慰め魔女

夜が豚を食う。

慰め魔女

ここは月と星だけがピカピカと光るくらい、くらい森。

 ホー、ホーと優しいフクロウの鳴き声が聞こえてきます。覆いかぶさるような木の葉の隙間から星々が、ちらちらとこ覗いてくるようでした。

 耳を澄ませてみましょう。草むらからカサカサ、コソコソと何かが動く音が聞こえます。音の原因は、森の妖精です。わずかに緑色の光を纏う妖精はようやく草むらを抜け、窓から炎のような温かい光が漏れている小屋へ向かっていきます。

 この小屋には誰が住んでいるのでしょう?

 実はここだけのはなし、魔女が住んでいるのです。

 魔女といってもすごい魔法が使えるわけではありません。ただ森の動物たちと話すことや、少しの間空を飛ぶことができる魔法などが使えるだけで、あまりぱっとしたものは使えません。

 格子窓がついた木製のドアをゆっくり、ゆっくり開けると、紫色の髪をした少女と呼ぶには遅い、大人と呼ぶには早い、若い女性がマグカップを持ちながら本を読んでいました。なにやら難しそうな本です。

「おや。こんな時間にお客さんなんて珍しいね。まあ座ってよ」

 魔女はマグカップの中に入ったホットミルクを一口飲み、パタンと本を閉じました。

「また相談事かい?」

 妖精は頷きます。

「わたしはやっぱり嫌われているのかもしれないわ。だってみんなわたしの話なんかちっとも聞いてくれないんですもの。もうこんなところにいるなんて耐えられない。別の森に引っ越してやるんだから」

 魔女はやさしく包み込むような声で言います。

「きっとそんなことないよ。事実をひねって考えてないかい?」

 妖精はわずかに首を横に振ります。

「わたしがくまさんや、きつねさんに遊ぼうと声をかけても誰かと遊べたためしがないわ。いつも断られるわ。それに話していてもちっとも楽しそうじゃない。いつも上の空だわ」

 妖精の目からはぽたり、ぽたりと涙が零れ落ちます。

 そんな妖精をみて、魔女は柔らかく温かい手であたまをなでます。

「大丈夫。君は嫌われてなんかいないよ。私はあなたがいつも動物のみんなに優しくしていることを知っているよ。くまが怪我をすれば、傷を治してあげ、きつねが腹を空かせていたら木の実を取ってあげる。君の優しさに気づかない者も、もちろんいるさ」

 魔女は息を吐いては、吸って「だけど」という。

 魔女はホットミルクをまた一口飲みます。あたたかなマグカップから伝わってくるミルクの甘い香りが、身体の強張りを緩めていくようです。

 妖精は涙を流すことをいつのまにかやめていました。

 魔女はホットミルクを飲み終えると、「それに」といいます。

「どうやら君の優しさに気づいているのは私だけじゃないようだよ」

 すると妖精の後ろにあるドアから、コンコン、と誰かがノックする音が聞こえてきました。

 魔女が立ち上がってゆっくりとドアを開けると、そこにはくまや、きつねだけではなく犬や猫、うさぎなどの動物が果物をもって立っていました。

 一番先頭にいる耳のとがったきつねがいいます。

「ぼくたちいつも妖精さんに助けてもらっているから少しでも恩を返したくて、バレないように色々集めていたんだ。どうかこれからも仲良くしておくれよ」

 するとみんなが妖精に果物を渡します。

 妖精は声も出さずに泣いているのか、それとも笑っているのかわからない嬉しみの混じった顔をして、魔女をみます。

 優しい魔女は「ほらね」と闇の中で緩やかに照らす月のように笑います。

 

次の日、魔女の小屋に訪れる生き物がいました。

「おやおや。今夜はきつねどんかい。いったいどうしたんだい」

 今夜ここに訪れたのは、耳がとがり、身体じゅう土で汚れたきつねでした。きつねはとても疲れているようで、下ばかり見ています。何があったのでしょう。

「おいら、出来損ないってやつで、いつも狩りで失敗しちゃうんだ。どうしてこんなでくの坊が生きているのかな。お隣さんのきつねさんは女の子なのに、おいらよりずっと狩りが上手くできるんだ。なんでおいらはこんなに役立たずなのかな」

 きつねは前足で自分のあたまをポコポコたたきます。

 すると全身を温かく何かが包み込みます。

 魔女でした。

 魔女は弱くもない、強くもない確かな心が込められた腕できつねを抱きしめていました。トク、トクと心地よい振動が伝わってきます。

「君がでくの坊なんてとんでもない。君がいたおかげで助かった者はきっといるよ。そりゃあさ、きつねどんは狩りが苦手かもしれないけど、得意なことは絶対にあるよ。嫌いな自分だけを見るんじゃなくて、自分の好きな自分も見てみようよ」

 窓から覗く空は、今夜も一片の雲も見つけることができないまっさらな夜空は見ていると吸い込まれていくようで、だんだんと、だんだんと力が抜けていく。

 魔女はいいます。

「すこしだけ冒険してみようか」

 魔女はドアを開けてきつねと一緒にそとへ出ます。

 風は気持ちよく吹いていて、きつねの毛をふさふさと揺らしていきます。

「さあ。いこうか」

 魔女がいうと、きつねの身体がふわりと浮きました。

「今日はちょっと見方を変えるためにわたしと散歩でもしないかい?」

 魔女はきつねに言い聞かせるかのようにいいます。

 身体は疲れていましたが、言われるがままにすることにしました。

 魔法によって空を舞う魔女ときつねは森を抜け出して、人間たちがすむ街まで下りていきました。

 街は天にまで届いてしまいそうな建物ばかりでキラキラと光っています。

「この高い建物はビルっていうんだよ」

「びる?」

 きつねが不思議そうに聞くと魔女は答えます。

「そう。ビル。この中で色々な人が働いているんだ。このたくさんのビルの中には、なかなか成果を出すことができない人も中にはいるんだ。けれどね、その人は決して他人にはなれないんだよ」

 よく意味が分からなくてきつねは尋ねます。

「どういうこと?」

「きつねどんはきつねどんでしかなくて、他のきつねにはなれないんだよ。君はまだ気づいていないだけなんだよ。自分の価値ってやつにさ」

「狩りができなくっても、おいらに良いところがあるのかな。まだ期待していてもいいのかな」

「いいんだよ。今日おきた嫌なことなんて忘れちまってさ、明日の自分に期待しようよ」

 魔女にそう諭されるときつねは自分がヘトヘトなことを思い出して、眠くなってきました。

「おや、きつねどん。眠くなってきたのかい?」

 きつねはうとうと、むにゃむにゃ。

 すっかり眠くなってしまったきつねは指先から、そしてつま先から力が抜けていきます。そんなきつねをみて魔女はいいます。

「安心して。きつねどん。君が眠くなっても必ず家にまで送り届けるから。だから安心してお眠り」

 そんな言葉を聞いてきつねはゆっくりと、ゆっくりと瞼を閉じていきます。きっちりと張り付いた瞼はもう開くことができません。あたたかいような、ぬるいような風が身体をたしかに包んでいきます。それはまるで毛布のようでとても心地よいものでした。

「大丈夫。君はきっと眠れるよ。そしてね、眠ったあとには嫌なことなんてこれっぽっちも覚えていなくて、思い浮かぶのは楽しいことばっかりさ。だからもう今日はおやすみなさい」

 きつねが「おやすみなさい」というと身体がじんわりと暖まってきて、気がついたときにはもう、住処である草むらにいました。


翌日。今度は魔女のもとへくまがやってきました。毛むくじゃらで、図体が大きいくまは、魔女の小屋にはいることすら難しいようです。

「くまくん。君はどうやらこの小屋に入るにはすこし大きすぎたみたいだね。どうだろう。ここは外で話さないかい? ちょうど雲もないきれいな夜空だし、気温も暖かいからさ」

 くまは素直に魔女のいうことを聞くことにしました。魔女の言う通り夜空はどこも開けていないダイヤモンドみたいに美しくて惚れ惚れとするようでした。

 吹く風はたしかに温かさを保っていて傷ついた心を癒してくれるようでした。

くまについてきた魔女は草むらの上にレジャーシートを敷いて腰を下ろします。

「それで? 今日はどうしたんだい?」

 単刀直入にきかれてくまは戸惑ってしまいます。しかしそれが嬉しくもありました。この人は自分の話を聞いてくれる気があるのだということに。

 だから草がサラサラと音をたてるなか、くまは自分の話をすることにしました。

「最近何のために生きているのかわからなくなってきてしまったんだよ。この前まで僕には愛する人がいたんだ。けれど別のくまを好きになったからって一方的に振られた。それまで彼女のために蓄えていた木の実も、新しく作っていた住処もなんの意味もなくなってしまったんだ。こんな生きる理由も目標もない世界で僕はどうやって幸せに生きていけるんだろう」

 魔女はあごに手を当てて考え込みます。どうやら魔女にも難しい問題のようです。

 彼女の呼吸がだんだんと深くなっていきます。くまもそれにならって深呼吸してみます。

 スゥー。ハー。二秒間おいてまた、スゥー。ハー。

「くまくん。君は幸せになりたいかい?」

 そんな当たり前の質問にくまは悪びれもせずに頷きます。

「そうかい。どうしても幸せになりたいんだというのなら、秘策を教えてあげるよ」

 幸せに生きる秘策とは何でしょうか。

「それはね、どんなに不幸でも自分は幸せだと言い張ることさ。いくら痛くても、いくら辛くても自分はいま、絶対的に幸せなんだと思うことが大事なんだよ」

 くまは困ったように訊きます。

「それってとても苦しくないの?」

 魔女はすかさず言います。

「苦しいよ。幸せっていうのはだいたい苦しいものだよ。だからそんなに苦しむくらいならわざわざ幸せにならなくてもいいんじゃない? 苦しい幸せなら、楽な不幸のほうがいいと思うよ」

魔女はそう言って美しい空を見上げました。

「楽な不幸こそが自分にとっての幸せなんだよ。いちいち他人の幸せに合わせる必要はないよ」

 くまはその言葉を聞いて目から涙が零れ落ちました。

 自分でもなぜだかわからないようです。ただ慰められたことが嬉しかったのでしょう。

 くまの涙は今まで溜めてきた心の痛みを吐き出してくれるようで気持ちがいいものでした。

 今宵も森の魔女カップを片手には小屋の中でひっそりと、暮らしています。

 あなたも彼女に悩みを打ち明けてみてはいかがですか?

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