第19話 宮仕え2 (1/2)

 開いた襖の向こうには、深紅の着物姿の女が立っていた。齢は二十二、三ほどに見える。肌は白く滑らかで目元にあるホクロが艶めかしい。


 女は、はっきりとした声音で、「呼びに来たわ」と葵に言った。すると、葵は「ありがとうございます。」と恭しく頭を下げた。その横で、一体誰だろうかと思っているとの紅い女の視線がわたしの方に向いたので、「雲雀と申します」と手を付いて頭を下げたが、いつまでも彼女から言葉は返ってこない。恐る恐る顔を上げてみると、わたしを品定めするように目を細めている。


 葵が「新しく来た娘です。」と言った。すると、女は葵に視線を戻して、「そう」っと素っ気なく言う。その後、わたしをちらりと見ると、そっと袖で口元を隠しながら怪しく笑う。寒気のするような黒い笑みをたたえたまま、女はわたしを見て言葉を寄越した。


「今から歌会があるのだけど。あなたも参加したらどうかしら。」

 彼女は微笑みながらゆっくりとした口調でわたしを誘った。それに対してどう答えれば良いのか迷っていると、葵が険しい表情で口を挟んだ。

「雲雀にはまだ早いです。今参加したらきっと――――」

「葵、私は雲雀に聞いているのよ。雲雀、参加するわよね?」


 葵がわたしを心配そうに見つめている。その視線を感じて、葵の言うようにその誘いを断ろうと口を開きかけたとき、女が纏う深紅の着物を見て御ババが言っていたことを思い出した。


 ――――城の御殿に住み小宮家に仕える女官の着物には禁色というものがある。高い位の人間しか纏ってはいけない色のことだ。その色は7色で、赤、深紅、青、深紫、ことぶき深蘇芳ふかきすおう黄櫨染こうろぜんである。――――


 深紅の着物を着ているということは、つまり、この女性は高い身分であり、わたしがその誘いを断るということは許されない。この女はそのことを知った上で誘っているのだ。


 女の目の奥にチラチラと怪しい輝きが陽炎かげろっている。目元に、どこか嘘くさくて冷たい微笑みをたたえている。袖の裏に隠した唇は一体、どう歪んでいるのだろうか。その見えない笑みが酷く恐ろしかった。

 だが、わたしには自分を彼女から守ってやる事はできない。それは葵も同じなのだろう。葵はわたしをずっと心配そうに見つめていたが、わたしがこの女の誘いに「はい」と頷いても止めることはなかった。


 わたしと葵はこの女に付いて部屋を出た。奥殿の外れにあった部屋から小宮家が住む中心の方へと向かう途中、何本か殿舎と殿舎を渡す橋を通った。

橋を渡るたび、殿舎の造りや展示される美術品、部屋にいる女たちの質が上がっていくのがわかった。身分の低い女嬬がそこに混ざれば確実に浮くということも。


 ようやく紅い女が部屋の前で止まった。それから指の骨で柱をコツコツと叩いた。女が「葵を連れてきたわ」と声をかけると、「お入りください」と中から声が返ってきた。紅い女は襖を開けて中に入った。次に部屋の中へ入った葵の背中を追いかけてわたしも中へ入ると、部屋の中にいる4人の綺麗な女たちから視線が集まってくる。皆、禁色の着物を纏っており、紅い女と同じように高い身分である。4人の中には、先ほどわたしに試験をした紫陽の姿もある。


 向けられた視線が痛い。視線はわたしに「何故お前のような者がここにいるのだ」と問うている。わたしにはその問いに答える言葉はひとつもない。他でもないわたし自身が、自分はこの場に相応しくないことを知っているからだ。


 だけど、わたしはこの場から去ることは出来ない。紅い女の不気味な視線が蜘蛛の巣のようにわたしを絡め取って離さない。わたしはただ、紅い女がその唇に笑みを浮かべて楽しんでいるのを感じ取るだけだった。


「アザミ、どういうこと?」

わたしを睨んでいた紫陽が、その冷めた視線を紅い女――アザミへと移す。

「この歌会に参加したいそうよ。」

アザミは口元に笑みを浮かべたまま、紫陽へ艶やかに返した。そして、部屋の中にいる4人に視線を這わせた。すると、3人の表情が変わった。呆れたような表情だった。しかしそれはアザミを責めるものではなく、ただわたしに同情するような曖昧な苦笑いだった。

ただ紫陽一人が、不機嫌そうにわたしを見ていた。


 わたしはそんな淑女たちに、恥ずかしい気持ちを押し殺して、頭を垂れて、名を名乗った。だが、その後にわたしに返ってくる言葉はひとつもない。

ただクスクスと笑うアザミの声だけが、嫌にはっきりと聞こえてくる。


 胸が苦しい。息が上手く出来ない。体の機能が狂っているのか、異常に冷たい汗が浮き出てきて、手指や足先が微かに震え始めた。


 わたしがその手を隠すために腰の後ろにやると、誰の目も届かない場所で、葵がわたしの手を握った。その温かさは、酷く脆い感情の発露のようで、まるで償いによる優しさのようだった。


「人が揃ったわ。早く始めましょう?ふふっ、今日は一人余計に多いから楽しみね」

口元に手を当てて笑いながら、葵に座るように言う。わたしが葵のそばに座ろうとするのを、可笑しそうに笑って見ている。


 わたしが座ると、侍女が一人アザミに呼ばれて部屋の中に入ってきて、障子を開けて、部屋の中から庭が見えるようにした。あれこれと調度を拵えるように指示されると、綺麗な絵や陶器、墨や筆や和紙、管弦楽器やらを準備した。


 庭に植えられた綺麗な桜や梅にうぐいすがとまっているのを見つけて、アザミが突然皆にアレを題材にして歌を詠みましょうと提案する。皆がわたしをちらりと見た後で、アザミの提案に同意して筆と短冊を手に持った。

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