第27話 歌合わせ 終

 清涼殿は後宮より本丸門に近い南に位置している。様々な公事の行われる儀式場であり、小宮の主、小宮斎我殿の居所でもある。普段と違い清涼殿内は東側が赤色、西側が青色を基調として装飾されているのだが、これは歌合わせで左方と右方に分れて歌の優劣を競うからである。


 紫陽も姫君も赤色の左方側で、当然それを見学するわたしも、今左方側の侍臣席に座っている。


 中央では、4人の判者が東側と西側に2人ずつ分れて向き合っており、

その後ろに東西で一人ずつ歌を詠み上げる講師が座っている。

 判者は左大臣に右大臣、大納言に別当などと中ノ國の国政を司る公卿たちである。


 中央の北側には二つお座所すましどころが設えてあって、小宮斎我と小宮椿が座している。


 判者と彼等の間には二つ州浜(州の海辺を模した文机)が左方と右方で対になって置いてある。おそらく、勝った歌があの州浜に載せられて、斎我殿と椿様に捧げられるのだろう。


 人の並びを総括すると、

中央から東西に行くにつれて、判者4人と小宮の御二人、講師2人と歌の詠み手が12人、応援人が30人、見物人がたくさんというように、人が増えていくその形はちょうど正三角形が二つ合わさった蝶々の形だ。


 どうやら、今、歌の回収を行っているらしい。2人の童がそれぞれ右方と左方の詠み手の前を回っている。場は静かだ。あの二人の足音がここまで聞こえてくるほどに。ピリピリとした空気が張り詰めていて、誰かが私語を話す緩みがないのである。


 童が歌の回収を終えて、その歌を講師に提出した。その後、私たちに一礼して舞台から降りて去っていく。

 衣擦れの音、人の動く音が少々聞こえていたが、歌の提出が成されると、その音も次第に消えていく。そして遂に、全ての音が静まった。


 研ぎ澄まされた静寂が一秒、二秒と、続いていたとき、突如、その静寂を破って、左方の講師が歌を詠じ始める。

 左方側の詠唱が終わると、それに応えるように、すぐに右方側の講師が和歌を詠み上げる。

 二人が詠み上げた後、その歌が判者に提出されるやいなや、左方の応援人が右方へ議論をふっかけた。それを機に、今度は、旋風が巻いたように、次第に場の声の渦が激しくなっていく。


 たった一首の優劣を決めるのに激しく左右が衝突した。すぐに決まる対決もあれば、判事が優劣を決めかねて、延々と時間が過ぎることもあった。そんな調子で歌合わせは進み、元々予定していた終了時刻になっても、未だ勝負は続いている。

 結局、歌合わせが終わった頃には、すっかり夜遅くなっていた。


 歌の情熱が冷めず、引き続いて宴になる。見物人はここで帰されるのだが、紫陽から、宴にてお膳を運ぶようにと言いつけられているので、台盤所からお膳を取ってきて貴人の方々へお出しする。

 お膳を全てお出しし終えて、宴の裏で他の侍女たちと同じように休もうと清涼殿から退出した直後、部屋の中から「雲雀」と紫陽の声が聞こえたので、宴の輪にいる紫陽の側へ参った。


「貴女には、この場に残ってお酌や食器の片付けをして差し上げて欲しいのです」

「かしこまりました」


 宴の邪魔にならぬように離れつつ空いた盃に酒を満たして回っていると呼ばれた楽人たちが琴や縦笛などを持って宴の間に入ってくる。楽人たちの演奏を聴きながらあれやこれやと騒いでいる今の貴人たちには、歌合わせで左方と右方に分れ争ったときの英姿はない。


 ちょうど今、この歌に合わせて舞って見せよと言いつけられた男官がのどかに一さし舞って見せた。すると、赤と青の入り混じった衆から賛美の声が投げられて盛り上がる。


 そんな折に、ある男官の盃が空いたのを見つけて酒を注ぎに行くと、注いでいる横からこんな言葉を投げられた。

「恋ひ恋ひて逢ふ夜はこよひ天の河」


――――一年の永い間、たった一度の今宵を2人はひたすら恋いしく思って来たのだから――――


 盃を満たし終え、酒を傍らに置いた後、開け放たれた障子から外の夜空を見る。

 夜空の天の河の輝きに浮かんだ言葉を脳裏に留めて、わたしに上の句を贈った男官へ、下の句を返した。


「霧立ち渡り あけずもあらなむ」

――――天の河に一面に霧が立って、夜が過ぎても、今宵はずっと明けないままでいい――――


 ほうっと言う嘆息を吐いて、男官はわたしを見つめてきた。それに対して頭を下げて、男官の側から離れると、そばに居る人々の視線がわたしを追いかけてきた。


 視線にはあまり慣れていないからなんだか不安になる。

視線の届かぬ場所へ行こうとしたとき、私を呼び止めるように、

男官が「君の名は」と尋ねてきた。


 それと同時に「紫陽」と姫君の声がした。すると今度は「雲雀」と紫陽がわたしを呼んだ。紫陽の方へ向くと紫陽はわたしの方へ微笑んで、「そろそろ退出なさい」と言うので、わたしは男官へ名乗らず、代わりに礼に倣ってお辞儀をし、宴の間から退出した。

 去り際に、気になって姫君の方を見た。姫君もわたしの方を見ていた。その表情はどこか悩ましそうに沈んでいる。


 わたしはまた失敗したのだろうか。

紫陽に出て行くように促されたのは、姫君の気が沈んだのは、きっとわたしの歌が――――

 そんな不安を抱えながら外に出ると、もう夜空が薄らと白んでおり、そんな空を見て、わたしはふと、七夕が終わったのだと気が付いた。

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