第40話 戦 4

「我のものになれ、雲雀」

「姫君を返せッッ」

「二度目だ」

 至近距離で放った刺突の軌道から夜叉が外れていく映像の最中、突然、何か重いものが身体にぶつかって、その直後、景色がぐるんと巡った。数秒後、固い壁にぶつかって床に倒れ込んだとき、何か攻撃を受けたことを認識した。

 そばに落ちている刀を拾おうとのろのろ手を伸ばしている途中、頭上が急に暗くなって、見上げると、夜叉が俺の目の前で踵を天へ向けて振り上げていた。 


 その光景を知覚した時は既に手遅れで、その踵は、咄嗟に掲げた刀の上に物凄い速さで降りてきて、雷のごとく刀ごと俺の頭を地へたたき落とした。その衝撃で床に顔を打ち付けた後、冷たい液体が割れるように痛む頭を冷やしていく感覚で、頭から血が吹き出たと分かった。


 悲鳴が遠くで聞こえた気がした。意識が、遠のいていく感覚があった。

いけない。姫君を守らないと。

根性で意識を保とうと考えたが不要だった。


 バキッと何かが折れる音がして、左肩が潰れたみたいに、気が狂いそうな痛みが走って、意識にかかった霧が瞬く間に晴れたのだ。


 頭が醒めると、突然、物凄い悲鳴に気が付いた。頭に響くから止んでくれと思った後に、喉で擦り切れた痛みとともに血の味がして、その悲鳴を上げているのは自分だと分かった。


 左肩を踏みつけている足がどいて、逃げようと少し頭を上げたとき、背中が鈍器か何かでぶん殴られて、息が出来なくなる。必死に呼吸しようと反応する身体の奥で、心臓が痙攣し、背骨にヒビが入り、熱と鋭い痛みを帯びている。


 俺は分かった。

自分があと数秒もしないうちに死ぬのだということが。

逃げることも、息をすることも、刀を握ることも出来ないうちに、夜叉が俺の生を刈り取るのだと。


 何をすればいいか分からないまま、ひたすら、間近にある夜叉の足の方を眺めていると、刀の柄が指先に当たった。俺の身体は、呼吸よりも、逃げるよりも、刀を探すことを優先していたのである。しかし、その刀を握る前に、夜叉に髪を引っ張られて、床についていた顔が無理矢理上に浮いた。

 間近で見ていた夜叉の足が折り曲がり、視界の中に夜叉の顔が入ってくる。


「この女が死ぬ所を見ておけ。」

夜叉は俺の髪を離すと、姫君の白い首に、指を突き立てた。

「動くな」

刀に手を伸ばそうとしたのを見逃さない。

すぐに夜叉の爪が姫君の首に刺さり、赤い血がポタポタと床に落ちる。

 どうすれば救える?どうすればこの状況を打開できる?

考えろ、じゃないと、姫君が――――

「死ぬぞ」

夜叉はにやりと笑った。

「三」

姫君は怯えながらも、繕った笑顔を俺に向ける。

「わたしは死んでも良い。だからお願い……」

「二」

「雲雀は、絶対に負けないで……」


 涙が、彼女の顔を伝うのを見た。

俺の中で、貴女を守ると誓ったときから抱いてきた武への憧憬が壊れた音がした。こんな顔をさせないために、こんなことを言わせないために、俺は、ずっと強さを追い求めてきたのに、この状況で、武は何も応えてはくれないのだ。

 そう思うと、何千回と振ってきた剣が、心の中で折れてしまった。

「一」

夜叉がゆっくりと告げるのを聞いたとき、俺は、彼女の前で最も情けないことを口走った。


「辞めてくれ……お前の言うとおりにするから」

 辛かった。

自分がみっともないことじゃない。

 彼女を、また裏切ってしまったことだ。


夜叉の手が伸びてきて、俺の首を掴む。そのまま、俺を持ち上げた。

 夜叉の後ろで、姫君が絶望した表情を浮かべながら情けない俺を見ている。

「今、確かに、誓ったな。」

「ああ」


 夜叉が人差し指を俺の額に当てて、何かを呟き始める。それが、呪いであるということが、何となく分かった。


 首を締められているから、息ができなくて苦しい。なんだか視界が霞んできた。どこかから、姫君の声が聞こえる。悲しそうな声だ。


 俺は最低だ。あなたと交わした約束を守れなかった。

たぶんもう、あなたと二度と会えなくなる。

そのことが今はただ悲しいが、もし死に方を選べるのなら、同じ世にあなたが居る幸福の中で、自らの首を斬って死にたい。

 だが、そんな願いが叶わないことなど分かっている。


 僅かな間だったが、姫君と会えて良かった。俺のような身分では、本来、到底叶わないことだったろうから、実に俺は運がいい。

これからの全てが絶望であったとしても、この思い出があれば耐えていけそうだ。


 心の中で、感情が旋風に巻かれたようにぐるぐると激しく変わっていく。幸福や、悲しみ、怒りや絶望が心を傷つけて、一体自分の本当の心が何なのかと見失ってしまいそうだった。


 勝手に涙が溢れてきては、目尻を伝って落ちていく。情けない顔を見せたくないのに止まらない。感情をどれほど繕っても、馬鹿正直な身体が涙で顔を汚しやがる。

ついぞ、俺の馬鹿さ加減は治らなかったと思うと、ほんの少しおかしかった。


「姫様、すみません。」

俺が、さようならと、別れを告げようと心に決めた時、不意に夜叉の手が首から離れた。

 そのまま重力に従って床にへたり込んで、何が起こったのか分からないまま夜叉の方を見上げると、清正が夜叉に斬りかかっている映像が見えた。

「ああ、また、夜叉に受けられるな」とぼんやりとその光景を見ていたら、直後、

「馬鹿野郎ッ今だッッ!」

と清正の声が聞こえて正気を取り戻した。


 すぐに、姫君を右手で抱きかかえ駆け出した。

背後からは夜叉が追ってくる。俺を捕まえようと、その手が伸びたとき、斎我が夜叉の進行を阻んだ。


 俺はそのまま、姫君と椿様、アザミの3人を部屋の外へ逃がした。

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