第39話 戦 3

「良い女だ」

「当然だろう。この俺の女なんだから」


 後ろから声が聞こえた。振り返ると、刀を肩に掛け懐に左手を突っ込んだ状態で悠然と歩いてくる斎我と目が合った。


「斎我!」

椿様から呼ばれると、「おう」とそちらに呑気に返事をする。この状況に似つかわしくない緩んだ表情で。この人は、本当に事態を分かっているのか。


「離れて下さい。夜叉は俺が相手をします。」

 夜叉に向き直り、刀を構えた直後、突然、冷たい刃を背中に当てられているような、そんな錯覚に陥った。

底冷えするようなこの感覚。胃が痙攣しそうなこの緊張感。これは殺気だ。それも、冷気を感じるほど強烈な――――

振り返ると、そこに立っている男は先ほどとまるで違っていた。

 今、一人の侍が、正中線に沿って刀を構えている。


「餓鬼。この場から去れ。百合の前だ。今、お前を斬り捨てることは無い。」

この男は強い。もしかしたら俺よりも――――

この熱い感覚…久しいこの想い……

「俺はあなたと刃を交えたい」

ふざけているわけじゃない。敵を前にしているこんな時に言うべきでは無いと分かっている。だが、それでも止められないのは、舐められたくはないという思いが、男の、武士の譲れない矜恃だからである。


「二匹まとめて掛かってこい。」

俺を舐めるなと斬りかかろうと構えた瞬間、

「驕りすぎだ。斎我」

 夜叉が疾風のように俺を越して、斎我に向かっていった。

ほぼ同時に放たれた互いの攻撃は交差して、それぞれ互いの身体を傷つけ合う。互いの攻撃をそれぞれが完全に見切ったと思い込んでいたためか、二人はそれぞれ感心したように向き合っている。

「亡霊にしては強えな」

「何を言っている」

「分かってるだろう。」

「ハッ。」

「てめえ、どこで八咫烏と繋がった。」

「さあ、どこだろうな」

「何のために蘇った。ここに来たのは兄者の仇討ちか。」

「いや、貴様が兄を殺さずとも、我が殺していた」

「じゃあ何故ここに来たッッ!」

「ただ探し物をしに来ただけだ」


 斎我の殺気が更に強くなる。眼光が、鷹のように鋭く変わる。構えていた刀を夜叉へ向けて、深く深く呼吸した。腹の底に力を溜めるためだろう。


 次の瞬間まるで何かに躓いたように斎我がガクリと重心を下げた。その動作に意表を突かれているとき、既に斎我の刃は夜叉へ引き抜かれている。


 見えていたはずなのに、5メートルの距離が縮まったことに気付かなかった。いつの間にか斎我が夜叉の懐に忍び込んでいた。腹をカッ斬ろうと引き抜かれた刃はもう、到達する。


 人間に、あの速度を出せるのか。人間の剣術はあの領域に到達しうるのか。俺が夜叉の首を落としたときよりも速い。あの剣術は、至高まで到達している。

刃を見て確信した。斎我は、夜叉の首を落としたときの俺よりも強い。


 だが――――

「弱くなったか、斎我。」

 それでも、夜叉を倒すことは出来ないだろう。


 夜叉は自分の腹に迫っている刃を、膝と肘で挟んで折った。折れた刃が空中で舞っている。

「老いには勝てぬようだな。」


なんと惜しいことだろう。もしも、斎我の齢があと10年若ければ、きっと、あの刃は夜叉に届いた。それだけじゃない。もしも斎我の全盛期に夜叉と戦っていれば、人の身でありながら、鬼を越えられただろう。鬼との絶対的な身体機能の差を技で越えられたろう。


「ああ、惜しい、惜しいぞ斎我ッッ!」

 夜叉が斎我に向かっていく。連続で繰り出される攻撃を、斎我はその折れた刀で防いでいる。だが、少しずつ押されていく。

「終わりだ」


 夜叉の動きが変則的になって、ついに、斎我の動きの逆を突く。蹴りが、その胴へと向かっていく。

 あの蹴りはまずい。斎我を庇うために、斎我と夜叉の間に割って入った。蹴りが届かぬように、斎我を動かすつもりだった。だが、僅かに時間が足りず、夜叉の蹴りから守れそうにない。


 蹴りは遂に到達した。

斎我と共に左の腹を蹴られ、貞観殿の一部屋の中まで飛ばされる。

死ななかったのはただの幸運だ。蹴りが届く一瞬前に、奴が何故か力を抜いたのだ。もし奴が力を抜かなければ、俺も斎我も共に上体と下半身が分離していただろう。

 上体を起こしている最中に、何かが奪われるような感じがした。

その直後、女の声が頭の上で響いた。

「百合ッッ!」

急いで立ち上がると、

 夜叉が姫君を抱えて笑っていた。

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