第7話 転校初日ーめんどくさい

 渡さんがいら立っているようで声を荒げる。


「うるさいな、もう! 言っても言わなくても失くしたもんは返って来ないんだから! 同じことでしょ!」


 それは、良くない。


 返って来なくても、紛失したこと、それ自体を謝るか謝らないかが大切なことだと、僕は思う。


 でも、そんなことを言ったらめんどくさいやつだとバレるだろうか。


 誰だって、めんどくさいやつはめんどくさいから嫌だろう。それこそ、さっき検索して漢字を知った正義厨だと思われるだろうか。


 だが、正義を守ろうとして、何が悪い? そもそも、厨って漢字はなんなんだ。厨房の厨だろう。


 正義の厨房って、むしろ正義を作り出しそうなものなのに、なんで正義を馬鹿にしたように使われるんだ? なんなんだ、ネットスラングってものは。でも今は、そんなことに憤っている場合ではなさそうだ。


 隣の席の人が、渡さんを責め立てている。なんで責め立てるんだ。


 何を貸したのか、僕は今日が転校初日なのだから知らないが、そんなに強く責め立てて、いじめの加害者となったらどうするんだ。隣の席の人は、たぶん悪い人ではないのに。なぜ、渡さんをいじめるんだ。


 いじめというものは、明らかになるまではいじめられている者が弱者だが、ひとたびそれが社会的に《いじめ》だと認められた瞬間、いじめていた者は加害者として弱者になり、いじめられていた者は被害者という守られる立場になるのだ。


 僕は、そう思っている。考えていても仕方ない。考えるだけの僕は、渡さんに音楽の授業を欠席させてしまった。


「何を貸してたの?」


 僕は、声を振り絞って尋ねた。決して大きな声ではないだろう。だが、この距離で聞こえないこともないであろう。


「え? 何を?」


「……え? なんか貸してたんじゃないの?」


「……貸してないけど」


 貸してないのか。貸してないのに、何を責めているのか? いや、ここで引いていては、この子を救えない。なんて言ってたっけ?


 そうだ。貸したじゃない、失くした話をしてたんだ。


「何を失くしたの?」


「……私は何も、失くしてないけど」


 あれ? 失くした話をしてたはずだが。私はってことは、失くした人はいたのか。これはもう、たぶん考えるより聞いた方が早い。


「誰が何を失くしたの?」


「……美菜子が、美菜子のリコーダーを失くしたの」


 みなこ?


「みなこって?」


「私」


 渡さん?!


 そうだ、僕は渡さんを渡さんとしか知らなかった!渡さんは、渡 美菜子さんってことか!


 ん? 失くした人は渡さん。失くした物は、渡さんのリコーダー。つまりは、渡さんが渡さんのリコーダーを失くしたのか!!


 ……なぜ、この人は怒っていたのだろう? ただの渡さんの自業自得ではないだろうか。考えていても仕方ないのは学んだ。聞けばいいんだ。


「どうして怒ってるの?」


「え、だって、リコーダー失くしてから美菜子ずっと音楽サボってっから」


「ずっと?」


「1年で失くしてから、ずっと音楽サボってんの。ただでさえ成績悪いのに、副教科の評価低いのって、受験でめっちゃマイナスになる高校あるらしいんだよ?」


「それはダメだ! 内申は、馬鹿にしてはいけない!」


「ほら! ちゃんと先生に言って、買い直さなくてもいいようにしてもらえよ!」


「買い直さないといけないの?」


「だってリコーダーのテストできないじゃん、ないんだから。でもきっと、ちゃんと相談すれば貸してくれたり何かやってくれるっしょ」


 なるほど……。


「いいよ、めんどくさい」


 渡さんは、バッサリと言う。


 めんどくさい。掃除も、めんどくさいと、渡さんは行かなかった。


 めんどくさい。めんどくさいのは、みんな同じだ!


「君がめんどくさいことを、みんなはめんどくさくないとでも?!」


「えっ……え?」


「誰だって、自分がやりたいことじゃなければ、めんどくさいんだ!でも、みんながやらなきゃ、守らなきゃいけないこともきっとあるんだよ!」


「みんなはリコーダー失くしてないでしょ?!」


「掃除の話だよ!」


「掃除の話なの?!」


 まあ、自分でもなぜ気付かぬうちに掃除の話をしているのかは分からない。


「もー意味わかんないんだけど」


「そうだろう、めんどくさいだろう」


「めんどくさいよ!」


「僕のことはいい。でもリコーダーのことは、ちゃんと先生に言って内申に響かないようにしてもらった方がいい」


「リコーダーの話に戻るの?!」


「だって、リコーダーの話をしていたんじゃないか」


「あっはははは!」


 隣の席の人が、笑いだした。周りの席の生徒たちも、一斉に笑いだした。前のドアの辺りの生徒が「なになに?」「どうしたの?」とこちらを見ている。


 チャイムが鳴った。チャイムの響く中、渡さんは言ってくれた。


「分かった分かった、放課後音楽室に言いに行くよ」


「うん、それがいいだろう。音楽室に先生がいなければ、きっと職員室だ」


「そうそう! 先生いなかったから言ってないとかゆーなよ!」


「分かったよもうー、先生探してちゃんと言うから。ほんっとめんどくさい」

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