第52話 ご挨拶

 朝、目が覚めて布団から起き上がり、浴衣を脱いで男用の着物を箪笥から取り出した。顔の前に垂れてくる髪の毛を耳の後ろに掛けた後、朱雀后からいただいた装身具を唐櫃から取り出して身につけていく。

 青翡翠の勾玉を首に下げると、頭の角が消えた。次に、閃光銀の指輪を中指に嵌めると、今まで肩に掛かっていた長い髪が忽ち消えて、女らしい体つきが、男のものに変化した。

 そのまま傍らに置いていた着物を着て、清涼殿へ報告に上がった。


――――――――***――――――――


 姫君と共に虎の描いてある襖の前で待機していると入るように中から声が掛かる。

俺達がその襖を開けると、奥に、猛禽類のような鋭い目つきをしたお二人が俺たちを待っているので、肝を冷やしながら恐る恐る部屋の中に上がって、用意された座布団の上で正座して挨拶を申し上げる。

 当然、言葉は返ってこない。


「このたび、無事に元の姿に戻る事が出来ましたことをご報告させていただきます。」

 俺の言葉の後の沈黙は、椿様のひと言で破られた。


「どういうつもりかしら」

突然浮かべたその微笑みが、まがい物であると見抜けない奴はきっといないだろう。

その顔の裏に隠している感情に怯えないのは、もう、もはや人間ではない。


「百合」


底冷えするような声に、姫君の表情はサッと青くなった。


「雲雀に掛かった呪いを解くために、京へ行っておりました。呪いを解くために陰陽師の土御門様と面会する必要がありましたから、私も雲雀と共に」


「違うわ、百合。どういうつもりで、私達に無断で家を出たのかと聞いているのよ」

「お母様もお父様も、決して許可して下さらないではありませんか。」

「当たり前でしょう。年頃の娘が、家を出て外泊するなどもってのほかです」

 先程まで怯えていた姫君の表情がムッとなった。

「お母様もお父様も、そうやっていつまでもこの城の中に私を閉じ込めておくつもりですか?」

「そんなこと言っていないでしょう。」

「そう言っていますわ。」

「あなたの勝手な思い込みよ。」


 それを聞くと、姫君は思いきったように二人に言った。


「私は雲雀との結婚を考えております。無断で家を出たのも、そういう態度であると示すためで御座います。」

「け、結婚だとッッ!いかんッ、いかんぞッ。お前にはまだ早い。」

「そうです!」

聞き捨てならない事を二人がおっしゃったので、

俺はその口論に割って入って訴えた。


「話が違うではありませんかッ!元の姿に戻れば結婚を許可していただけると」

「ああ!?」

斎我殿が急に立ち上がり俺に刀を抜いたから、丸腰のままその場に立ち上がった。


「お父様ッッ!」

姫君が斎我殿を怒鳴りつけると、高く掲げられた刀を下ろして、またその場に座る。

その後、椿様が俺を真っ直ぐに見つめて言った。


「そんなこと、ひと言も言ってないわ」


「そうですか」

 椿様がそう言ったとき、姫君がひどく怒った顔で悲しそうに相槌を打った。

姫君のその表情を見て、椿様はばつが悪そうにそっと姫君から目線を逸らした。


 沈黙が数秒間。


それを、姫君の静かな声音がそっと破る。


「このたび京を訪れた折に、お母様とお父様に御報告する事ができましたので御報告させて頂きます。」

「何かしら」

「この度の戦で疲弊した國に援助をして下さった御礼を朱雀后様に申し上げた折、雲雀を京の左近衛少将として引き立てて下さるとお話をいただきましたの」

 その言葉を聞くと、二人の顔が急に曇った。

「また人材を失うのですね」

 姫君の言葉に、斎我は困ったような顔をして、俺に尋ねてくる。

「京へ、行くのか」

それに応えるのは姫君だ。


「この國に雲雀が捧げた功績は計り知れないもので御座います。それなのに、お父様とお母様は、その過程で彼がどれ程苦を耐え忍び、どれ程努力したのかを露程も想像して下さいません。

その様な態度を見て果たして臣下は付いていこうと思えるでしょうか?

きっとこのままでは、雲雀だけでなく、他の有力な武士も他国に流れてしまいます。そしていつかこの國は。」

 姫君はそれ以上言葉を続けない。

ただ、二人をじっと悲しそうに見つめるだけだ。

 ずっと、ずっと、誰かが何かを言い出さず、しばらく時が過ぎてから、ひと言、


「分かった。」

斎我は静かにこう言った。

 そのまま立ち上がり縁側の方へ歩いて行くと、ちょうど秋の空で高く高く雁が飛んでいくのを眺めながら、どこか懐かしむように椿様に話掛けた。

「俺がお前を妻に貰うときも、お前の親父が激怒したなあ。あそこを剣幕で押し切ったきり、お前の親父さんの気持ちなんざ露程も考えた事は無かったが、今になってようやく分かる。

あの時の報いが、俺の元にも来たのか」


 俺は自分の娘を持ったことが無いから、斎我殿がどんな気持ちなのか、深く深く理解する事は叶わないが、その後ろ姿の寂しさを見て、ほんの少し同情した。


「おい餓鬼、ちっと付き合えや。」

壁に飾られていた真剣を鞘に収めて俺の方に投げて寄越すと、ひょいと縁側から庭に降りた。その背中を追いかけて、俺も清涼殿から離れると、後ろで、俺達を見ていた椿様が、苦笑混じりでこう言ったのが聞こえた。

「やってくれたわね。百合」

「お母様の娘ですもの」

それに応えた姫君の声が、空で鳴く雁の無邪気な声と混ざって心地よく響いている。

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