第37話 戦 1

 刀を抜いて構えているのに、構わずぐんぐんと中に入ってくる。

ぶった切ってやりたいが、隙がないから斬りかかろうにも出来ない。間合いを保つ為に後退していると、背中が紫宸殿の壁にぶつかり下がれなくなり、俺と夜叉の距離が縮まり出す。


 俺は正中線上に刀を構えたまま、そっと腰を落として夜叉の動きの揺らぎを待った。たとえ隙が現れなくとも、間合いに入った瞬間にたたっ切る。

 今だ。

心で呟いた瞬間、間合いの皮一枚外側で夜叉は急に歩を止めた。


「貴様を随分と探した。」

「俺に報復するためにか。」

「いや――――」

 話しながら首を手で擦り、口だけを歪めた不気味な笑い方をする。

「貴様は殺さぬ」

「何故だ」

 目の笑っていない不気味な笑顔が、ぐにゃりと歪んで狂気的になった。

「同胞を皆殺しにされて一人になったとき、貴様はどんな表情を浮かべるだろうな」

甘美な果実を味わうように嬉しそうに呟いた後、チラリと右方を見て、突然、「まずは貴様からだッッ!」と咆吼した。


 夜叉の吼えた方を見ると、その物陰から女がこちらの様子を見ている。

女に気取られている隙に、夜叉はいち早く駆け出す。それを焦って追いかけ出したとき、やっと本丸門に武者共が押し寄せてきた。

「構えろッッ」

 違うだろッ、今構えていたら銃弾は夜叉が女を殺すまでに間に合わない!

 その事を理解した奴が俺以外に一人、俺が夜叉に追いつかんとして更に地を強く蹴ったその瞬間、隊の連中から飛び出してきた。

 だが遠い。来るのがあまりにも遅すぎた。そこからでは、夜叉が女を殺すまでに追いつくことは出来ないだろう。


 今、俺の肩にひとりの女の命がぶら下がっている。ソイツを救ってやるために、どうしてもあと二歩、夜叉との距離を縮めなければならない。

 たった二歩。されど、その僅かな距離の差が今絶望的に遠い。

夜叉はもう、女までたどり着いた。ちょうど今、拳を振り上げている。

 ああ…このままでは、あの女は俺が夜叉に追いつく前に肉塊に変わるだろう。

だから、だから――――本当によかった…刀を拾っておいて。


 拳では届かぬこの距離の差を、刀を抜くことによって一瞬で埋めた。

このまま行けば、刃は夜叉の拳が女に到達するよりも早く夜叉を斬るだろう。そのことを察したのか、突然拳が宙に静止した。直後、夜叉は俺の胴を蹴った。夜叉の選択により、刃が夜叉を斬ることは無かったが、一方で女の命は助かった。夜叉の蹴りも胴に届かず、結局は互いに空振っただけだが、今の勝負は俺に軍配が上がるだろう。


 すぐに2手目を打ち込もうと構えると、夜叉は俺の後ろにいる清正に気付いて、傍らを物凄い速さで行き過ぎていく。目の前に腰を抜かしてへたり込んでいる女が一人。それは良く見覚えのある女で、つまり、あのアザミであった。


 茄子のように青白い顔でガタガタと震えており、口も聞けないようなので、

仕方なく、へたり込んでいるアザミを強引に抱き上げて姫君のそばまで運ぶと、姫君を見たアザミは少し安心したように姫君に凭れかかる。「屋敷の奥へ」とひと言だけ伝えた後、また戦に戻るために離れようとすると、アザミが俺の着物を掴んで、「どうして」と縋るような目で見てきた。

 「弱虫が要ると邪魔なんだよ」と返してやると、その青白い顔は少しだけ赤くなる。

 言葉を交わしたのはそれっきり。

2人に背を向けて、俺はすぐに戦場に戻った。


 この間僅か15秒。その間にやられた人数は4人。

今はちょうど清正が夜叉と戦っている。本丸門の側で構えていたはずの鉄砲隊は既に半減して頼りない。

 刀を構える武者共が7人、夜叉へ斬りかかるタイミングを探している。

だが、清正と夜叉だけの戦場の中に飛び込むことは出来ていない。あれじゃあ土俵を見守る観客である。


 紫宸殿の側から俺は夜叉へ近づき始めた。反対の本丸門の側からは、小十郎が夜叉へと近づいて来ている。

ゆっくりと、腹の底に力を溜めながら、一歩ずつ近寄って行くと、観客共が俺に気付いて愚かにも夜叉から視線を外した。その瞬間を夜叉は見逃さないで、初めに注意を逸らした馬鹿の胴を蹴って一瞬で俺の視界からその武者を消した。

「夜叉から目を逸らすなッッ!」

小十郎の怒声に、隊の間に緊張が走る。連中は今、夜叉と俺に注意を向けるのに必死だ。俺に向けても意味は無いというのに。

「グハハハハッッッ」

 夜叉の方は先ほど武者を蹴って殺してからずっと、ひどく可笑しそうに大声で笑っている。

戦場で油断する方が悪いのであるが、だからといってああも笑われれば頭にくる。

それは、情に厚い清正ならば尚更のようで、清正の額には血管が浮き出ていた。


 俺が今一度柄をしっかり握りつつ一歩夜叉に近づいたとき、頭に血が上って清正の攻撃が単調になった。その隙を突き、夜叉は一太刀を躱しながら素早く清正の間合いに入り込んだ。

 夜叉にはほんの少しも隙は無かった。だがそれでも、俺はそれを見たとき、考えるよりも早く土俵へ飛び込んでいた。飛び込まなければ清正が死ぬからだ。

 ただの蛮勇だと分かっていても、行かねばならない時がある。今がその時だと理解したのは俺だけじゃ無かった。小十郎が反対側から俺と同時に飛び込んだ。


 清正の顔を目掛けて夜叉が突く。

一方で2本の刃が同時に夜叉に斬りかかる。俺の斬撃はやつの右腕をめがけて。小十郎の斬撃は、やつの面をめがけて迫っている。到達はほぼ同時。奴の拳が清正への到達するのは避けられ無いが、この軌跡がそのままなら突きの威力を極限まで弱めることは出来るだろう。

 夜叉とて今更避けられまい。そう考え、お夜叉の腕を切り落とすために刀をさらに強く握ったとき、夜叉は笑みを不意に消して無表情になる。そして、何かを考えるように俺と小十郎の刀の軌跡を見た後、清正への攻撃を中断し、緩やかな動作で斬撃を躱した。


「お前は、人間じゃない」

俺は戦慄した。

「ああ」


 今の零コンマ何秒の時間に、思考を挟み頭で反応して避けたことに。決して人間に出来はしない。あれは、人間の反射速度の限界を越えていた。あの斬撃を頭で反応して避けれるのならば、夜叉の反射は一体どれほどに速いのだろうか。概算しようにも、頭がついて行かない。ただ一つ、ハッキリと分かっていたから。


 夜叉のほうが俺よりも速い。


 そのことを理解して、俺はすぐにやつの間合いから出た。その直後に、背後から武者の駆ける音が聞こえてきた。


 空気との摩擦音でその軌道を予測できるから、夜叉を見ながら斬撃を避けた。その後、ふらついて近づいてくる馬鹿の頭を叩き、脳震盪を誘った。酒によったようにフラフラと倒れたのを見届けて、小十郎と清正へ言う。


「共闘だ。俺一人じゃ夜叉に勝てない。」

「ふざけるな、鬼を信用できるか。」

「いや、俺は賛成だ。」

「どういうつもりだ清正ッ」

「小十郎さんの言うことも分かります。ですがその意見は今ただの驕りでしかない。俺たちが夜叉を殺さなければ大勢が死ぬことを忘れるなよ。あなたは大将だろ」


 小十郎の苛立った態度が不愉快だ。

「足並みを乱すんならあんたは抜けてくれ。ただの足手まといだ」

「アアッ!?…こいつが死ぬまで、お前に刃は向けねえ。」

「それでいい」

 小十郎は後で片付ければいい。


 夜叉は俺だけを見ている。腕組みをして、さっさと斬りかかってくるのを待っている。この戦場において奴は遊んでいるのだ。だが、それが許されるほどに奴は強い。


 重心の揺らぎを見た。小十郎の接近に一瞬俺への気が抜けたのだ。その瞬間を見逃すわけがない。俺は地を蹴って一瞬で夜叉の懐に飛び込み、そのまま夜叉の喉元を狙う。

 単純に突いた刃は夜叉の回避で空を切った。だが、一発目は囮だ。


 俺は注意の向いていない夜叉の足を全力で踏みつけて動きを封じた。やつの後方から迫っている清正がやつに斬りかかった。刃が到達するまでにかかるのはゼロコンマ数秒。俺がやつの足を踏んだのも、清正が斬りかかったのもほぼ同時だ。だが、その後に動いた夜叉は、間近にいる俺に突きを打ってきた。

俺は初め、その突きの到達は、清正の斬撃よりも遅いと考えた。だがすぐに、清正の斬撃よりも早く俺が肉塊に変わるだろうと本能で理解した。


 すぐにやつから離れてその打撃を避ける。打撃は俺の居た場所を打つ。最後に、後ろから迫る斬撃を、振り返って腕で受け止めた。

「我に傷をつけたか。」

独り言を呟くと、夜叉はすぐに動きを変えた。


 小十郎が斬りかかろうと先に動き始めたのに、小十郎が一歩を踏み出すより早く夜叉は小十郎との距離を縮めて素早く腹を打った。力の籠もっていない突きだ。だが、速い。動きが洗練されて無駄が一切ないからアレは人間じゃ避けられない。

 夜叉は5発ほど小十郎を殴った後、矛先を変えて清正へ近づきまた同じことをして、3人の連携を破壊した。


 清正と小十郎の動きを止めた後に、今度は俺に近づいて同じように5発ほど突きを放ってきた。全てが人間の反射速度を超えているのが理解できる。

 だが、俺はその打撃を全て躱した。

人間の動きを、俺も超えていたのだ。


 夜叉が5発の突きを放った後、俺と夜叉との戦闘は、打撃と斬撃の応酬の反復が続き20秒ほど拮抗した。

 その間に二人が復活したためか、攻撃をやめて俺の間合いから離れた。だが、攻撃をやめた理由が全く違うのだとすぐに明らかになる。

 夜叉は離れた後、俺に言った。


「やはり、貴様は強い。」

「だから何だ!」

「お前が欲しい。我のものになれ」

「なる訳ねえだろ!」

 身の毛がよだつのを感じた。先程の言葉は妖術か。精神が汚染された気がする。


表情を変えないから、俺の言葉が聞こえていないのだろうかと疑ったとき、夜叉はふと思いついたように言う。

「ならば、お前の想い人を殺そう」

 その発言の直後、夜叉は紫宸殿の方へ歩き出した。

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