第33話 裁判 (1/2)

 長く伸びた軒の下、舞台には小さな文机が一つだけ。奥の襖はピッタリと閉じられて開く気配がない。『破邪顕正』の四文字を見ているだけで過ぎた時間は三十分。一体いつになったら刑部卿は現れるのだろうか。正座してる足が痛くなってきた。


 右隣からカタカタ音が聞こえる。何の音かと思って、少し目線を隣に向けると、鞘と鎧がカツカツとぶつかっているのが見えた。どうということはなかった。右の武者が苛立って足踏みをしているだけだ。

しかし、足踏みとは。短気なやつも居たもんだ。どんなアホ面かしら。

ちらっと顔の方を見上げると、そこに小十郎の恐ろしい形相があった。


 カタカタという音の他に、後ろの方からガヤガヤと話し声が聞こえている。三十分そこらしか経っていないというのに、まったく、野次馬の耳は随分と出来が良いようだ。


 誰が来ているのだろう。

 耳を澄ますと、聞こえてくるのはニノ区画に住む連中の声ばかりで、何人か縫殿寮の同僚の声もある。だが幸運なことに、野次馬の中に姫君の声はなかった。

 十五分後、野次馬の数は100人程度に増えた。

 小十郎の我慢は限界寸前になった。

 そしてようやく刑部卿が表れた。

刑部卿は文机のそばに腰を下ろすと、「何事だ」と場を見渡して言う。

 それに答えたのは、清正だ。


「ここに、街に忍び込んだ鬼を捉えてある。」

「どこだ?」

「この女だ。間違いない」

刑部卿はわたしを見ると怪訝そうに首を傾げた。


「どこをどう見ればその女が鬼なのだ」

「コイツは俺達が見た女の鬼と瓜二つの容姿をしている」

 その言葉を聞くと、口元を押さえたままぐっと眉間に皺を寄せてこちらを睨み始めたが、数秒すると腕を組み、また首を傾げた。


「もう一度聞く。この女のどこが鬼なのだ。私にはただの女にしか見えぬ。」

 刑部卿の言葉に反応し、野次馬の中からゾロゾロと侍がこちらの方に出て来る。


「この顔を飛騨の山に夜叉を退治しに言ったときに見た」

「他人の空似では無いか。」

「こんな瓜二つの容姿はあり得ませんぜ」

「しかしな」

「ああ……面倒くせえ」


カチッという音。

その音が背後で鳴ったと認識したとき、同時に、身体が反射的な防御反応を取ったことに気がついた。


 その時点でぐわんとぶれた映像が終わる。

次に脳に届いた映像を脳が認識する途中、急に体勢が不安定に傾き始める。

 転けそうな感じがして、足が地面に接していないこと、宙に浮いた身体の重心が後方に流れていることを把握した瞬間、脳が映像を認識した。


 脳内でパッと映し出されたのは、刃が今にもわたしの首元に届かんとしている静止画だった。

 次の瞬間、わたしは先程の音が鯉口を切った音であると理解した。

 静止画はすぐに、人間の知覚速度を忘れたようなゆっくりとした映像に切り替わる。まるで、走馬灯のように。

 刃が小十郎を軸に回転しているなか、それに伴って、身体はゆっくりと刀の到達域の外へと離れていく。

刃の刃先が描く円の中からわたしの身体が抜け出すか、それとも、抜け出す前に刃が首を捉えるか、微妙なせめぎ合いが零コンマ数秒間。

 結局、刃は首の皮を僅かに斬りそこねた。

その後、一瞬浮いていた身体が左足から着地する。


 すべての動作が完了したが、未だ何が起きたのか意味がわからなかった。

だが、一秒後、全身に震えが駆け抜けたのをきっかけに、小十郎が、今本気でわたしを斬ろうとしたのだと分かった。

 すると身体が動いた。『殺さなければならない。』という激情すら置き去りにして。

 だが、腰に刀が無いことが幸いして、無意識に取った抜刀の構えから先に進むことはなかった。

 構えを解くと、小十郎がニヤリと笑う。

「どうだ。」

そのとき一瞬で再び熱を帯びた頭が、

次の瞬間、冷水を掛けられたように一瞬で冷める。

あの視線が向いているのは後ろだと気が付いて。

 振り返ると、小十郎の意図がようやく分かった。

後ろで一部始終を見ていた刑部卿の表情が、変わっていたのである。

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