第21話 宮仕え 終

 庭側の障子を開けて葵の部屋で和歌集を読んでいると、桜の花びらが一枚、目の前にひらりと流されてきた。和歌集の紙の上に載った花びらをつまみ上げて流れてきた方を見ると、もうすっかり枝は裸になっていて、桜がわたしに別れを告げるために最後の一枚を寄越したような気がした。


 花びらを懐紙で包んで懐にしまう。葵の居ない部屋で、再び文机に向かい、和歌を学ぶ。机上には幾枚か今日詠んだ歌の書かれた短冊が並んでいる。

葵が帰ってきたら、見せて、意見を聞きたい。昨日のより少し上手く詠めた気がするから。


 葵が帰ってくる前にもう一首作ってみようと筆を墨に付けたとき、襖の外から「雲雀、来なさいよ」とわたしに声が掛かる。わたしは筆を置いて、その声に「はい」と返事をして襖を開ける。知らない女嬬がわたしを呼びに来ている。


 あの歌会で、上臈女官の前で失態を演じたことはすぐに後宮に知れ渡った。その結果、初めてわたしを見る者は皆わたしを腫れ物のように避けるようになった。

わたしと居る所を見られれば、自分の評判が落ちると思っているようだ。


 それなのに、葵はわたしを部屋から追い出さないで居てくれた。わたしのせいで評判が落ちることを葵に謝れば、彼女は決まってわたしを慰めた。まるで姉のようにわたしに接した。その優しさに触れるたび、彼女の迷惑にならないかと心配だったが今のところ葵の評判は落ちていない。

わたしと同室であるという事に同情が集まっているだけである。


誰もがわたしを避ける中で、葵だけはわたしと居るという事実がかえってその優しさを証明した。


 わたしといても自身の評判を落とさないと知ったからか、女嬬が時々わたしを呼びに来るようになった。それはだいたい歌会の誘いだった。和歌を詠めないような教養のない女を普通は歌会に誘わない。真に教養を育みたい淑女たちからすれば、わたしは邪魔になるからだ。


わたしが歌会に呼ばれるのは、置物としての役割と、皆から笑われる犠牲としての役割を期待されているに過ぎない。

 それでも、わたしはその誘いを断らない。例え置物でも、例えいつもわたしの和歌が下手だと笑われるとしても、歌を学ぶ機会を失いたくない。


 部屋を出て襖を閉じる。それから呼びに来た女嬬に導かれて、歌会の開かれる二の区画の縫殿寮へとついていく。そこはわたしが働いている縫司の仕事場であり、本来ならばわたしは二の区画に住むべきだと働き始めて知った。

 葵はその縫司の長官であるから、もしかしたら、彼女が便宜を図ってくれたのかもしれないがその理由は分からない。


 わたしが本丸に住んでいることを同僚の女嬬は気に食わないようで、そのことも皆がわたしを避ける要因になっているのだと思う。この幸運が不正なものだと知りながらそれを手放さないことはずるいことだとわかっているけれど、それでも、葵から歌を学ぶ機会を失いたくない。わたしは葵のそばに居たい。


 縫殿寮のある一部屋の前で、目の前の女孺は止まった。彼女は柱をコツコツと叩いて入ることを伝えて中に入った。それに付いて一緒に中に入ると部屋の中の人数はわたしを含めて五人になる。それから、いつものように、嗤われる時間が始まる。


           *


 葵の部屋に戻ると、葵はすでに部屋に帰っていた。わたしが開いた襖の前で挨拶をするのを遮って、

「また歌会に行ったの?」と責めるように言う。

「はい」と答えると、「あなたがいじめられるのは嫌よ」と言ってわたしの手を掴む。そのまま手を引っ張られて、葵の目の前に座らされる。


 盗み聞いた噂話によれば、葵には後ろ見がないそうだ。彼女の父は高位の男官だったが、数年前に亡くなって、今は本来あるはずの地位よりも低い位に甘んじている。父親が死んでから禁色が取り上げられるまで、彼女もわたしのようにいじめられたという。わたしが虐められるのを見ると、葵はそのときのことを思い出して辛くなるのだろう。


「ごめんなさい。だけど、和歌が上手くなる為にどうしても必要なんです。」

わたしが謝ると葵はわたしの手を離して、今度はわたしの頬を手で触る。わたしの目を心配そうに覗き込んでくるから、大丈夫ですよと言って笑ってみせると、その手をわたしの頬から離して微笑んだ。


「今日作った和歌を見て貰えますか。」

「ええ、もちろん。」

わたしの文机に並んだ短冊を葵に渡し、その歌を彼女が見ている間、ふと彼女のそばに着物が何着か置かれているのに気が付いた。


「その着物はどうしたんですか。」

「もうすぐ更衣だから、その準備をしていたの」

葵は短冊から目を離しわたしの方を一度見ると、一着手に取ってわたしに差し出した。


「更衣の日に着ようと思うのだけれど、どうかしら。」

鳳凰の刺繍された絢爛な着物だった。鳳凰は幸せを象徴する柄であり、葵の柔和な性格に合うと思ったので、

「お似合いになると思います。」と伝えると、

「今年の更衣はみんな張り切っているから」

と短冊を見つめながら微笑む。


「今年の更衣は、何か特別なのですか?」

「小宮のお姫様が姿をお見せにならないことをみんな心配しているのよ。だから更衣の行事で衣を変えるのと一緒に、姫様の胸の内の煩いも無くなることを願って、今年の更衣は特に立派なものにするの。」


 「雲雀も立派な着物で更衣に参加するのよ」と言った直後、葵が渡した短冊を全て読み終えたので、今度は和歌の講評に移った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る