第26話 三姉妹の事情・前編

「――うーん、ほんと、ニーテお姉ちゃん男らしかったねっ! カッコ良かったよ!!」

「……黙りなさい、ホリー……!!」

 妹の称賛(?)に、ニーテの両の瞳は剣呑極まりない輝きを放っていた。雑踏からやや離れ、人々の視線から身を隠すように入り込んだ細い路地に、憤怒が陽炎となって揺らめいている。

「……あの、お納め下さい、ニーテさん……」

「……ありがとうございます」

 そんな辺境伯令嬢へ、オレンジの芳香が爽快なスムージーを差し出して、マティアスは頭を下げる。何とも言えない表情でそれを受け取ったニーテを見届け、彼は自分の分であるバナナとヨーグルトのスムージーが入った紙製のカップを見下ろした。

「あ、それ何? 美味しそう! ティアお姉ちゃん、あたしにも一口頂戴☆」

「駄目。自分の分は自分のお金で買いなさい」

「ニーテお姉ちゃんには奢ってるのに~! ティアお姉ちゃんのケチ!」

「ケチじゃない。……ニーテさんへ奢ったのは、さっきのお礼だから……」

 ホリーを諭しつつ、マティアスは先程のナンパの一幕における自身の情けなさに、落ち込み気味の溜息を吐いた。

「はぁぁ……。この世の中、ソーマなんかより余程手強い相手が多過ぎるよ……」

「えぇと……その認識は、〝聖父アマデウス〟としてどうなのかな……?」

 マティアスの隣にやって来たラーンが、困った風な笑顔になる。

 ちなみに、ラーンの手にも苺がふんだんに使われたスムージーがあった。他三人がこぞって飲もうとしている飲料に、ホリーも我慢出来なくなったのだろう。「あたしも買ってくるから!」と、行列が二重三重に出来上がっているそれの露店へと駆けていく。

「……いってらっしゃい」

 彼女の元気一杯な背中へ一声掛けて、マティアスは自身のスムージーに刺さるストローへと口を付けた。ヨーグルトの程良い酸味がバナナの濃厚な甘さと絡み合い、口の中に幸せを舞い踊らせる。寸前の騒動で汗……というか冷や汗を流しまくった身体も潤ってくるようだ。彼の目の前でオレンジのスムージーを味わっているニーテも同じ気持ちなのか、「ふぅ……」と疲労が滲んだ息を吐いている。

 そんな藍色髪の少女の少し濡れた唇を眺め――己の頬にそっと触れたマティアスの顔色が、また赤みを増していった……。

(……ま、まだ頬にニーテさんの唇の感触が残ってる気がする……)

 仕草がますます乙女っぽい女装中〝聖父アマデウス〟の意味深な反応に、ラーンが「う~ん……?」と唸った。

「……何だかマティアスくんのお相手競争、ニーテに一歩リードされちゃった感じかな……?」

「――ぶふっ!? ご、ごほっ、ごほっ! ね、姉さんっ!?」

 ラーンの悩ましそうな台詞に、ニーテが咳き込みつつ目を見開いた。

 ……そろりそろりと、己が頬へ当てていた手を下げて……しかしマティアスは意を決した、或いは開き直った顔付きで侯爵家と辺境伯家の令嬢たちへ口を開く。

(……いい機会かもしれない。一度、きちんと訊いておきたかったし――)

「僕から訊くのは、正直アレな話題だけど……ラーンさんとニーテさんは、その、〝聖母マグダレナ〟に――僕の伴侶に、なりたいの?」

 当事者中の当事者たる〝聖父アマデウス〟からの確認に、彼の花嫁の上から五番目と七番目の候補者である少女たちは、すっと押し黙る。

 ……風が凪いだかのような時間が暫し続き……ラーンが、アマリリス色の髪を揺らして顔を上げた。瞳に宿る光は、いつになく真剣である。

「えぇと――わたしは、なりたいよ。それこそが、わたしがアンシャリア家に名を連ねてる、その意味だもん……」

「……私は正直、ミラード家から与えられた『〝聖母マグダレナ〟になれ』という使命に、納得してはいません。……納得してはいませんが――逆らえる立場であるなら、そもそもこの場には居るはずがありませんね……」

 姉の後を引き継いで、ニーテが自嘲気味に述べた。彼女の表情には、諦観が見て取れる。

(……まぁ、解っていたことではあるけれど――)

「――二人とも、〝聖父アマデウス〟という立場にある人物の伴侶になることが重要であって、と、そういう解釈で、いいよね?」

 マティアスの淡々とした指摘に、ニーテもラーンもばつが悪そうな表情になる。

「……一切ありません――とは、申しませんが……それは、貴方がこれまでに為した行い……〝聖父アマデウス〟として人々を励まし、また自らも率先してソーマとの戦線に立ってきたという事実を知って、そのことから抱いた敬意です。……異性に対する好意では…………ありませんね」

「えぇと……わたしは、マティアスくんと一緒に住むようになって、少しは男の子として意識してる……と、思うけど。……何だか可愛くて、ほっとけないっていうか――あ、弟が居たらこんな感じかなって」

「……ニーテさんのはもちろん、ラーンさんのそれも、恋愛感情では……ないよ」

 マティアスの遠慮無い感想に、姉妹のばつの悪そうな表情は強まるが――マティアスの方は逆に、吹っ切ったように表情筋を緩めた。

「いや、気にしないで。ラーンさんやニーテさんがであることは、僕も把握してるし。そこを鑑みれば、二人の気持ちも解るから。……むしろ、僕の方こそごめん。ナイーヴな事情なのに、迂闊に踏み込んじゃって……」

 謝罪する〝聖父アマデウス〟に、ラーンとニーテは顔を見合わせる。……三人姉妹の一番上の姉たるラーンが、本当に困った顔で言った――

「……マティアスくんも知ってるんだね。――こと……」

 マティアスはラーンに、ニーテにも頷いてみせる。

「アイシア聖母学院の序列上位の生徒のプロフィールは、一通り目を通させてもらってるから。その中に、ラーンさんとニーテさん、それにホリーのこれまでの経歴も、まぁ、あったし」

 マティアスの蒼穹色の瞳が、改めてラーンとニーテを見詰めた。脳裏にはホリーの姿も思い浮かぶ。彼女たち三人は、髪の色や体型はそれぞれ異なるが、顔立ちには共通点が多く見られ、はっきりと血縁を感じさせた。……けれども――ラーンもニーテもホリーも、である。その理由は、単純であり……複雑だった。

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