第31話 着物代

 銭を一枚壺の中に入れると、ちょうど良い重さになった。いつもより汚れてもよい菱角模様の地味なのに着替えた後、以前より狭くなった部屋から壺を抱えて出た。

 本丸門を出てから真っ直ぐ進み、朱雀門の前まで来ると、開いている門の両端に門衛が2人立っていて、わたしの接近に気付いた様子でこちらを見る。

 高級屋敷町に出るときに、どちらへ行かれるのかと尋ねられたが、城下町へとだけ答えておいた。


 久しぶりに城から出て、何だか清々しい気分だ。ずっと城に籠もりっきりで針ばかり弄っていると気が滅入っていけない。だがまあ、ああいうのも今思えば新鮮で、悪くなかった。


 明日からわたしは縫殿寮から配置換えになる。部屋変えは既に終わっており、葵とは別々になった。最後まで葵と口を利くことができなかったのが心残りだが、あれ以上一緒に居るよりはずっといいだろう。もう遅いかもしれないが、葵には何か品を贈りたい。城で過ごした日々で、わたしに何もかもを教えてくれたのは彼女なのだから。その恩は、どんな品を贈ろうと返しきれやしないだろうけど。


 金の入った壺を抱えて城下街へ降りたのは品探しもあるが、本当はずっと待って貰っていた着物代を支払うためだ。何かと着物が必要になって、初めに貰った桜以外に、鶴やら何やらといろんな柄のを頼んで持ってきて貰ったのだが、わたしが中々城から出られなくて代金を滞納したせいで御ババが激怒した。お前の刀を売ってしまうからなと手紙が来て、慌てて金を持って出て来た。


 金持ちの家々を傍目に歩いていると、だんだんと前方に堀と塀が見えてくる。紫陽の家や、アザミの家はアレだろうかと、馬鹿でかい屋敷を見つけるたびに首を捻って考えていると、すぐに堀の前に着いた。


 橋の向こう側から、何やら武者がゾロゾロとこちらへ渡ってきているから、わたしは彼等が橋を越えるまで傍らで待った。

 しかし、やけに人数が多い。今日は特に行事などないというのに。


 馬を引いて屋敷町に入っていくのを見届けて、堀の橋の上に往来が無くなったのを確認した後、渡って城下町へ出た。


 塩、魚、米に、肉、野菜とそれぞれ専門の食い物を売っている商店が並んでいるので、まだ昼前なのに腹が減る。一本串焼きでも買って喰おうぜと食欲が視線を何度も壺の中へ動かすたび、首を振って邪念を払った。これは着物代なのだ。


 刀や銃、農具や、釣り具、馬屋や、畑を耕す牛やらと、栄えている商店を通り抜けて、御ババの呉服屋へ向かう。

 途中ジロジロと視線を感じたが、初めこの街に来たときの視線とちょっぴり意味合いが違いそうだ。初めの時は蛇のような目をしていたが、今は鰯のようにわたしに羨望を向けている。たぶん磨いた所作の中に品の良さがにじみ出ているのだろう。よかった。これなら姫君のそばに居ても、遜色なく仕事がこなせそうだ。


 御ババの着物屋のある大通りに出ると、何やら人だかりが出来ている。確か、屯所の掲示板の立っている所だ。何か興味深い噂話でも張ってあるのか気になって、掲示板の方へ近づくと、人々があれこれと話し合っているのが自然に耳に入ってきた。


「まさか、この街に出るなんてねえ~。今までこんなことあったかしらー。」

「だけど退治したって言う話じゃないの!アレは嘘だったのかい!」

「おいおい、警備隊は何をやってるんだっ。税金払ってんだから、こんなことじゃ困るぞっ」


掲示板の前に出て、張り紙を見た。

『鬼の出没!昨夜未明にまた鬼の目撃と死体アリ――――』

ちょうどその文字を読んだとき、新聞を売りにきた小童が人だかりの方に入ってきて、大きな声で売り始めた。


「一枚ちょうだい?」

わたしが小童に声を掛けると、急にへへへと赤い顔で笑った。新聞が欲しいからじっと見ていると、小童はあっという間にたじたじとなり、バッと一枚紙を差し出してくる。


「いくら?」

「あ、あげるよ!」

「え、ああ、ありがとう。」


無料だったのかしらと思いながら人混みを抜ける途中、後ろで小童が金を貰っている声が聞こえたが、目の前にある壺の金をじっと見て、僅かな葛藤の末、貰うことにした。 人混みを抜けたとき、突然背後に強烈な気配を感じた。振り返ると、人混みの向こう側から、武者の隊が近づいてくるのが見える。その面々をわたしは忘れたことはない。アレは夜叉討伐隊の連中だ。


 なぜだ……?何故この街に奴らがいる?一瞬立ち止まり、しかしすぐに動いた。わたしは奴らに顔を見られている。見つかれば、まずい気がする。


わたしは気配を殺してその場を脱し、すぐに近くの呉服屋へ入って店の奥へ上がり込んだ。


「雲雀はどこだいッッ」


店の奥に上がり込んですぐに御ババの声がした。その後すぐ、ドッドッと足音が鳴り始めた。足音の聞こえる襖の方を向き、壺と共に正座で待っていると、ピシャリと襖を開いて、御ババが入って来た。


「金はどこだいっ」


わたしは壺を御ババの前へと押し出した。眉根を吊り上げている顔が鬼みたいで恐いので「落ち着いてくれ」と愛想良く笑いかけてみたが、かえって気を逆撫でしたみたいで、さらにキリリと目が鋭くなる。わたしの方に寄って来る途中壺をチラリと見たが、誤魔化されずにそばまでやって来て、持っていた定規でわたしの額をピシッと叩いてくる。額に当たる直前にそいつを摘まんで取り上げてやると、御ババはムッとした顔のまま一歩離れそしてわたしの対面に座った。


「中を検めるからね」


 手近にある小机を引き寄せてそろばんを置くと、パチパチ玉を弾いて銭を壺から出し始めた。全部出し終わると、帳簿に記入する。その後小間使いの女を呼びつけて、銭を整理しろと指示をして、女と金を部屋から出す。そしてわたしに空っぽの壺を返してきた。


「半年も顔を出さなかったくせにのこのこ来るとはどういう了見だい?」

まだ、怒っているらしい。

「銭を納めに来たんだ。着物代を精算しないといけないだろう」

「お前さん、あたしが手紙で脅さなきゃ来なかっただろうっ」

「ちゃんと来たさ!俺は約束をちゃんと守る男だ!」


どうだかっと言わんばかりに白けた目で見てきた。壺を指差して、ちゃんと金は払ったろうと言うと、もっとこまめに払いに来れたろうと文句を言う。中々忙しかったんだと言い訳すると、あんまりにも顔を出しに来ないんであたしゃあんたが恩を忘れたのかと思ったねと恨みがましく言ってきた。


「あんた、その新聞」

わたしが傍らに置いていた新聞を見ると、御ババは急に調子を変えた。

新聞の表紙には、先ほど屯所で見た鬼の出没についての記述が載っている。


「さっきそこで小童から貰ったものだ。読むか?」

「いいや」

急に素っ気なく振る舞う御ババが何だか気持ち悪い。

「なんだよ」


わたしがそう言うと、御ババは視線を彼方へ逸らしたまま、その皺の刻まれた喉から冷たい声を発した。


「あんたじゃないだろうね」


からかっているのか、それとも本気で言っているのか。どう返せば良いのか惑っていると、御ババの目がスッと細くなる。


「昨日、あんた、夜どこにいた?」

冗談じゃない。


「城の本丸だ。知っているだろう。夜には城の扉が閉まる。城下街に俺が出て来れるわけがない。それに、その時間俺は寝ていたから」


「寝ているときあんたの体が無意識に潜む鬼に操られていたら」


「それはない!もしそうなら、俺はとうに捕まっているはずだろ!」


「でもね」


「俺を信じていないのかっ!」


「信じているさね。だけどこの街に入ってこれる物の怪なんざそうはいないだろう。しかも鬼だっていうのなら、あんたしか」


「俺じゃないっ、絶対だ。信じてくれ。」


「ああ分かったよ」

御ババの顔に差した影が消えないのを見て、己の無力さに心細くなる。


「あたしは戻るよ」


御ババが仕事に戻っていき、部屋に一人になった。なんだか、淋しいような、不安なようなそんな気持ちで、すぐに出て行こうと思えなくて、傍らに置いてある新聞を手に取って読んだ。


 新聞は、鬼の出没についての記事が大部分を占めている。その記事を読んでみたが、詳しいことが大して載っていない。目撃と言っても、ごく遠方からチラッと見たに過ぎないから、大きいのか小さいのかもわからない。だが、少し気になるのは、目撃者が錯乱しているということだ。元々そういう気があったのか。もしそうでなかったなら、つまり、本当に、遠方からチラッと見ただけで、恐怖で気がおかしくなったのだとしたら、その鬼はただの雑魚じゃない。

 新聞の終わりまで目を通すと、3本足の烏の絵と共に、こんなことが書いてあった。

夜空に人間大のカラスが飛んでいるのを見たという。


 そこまで読み終えたとき、小間使いの男が申し訳なさそうな顔をして入って来た。


「あの、これ、請求書です。」


まだ何も買っていないのに何で請求書なんか渡されるんだ。意味が分からないまま、そいつを読んでみると、「利子」という見出しの下に、わたしの2ヶ月分の給料の額が、記されている。

急いで部屋を出て、御ババの方に行って「この請求書は」と聞くと、


「あんた、どんだけ待ったと思ってるんだいッッ!」

と初めのような調子で怒鳴られた。


「俺と御ババの仲じゃないか」と泣きつくと、鬱陶しそうに追い払われて、さっさと店から出て行くように促された。


 冷たい婆だと思いながら、土間で履き物を履いていると、後ろから「次はいつ来るんだい」と声がする。

振り返ると、すぐ後ろに御ババが立っていて、まだ恐い顔をしている。


「二ヶ月後に来る」と言うと、もっと早く来いと言われたので、また来月来るよと返すと、


「そうかい」と急に穏やかに笑うのでひどく調子が狂った。

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