第42話 戦 終
戦況は正直芳しくない。三割ほど動きを遅くすると約束したのに、二割ほどしか落ちてない。この身体では仮に4割速度が落ちていたとしてもきついというのに。
たぶん、このままじゃ俺は勝てない。
それは、つまり、大きく賭けるならここしかないっていうことだ。
「貴様が最後だな。」
「ああ。」
「貴様に勝ち目など無いのに、まだ、逆らうか。」
「当たり前だろ。」
「あまり傷物にしたくは無いのだがな。」
そう言って夜叉が前傾姿勢を取ったとき、俺は刃を抜いて、自分の首に当てて見せる。
「何をしているッッ!」
「それ以上近づくなッッ!」
一喝すると、夜叉は前傾姿勢を止めて仁王立ちに戻り腕を組んだ。
「なあ、夜叉。一つ、賭けをしないか。」
「賭けだと?何故我がそれに乗る必要がある。」
「お前が、八咫烏に立てた誓約は國を落とすことじゃないだろう?」
「どういう意味だ」
夜叉は俺を鼻で笑った。
「この首を斬れば、お前は、俺と共に死ぬことになる。八咫烏に立てた誓約を果たせずに」
「やってみろ。見ていてやる。」
そう言いながら、夜叉は人間では知覚できないくらい僅かな動作で、その重心を前傾させた。
「分かっているだろう。そこから飛び出してお前が俺の刀を奪うより、俺が首を斬る方が僅かに早いことを。」
俺の言葉を聞くと、夜叉は苛立ったように、眉間に皺を寄せる。
その顔をみて、自分が最初の賭け事に勝ったと確信した。
夜叉の立てた誓約は、自分を殺した女を自分の女にしてみせるということだったのだ。
「だから、俺と一つ賭けをしよう。」
「賭けとは」
「このまま互いに譲らなければ、互いに得られる物もない。お前は俺が欲しいのだろうが、俺はもう死ぬまで屈しないし、俺もこのままじゃお前に勝てない。」
「それで」
「一撃で良い。たった一撃、俺がお前に攻撃する。それでお前を殺せなければ、俺を好きにしてくれていい。どんなことだって従おう。」
「貴様が契を守る確証が無いな」
「惚れた女の頼み一つ聞けないとは、全く、度量の狭い男だ」
大袈裟にため息をついて煽ってみると、感に触ったみたいで、眼尻がキリリと釣り上がる。夜叉の頭に上った血が下りる前にけしかけた。
「契れよ夜叉、恐いのか」
「いいだろうッッ!」
「10分だ。10分以内に俺は斬る。」
そう告げて俺は右足を一歩前に出して前傾し、刀の柄に右手を添えるように構えて、静止した。
そのまま、抜刀のタイミングを悟られぬために一度殺意を消し去った。
身体中に意識を張り巡らせ、全身を意識的に脱力させたまま、僅かな緊張を維持する。
深い呼吸を繰り返しながら、頭の中で師の言葉を反復する。
「行動の起こりを悟られるな。震えの一つすら律しろ。」
「一度、零へ到達し、そこから最も早く、剣を引き抜け。」
「最小の動きで、相手の認識速度よりも速く、刀を到達させろ。」
「相手が気づくより早く、その生命を刈り取れ」
体中に意識を張り巡らせて、心臓の鼓動すら律することが出来るようになったとき、刀が意思を持って俺と共鳴した。
『三』
刀が抜刀までの秒読みを始めるのと呼応して、身体が無意識に、より深く脱力する。
『二』
その脱力が極限まで到達し、遂に零まで到達した。
『一』
刀が最後の一秒を数え上げた瞬間、俺の身体が、俺の認識速度を超えて動き出した。
一瞬で筋肉が収縮する。瞬く間に肉体が最速に到達する。右手が刀の柄に触れた。そのまま鞘を滑らせて、白い波紋を露出させていく。
その輝きを見た瞬間、心臓が、一度、最も強く拍動した。
直後、弾丸のように飛び出した身体が、竹のようにしなって、刀の回転速度を極限に高めた。
刃が夜叉を捉えようと殺意を帯びたとき、夜叉の身体が、俺の抜刀を見切ったように動き出したのを見た。
だが、その瞬間、目の前で、夜叉の胸から赤い血が吹き出した。直後に、空気の震えと強烈な銃声が身体に到達する。
もう一歩接近し、奴を捉え、夜叉の運命を絶とうと刃を首に当てた時、ようやく俺の認識速度が追いついて、何が起きたのか理解した。
清正が、夜叉を撃ったのか。
夜叉は射抜かれた胸の痛みと、背後にいる清正に気取られて、俺の刃が自分の首に当たったことに気づいていない。
後はただ、肉を切って、骨を断てばいい。
刃が夜叉の首の肉に食い込み、ものすごい速さで切っていく。骨にあたって刃が一瞬遅くなる。
その時間的ゆとりで、夜叉に、気づかれた。
夜叉はしまったッという顔で、その手を刃に伸ばしてくる。
だが、その手が、刃に届くことはなかった。
俺がそれより早く夜叉の首を斬ったからだ。
今、首と身体がずれて、分離した夜叉の首が宙に浮いている。血が、胴体から、吹き出した。
静かに、ただ静かに、夜叉の首が床へ落ちた後、
部屋に残ったのは、生き物全てが死んだような、重い重い静寂のみ。
その静寂を破らんとして、声を張り上げたのは、他でもない俺であった。
「勝ッたッッ!」
俺の言葉が部屋中に伝わった直後、皆の喉から、狂喜の叫び声が一斉に上がった。
緊張が弛緩して突然走った鋭い痛みに耐えかねて、そのまま倒れ込んでいく最中、意識が天に昇っていくように、不鮮明になっていく。
だが、視界も、聴覚も、平衡感覚も曖昧になっていく中で、俺の耳は、最後まで、皆の歓声を捉えていた。
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