第20話 宮仕え2 (2/2)

 鶯が一つ鳴いた。皆がそれを観察して、ただ穏やかに短冊に筆を走らせる。わたしはいつまでも手が動かないままで、皆が書き終えるまで紙に筆をつけることが出来なかった。


 書き終えた短冊を伏せたまま、皆がわたしを見ている。わたしが書き終えるのを待っているのだ。その期待が苦しくて窒息しそうになりながら、わたしは紙を見つめ、鶯の嘆くような囀りを聞き続けた。


 何を書けば良い?それをどうやって言葉にすれば良い?わからない、何も書くことが出来ない。


「雲雀、もう良いかしら」


 アザミの声が聞こえた。見ると、その蛭のような唇で笑みを作って、わたしを楽しそうに見ていた。


 どうしようも無くて、「はい。」と言う。すると、皆が伏せていた短冊を胸の辺りに持って、それぞれの方を見る。アザミが、早くに書き終えた者から歌を発表していくように促すと、一人ずつ各々の歌を発表して、その歌へ他の者が講評を述べていく。紫陽が歌を発表し講評が終わり残るはわたしのみとなった。


 しかし、わたしには何も歌が無い。無地の短冊を晒すことなど出来ないから、わたしは必死に頭を動かした。桜に止まる鶯や枝から離れて散っていく桜花の流れを目で追いながら、そこに歌の心を見出そうとしても、頭の中に浮かぶのはアザミの声ばかりだった。


 雲雀と、わたしの名を呼ぶ声がする。その声に応えず、俯いたままのわたしの様子が変なことがすぐに部屋の中に知れ渡る。わたしが震えた手で持っていた短冊を葵が覗いた。葵には何も書かれていないことが伝わったろう。その時、葵が表情をどう変えたのか分からないが、すぐにわたしの短冊には何も書かれていないことが部屋に居るわたし以外の6人に知れ渡った。


「歌一つ満足に詠めないの?」

誰かがわたしに言った。

アザミの声では無かった。

「あの桜を見て、あの鶯を見て、何も感じないのですか?」

誰の声か、分からない。


 ぐるぐると景色が回って、自分が分からなくなる。そこに吐きそうな緊張と失態を演じた恥ずかしさが加わって、もう消えてしまいたかった。

「女官が歌一つ詠めないなんてこと、あるはずがないわ。彼女はただ少し調子が悪かっただけよ。そうでしょう雲雀?」


「いいえ」と答えようとすると、アザミはわたしの返事に被せて、

「彼女はきっと次こそ素晴らしい歌を詠むわ、だって、紫陽が認めた娘なのよ。」

といってわたしを黙らせる。黙ったわたしを見るその目は笑っていて、、口元を隠すように当てた手の裏で口元を歪めていることは明らかだった。


 もう嫌だった。だけど、アザミはまだわたしを逃しはしない。不甲斐ないわたしのせいで、紫陽の評判が落ちることが申し訳ない。


「ねえ、紫陽?」

 アザミはわたしに向けていた嫌な目を紫陽に向ける。だが、その目を歯牙にもかけず、紫陽は威風堂々としてその場に座している。

わたしはそんな紫陽を見た。紫陽もわたしを見つめ返してきた。

紫陽のその目は冷たく、すぐにため息と共にわたしから目線を逸らして皆を見る。


「つまらない……、興が醒めました。」

突然に立ち上がり、襖の方へ歩いていく。部屋を出て行く気なのだ。

そんな紫陽を止めようと、他の女たちが話し掛けているのに、そちらを見ないでわたしを真っ直ぐに据えて強く言う。


「あなたは出て行きなさい。」


 頬を張られたようだった。それ位、その言葉は強く、そして冷たかった。その紫陽の言葉の後にわたしに何かを言う者は居なかった。

わたしは床に手をつき頭を下げて謝罪をして部屋から出た。襖を閉じた後、襖の向こう側ではわたしの悪口が飛び交っているのかと怖かったが、葵の部屋へ真っ直ぐに帰った。


葵の部屋の襖を開けて、中で独り、葵から貸して貰った和歌集を抱いて時が経つのを待つ。

すぐに葵は帰ってきて、部屋の隅にいるわたしのそばに来る。わたしは葵に謝った。葵はその謝罪に言葉を返す代わりにわたしの頭を撫でた。


葵を見上げて、紫陽にどう詫びればいいかと聞くと、葵は微笑んで、紫陽に礼を言うように助言する。

その意味を図りかねて、どうしてと聞き返すと、

葵は、「紫陽は怒ってないわ」とわたしを宥めるように優しく言った。


 その時、少しだけ紫陽を知った気がした。

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