が来ましたよ! 動いて! ホラ! 寝てる場合じゃないですよ! 動きなさい! トーマさん! ホラ! あっ、もう駄目です! 目が合いました! 死んじゃいますよ! 死にたいんですか!? 世界を救うまで死なないって約束はどこ行ったんですか! 壊れちゃったんですか! 直れ! 直れ! ……あっ、私、実体ないから叩けないんでした」

「う、る……せぇ……」


 トーマは、意識を手放した。


 ◆


 トーマは夢を見ていた。

 かつて、こちらの世界に召喚される前の夢だ。前の世界でトーマは宇宙飛行士を目指していた。科学の最先端を駆け抜け、人類未踏の世界、宇宙に挑むことを止めない彼らの姿勢に惚れ込み、自分もそうなりたいと願った結果だった。

 物理学、数学の勉強は当然のこと、肉体のトレーニングも欠かさなかった。その結果として、高校時代はあらゆる部活から勧誘を受けた彼だったが、スポーツに魅了されるということはなかった。

 ……あの頃は、満たされていたな。

 トーマは、この世界が夢の中だと自覚して、そんな感想を抱く。

 宇宙飛行士という夢があって、周囲もそれを応援してくれて、そして夢に向かって進んでいるという確かな手応えを感じることができた、あの頃。

 魔王、などという良く分からないものを倒すために冒険を強いられている今とは違う。

 今は今で、そう悪いものではないと思うが……それでも、自分の内に空虚なものがあるという感覚は拭い去れない。

 魔法は魔法で、この世界は幻想が現実のファンタジー。

 それは、あらゆるすべてが理屈で説明可能だという「希望」に満ちていたかつての世界とは大きく違っていた。


「……きて」「おきて」


 声が聞こえる。

 トーマは、柔らかな少女の声に導かれるようにして、夢の世界から帰還した。希望ユメのない、幻想まみれの現実へ。


 ◆


「お、目を覚ましたね」


 トーマが最初に見たのは、幼い少女の顔だった。さらさらの金髪をヘアバンドで後ろに流している少女は、良家の子女のようで、どこかに品を感じさせる。


「……あなたは?」

「きみが探し求めていた人だよ」

「?」

「つまり、ノイマン。悪魔の頭脳の名を戴く者。何の因果かこの世界に召喚された15代目のフォン・ノイマンだ」

「……???」

「おや。ワケが分からないと言った様子だね」


 トーマが身を起こすと、少女は一歩後ろに下がってくるりとこちらに背を向けた。窓ガラスに映る表情は、いたずらっぽい笑みのように見える。


「……さて。きみが分からないのはどういう理由からかな。自分のほかに召喚された人間がいたことか、フォン・ノイマンと名乗ったことか、あるいは、15代目の部分か。まさか、きみのような理知的な人間が『こんな幼女がフォン・ノイマンを名乗る?』などと90年代の年寄りのようなことを言うんじゃないだろうね」

「……15代目の部分です。どういうことですか? フォン・ノイマンという名前は襲名制じゃなかったはず」

「うん。なるほどね。ということはやっぱり、この世界の召喚術は平行世界から任意のヒトやモノを呼び出すシステムのようだ」

「……あの、どういうことか」

「分からない?」

「ええ」

「……君はこれまで、けっこうな道のりを旅してきたと思うんだけど、何か違和感は覚えなかったかな? ファンタジー世界だというには、どこか妙だ――そんな感覚は」


 トーマは考えてみる。そして、一つだけ思い出したことがある。

 かたわらで眠りについている駄精霊、サクラについてのことだ。


「……そういえば、こいつ。立体映像みたいだなって思ったことがあります。そういうものだって流してましたけど」


 ノイマンが振り返ると、満足げに頷いて上を指差す。天井を見ろ、そう言っているようだった。


「……?」


 トーマが天井を見上げると、そこには惑星と恒星の配置を示す模式図が天井いっぱいに描かれていた。

 思わず、言葉を失う。

 それは、かつての世界で見たものとどこか、酷似して見えた。

 ノイマンが言う。


「光る5つの点が、この世界を構成する小世界――天界、精霊界、人界、魔界、魔獣界だ。あくまで私の想像だがね、あれらはすべて、惑星、ないしそれに近しいものだ。例えば、精巧なコロニーとかね。さて、この配置で何か、思い出すことはないかな。巨大な恒星と、巨大な惑星。そして小さな天体……」


「――ラグランジュポイント!?」


 ノイマンが手を叩く。


「そう! きみが期待通りの男で良かったよ。……この世界は、おそらく我々の世界よりも遥か未来に存在する、理知の法則によって魔法が実現されている世界だ」


 トーマにとって、ノイマンの言葉は祝福にも等しかった。


「……じゃあ、この空を覆う天蓋さえなんとかすれば、ロケットを、宇宙船を作り、オレは……宇宙に行ける……?」

「然り。魔王とやらをなんとかせねばならないのは変わらないが……少年。きみがことを為したあかつきには、ともに星の海原へと飛び出そうじゃないか」


 ノイマンの差し出す手を、トールは興奮とともに握った。

 凍てつきかけていた心に、再び火が灯った。


【続かない】

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