お題【千円札】をテーマにした小説

穏やかな春の陽光が差し込む事務所の中、探偵郡山こおりやまあきらは安楽椅子椅子に腰かけたまま両手に持った千円札を睨んでいる。


「あのー、郡山先生?何見てるんですか?」


「見ればわかるだろう左沢あてらざわくん。千円札を睨んでいるのだよ」


せっかく問いかけたというのに1ミリも情報が増えなかった。いくらなんでも見れば分かるようなことを解説されるのは普通なら馬鹿にされているのかと憤るところだが、私こと左沢あてらざわ美晴みはるが郡山先生の助手となってからかれこれ5年もの月日が経っており、それだけの時間があれば決して私を馬鹿にするなんて意図が無いことはわかっている。あれは単に、本気で全人類を見下しているせいで1から10まで説明する必要があるのだと思っているに過ぎないのだ。


「……それくらいは見ればわかります。千円札を睨みながら何を考えているのかとか、何のために千円札を見ているのかとか、そういうことを聞きたいんです」


「ふむ、そうだったか。これはだね、依頼のために見ているのだよ」


「依頼、ですか?」


思わず首を傾げてしまう。いくらなんでも依頼料ではないだろう。安すぎるし、なにより郡山先生がじっくり観察するとは思えない。順当に考えれば千円札の持ち主を探して欲しいとか、そんなところだろうか?だが落とし物ならば普通は警察にでも届ける方が適切だろう。


「そう、依頼だ」


私の思考が答えに辿り着くのを待たずに郡山先生は喋りだす。


「ちょうど君が留守にしているときにね……1人の男性が訪ねてきたんだ。この千円札をに渡して欲しい、とね」


「それはなんていうか……変な依頼ですね」


そう。変な依頼だ。わざわざお金を渡して欲しいなんて探偵に頼むことだろうか?面と向かって渡すのが嫌ならば封筒に入れてポストにでも突っ込めばいいだろう。


「うむ、変だ。なにせ……誰に渡せばいいのかを、彼は言わなかったのだからね」


「――へ?」


変、の方向性が予想とは違っていて思わず目を丸くしてしまう。だってそれでは依頼として成り立たないではないか。


「うむ。依頼にならないだろうという顔をしているな。私もそう思う。何故千円ぽっちを渡すのか……誰に渡せばいいのか……何故自分で渡さないのか……この依頼はわからないことだらけだ。はっはっは」


「いや笑ってる場合じゃないですって!」


思わず声量が大きくなってしまう。先生が言うとおりこの依頼はあまりにも不可解で、それを一切気にしていない様子はいくらなんでも苛立ってしまう。


「依頼人の連絡先は聞いてるんですよね?早く連絡したほうがいいんじゃないですか?」


「いや、その必要はないよ。なあ左沢くん、そこに置いてあるファイルの中を見てくれないか?」


先生の指差す先、机の上にはA4サイズの黒いファイルが置いてあり私は言われるがまま手に取って中を見る。それは普段から使っている依頼人の情報をまとめたファイルであり、当然私にも見覚えがあるものだった。ただしその中に1人、私の知らない名前が真っ先に飛び込んでくる。


長井ながい雄一ゆういち……この人が千円札の依頼人ですね?」


「そうだ。そして――これを見ろ」


そういうと先生はタブレット端末の画面を私に向けて見せつける。写っているのは何の変哲もないニュースサイトで、今日の天気や芸能人の不倫など多様なニュースがそこかしこに配置されている。その中にひとつ、嫌でも私の目を引く見出しがあった。○○県在住の若き資産家が死亡。名前は――長井雄一。


「これって……依頼人はもう死んでるってことですか?」


「さぁ?それはわからんさ。ただ不思議なことに依頼人、長井雄一から聞き取ったプロフィールやその他の情報は間違いなく資産家長井雄一と同一のものだ。そして君に言われるまでもなく電話して、それは繋がらなかった」


死んだ資産家と同じ名前を名乗った不可解な依頼人、私はこれを偶然で片付けることもできる。なにせ少なくとも片方の長井雄一はニュースに取り上げられる程度には有名なのだ。偽名として名乗ってもおかしくない。ただ、少なくとも郡山旭はそう考えないであろうことを、私は知っている。


「依頼人の長井雄一は本人なのか?それとも単なる偽物なのか?――そんなことはどうでもいい。私にとって必要なのはこの千円札を誰に渡せばいいのか、それだけだ。そしてそのために必要な行動はもう見えた」


「え?もうですか!?」


「うむ。


――予想外の発言。きっと今の私はひどい間抜け面を晒しているだろう。


「あの、本人って……連絡がつかないんですよね?」


「何を言う。聞き取りによれば間違いなく依頼人は資産家の長井雄一だぞ?」


「いやそうですけど、それが本人かもわからないわけで……」


「はっはっは!何を悩んでいるのかね?本人かわからないというならば……


「――あ」


言われてみれば、その通りだ。この依頼にはよくわからないことが多すぎて、何をすればいいのかすらわからなくて、数少ない手がかりすらはじめから信じるという発想が抜けていた。


「何故千円札を渡すのか!何故依頼人は自分でやらないのか!誰に渡せばいいというのか!依頼人と資産家に何の関係があるのか!……そんなものはね、取り敢えず目に見える情報を精査してから推理しても遅くないのさ」


そう言って先生は勢いよく安楽椅子から立ち上がるとてきぱきと外出の準備をととのえていく。


「左沢くんも早くしたまえ。これはただの直感だが……今回の依頼、なかなかヘヴィになるぞ?」


安楽椅子の似合うフィールドワーク探偵、郡山旭がやる気をだしている。それがどういう混乱をもたらすのかを私はイヤというほど知っている。それでも少しわくわくしてしまう。やる気をだしている郡山先生に解決できない事件もなく、必ず破天荒な結果をもたらすこともイヤというほど知っているから。


《続かない》

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