お題:【病】をテーマにした小説

「——はい。ええ、そうですね。ええ、それでは失礼します」


 スマートフォンを耳から離して通話を切る。電話が終わるとそれまでも聞こえていたはずの雨音が、今更になって耳につくような気がした。 

 長雨が続きどうにも気が滅入る6月のことだった、彼女の死を聞かされたのは。





「私はね、不治の病に罹っているのよ」


 初めて出会った時、彼女は唐突に告白してきた。


「……ねぇ、何かないの?かわいそうーとか、おいたわしやー、とか」


「いえ、その、お嬢様とあまり話さないように言われておりますので……」


 口ごもりながら答えると彼女、御門みかど悠理ゆうりさまは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。成人式を来年に控えているとはとても思えない子供のような振舞だが、それが似合ってしまう不思議な空気を纏っていた。長い長い黒髪は腰より下まで伸びているがしっかり整えてあり、ベッドに腰かけている今の様子と合わさってまさに深窓の令嬢と言った雰囲気だ。そういった全体的な雰囲気とは対照的に幼い印象を受ける大きい目や柔らかそうな頬が、アンバランスな美しさを引き立てている。


(スイカに塩をかけるような……いや、少々喩えが庶民的過ぎるか)


「ねえ、話を聞いていらして?」


 どうでもいいことを考えていたところにまたしても話しかけられてしまい、僅かに動揺してしまう。


「いえ、ですからあまり話さないようにと……」


「だから、私は勝手に独り言を言うことにするわ。あなたがそれを聞いて独り言を言ってくれたら私もまた独り言を言う。これなら話したことにならないんじゃない?大丈夫よどうせこの部屋のことなんて誰にもわかりっこないわ」


 どうやらうまくごまかせたようだが、それはそれとしてあまりにも屁理屈めいた提案はどうしたものだろうか。しかし、私の反論を待つまでもなく悠理さまは宣言通り独り言を話し始めた。


「不治の病よ、不治の病。白血病や癌じゃないわ。あれらは治すのが大変なだけで、絶対治らないわけじゃないでしょう?私のはね、本当に治せないの」


 そこで独り言は止んだ。きっとそれは私の独り言を待っている、ということなのだろう。


「えーっと、そうですね……かわいそう、ですね」


「ちょっと!そんな感情の籠っていないセリフってある!?同情するにしても憐れむにしてももうちょっと言葉に心を込めなさいよ!」


「独り言、ですので……」


 どうやらその返答まで含めて不満だったようで、悠理さまの独り言はそのまま続行された。


「いいかしら?この病気はね、現代でも症例が異常に少なくて全然治せない病気らしいのよ。移植をしたって治せない、薬も手術もダメ、そして私はあと半年で死んじゃうの。未成年のまま死んじゃうのよ!?恋愛も結婚もまだできてないのに、そんなことある!?」


「ちなみに、なんという病気なんですか?」


「えーっと、なんだったかしら?ナントカ異常症って言ってたんだけど、あんまり詳しくは覚えて無くって」


 数秒ばかり悩んでいたが、それはさておきと言わんばかりに独り言が再開された。


「別に病気の名前なんてどうでもいいのよ。ただ私はこのまま死んじゃうのが嫌なの、せっかくこんな美少女に生まれたって言うのに恋も知らなくてちやほやもされないまま死ぬだなんて世界の損失だと思わない?」


 美少女やちやほやはさておき、確かにかわいそうだと思った。けれどそれがどうにも違和感を覚えてしまい、違和感はそのまま口を吐いていた。


「お嬢様……悠理さまは、憐れんで欲しいのですか?」


 ぴたりと、さっきまで饒舌だった悠理さまの口が閉じた。


「んなわけないじゃん。私がしたいのは恋したりちやほやされながら生きていくことであって、かわいそうだなんて言って欲しくもないわ。あなたなかなかいいじゃない」


 まだ少し気丈さは残っているが、それでもだいぶおとなしくなった姿に不覚にもドギマギしてしまう。それを可能な限り悟られないように表情を抑えながら答えた。


「お褒めに預かり光栄です……と言えばよろしいのでしょうか」


「ん、まあいいことにしときましょう。それよりあなた、気に入ったわ。お願いがあるんだけどいいかしら?」


 すっかり独り言という体裁が無くなっていることに気付きつつも、私はハイと頷いた。


「あのね、あと半年くらいの間……私の恋人をやってくれないかしら?せめて恋のひとつくらいはしておきたいのよ」


 予想はできたが、それでも実際にされてしまうと驚いてしまう。そもそも私は恋愛にそれほど慣れているわけでもないのだ。悩んで、悩んで、そして――


「ごめんなさい」


 はっきりとそう言ったことは、決して忘れない。





 何日も降り続く長雨に嫌気がさしながら、ガラス窓越しに空を見上げた時、電子音と共にポケットのスマートフォンが震動する。手に取って相手を確認すると、そのまま耳に当てて電話に出る。


治部おさべ君か?私だ、御門だよ」


 かつての雇用主の声に、そのままハイとだけ返答する。


「ああ、よかった。昨晩手筈通り悠理は死んだ。いや、あくまでも凍っているだけではあるのだが……わざわざ説明するまでも無いか。なにせこれはなのだからね」


「ええ、そうですね」


 半年前、私は悠理さまからの告白を断った。その後家の主人の御門みかど宗一郎そういちろう様に提案したのだ。


「悠理の病が治せる時代までコールドスリープで眠らせる治療法、私が何を言っても嫌がっていたあの娘がよく納得したね?私はもちろん異論はないが……君の方はいいのかね?」


「ええ、それでは失礼します」


 スマートフォンを耳から離して通話を切る。電話が終わるとそれまでも聞こえていたはずの雨音が、今更になって耳につくような気がした。


「それにしてもよく納得してくれたものですよ……私がお爺さんになっていたとしてもいいならば付き合う、だなんて確証のない返事に」


 あの日のことを思い出す。半年で死ぬ人間の思い出のために付き合うことはできない、けれど治ってからならいいと。自分を大切にしてほしくて断ったつもりだったのだが、どうやらそれがコールドスリープを受け入れるきっかけになったらしく結果として今に至る。


「女の子にあそこまでさせたら、こちらが男を見せないわけにはいかないですからね」


 荷物の支度は済んでいる。これから始まるのは長い長い、終わるのかすら分からない旅だ。金をかけて見つかる範囲のあらゆる治療法を御門総一郎が、そして金をつぎ込むだけではなかなか見つからないような眠っている人材や或いはオカルトめいた治療法を私が探す。寿命が尽きる前に見つかるかもわからない旅を目前にして、私は少し浮足立っていた。


<了>

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