第17話 未練が吐かせた意地悪な言葉

 やや離れた地点に停泊させていた小型の砂走船サンド・ランナーへと戻ったマティアスとクアドラは、服をきっちりと防寒具コートまで着込み、ようやく一息吐いた。船室内の暖房は全力で稼働しているが、室温が暖まり切るにはまだ少し時間が掛かるだろう……。

 ザ・ワンに来る時に乗ったフリゲートよりも遥かに小さい、数名乗りのクルーザーヨットではあるが、〝聖父アマデウス〟の為に用意されたものである以上、良い船であることには間違いない。船室は限られた面積の中で、至れり尽くせりに内装が整えられていた。

 おかげで、クアドラが約束した通りに蜂蜜たっぷりの温かい紅茶を用意することは容易い。

 美しい琥珀色の液体が注がれ、湯気を立ち昇らせるカップを両手で受け取り、マティアスは革張りのソファーへ腰を下ろした。音も無く紅茶を啜れば、蜂蜜の甘さとダージリンの香りが彼の口内を満たす。

「ふわぁぁ……生き返る……」

「……表情筋を緩め過ぎです、マティアス。ザ・ワンに戻るまでには、引き締め直しておいて下さい。まあ……今はわたくししか居ませんから。少しだけ肩の力を抜いても……見なかったことにしておきます」

 自らも蜂蜜入り紅茶のカップを傾け、クアドラが言った。彼女の方は座らずに立ったままではあったが……クアドラ自身も、マティアスほどではないが肩の力が抜けているように見える。

 それに気付いてしまう程度には、マティアスはずっと……ずっとクアドラを見てきたのだ。

「……クアドラ、ザ・ワンに来てから――ううん、ザ・ワンに行くことが決まってからずっと、気を張り詰めさせてたよね? 無理してない……?」

「……マティアスに気付かれてしまうとは、わたくしも未熟ですね。まあ……はい。やるべきことが増えましたから。二人で旅をしていた頃よりも……」

 クアドラが、眉間を指で揉み解す。

「……特にラーンとニーテとホリーのせいで苦労が多くなった気がしますね彼女たちは優秀な部分も多いですが駄目な部分も少なくなくてその駄目な部分が度を越して酷い気がします何故ラーンはああも料理が致命的なのか洗濯などは上手くやっているのですけどホリーはこちらが事前に指示を出しておけば料理において非の打ち所が無いのですが大雑把なせいか掃除などをやらせると大変なことにニーテは逆に掃除は得意なのですけど洗濯を任せるとどうしてか泡が山のようになりますしああわたくし一人で切り盛りした方がむしろ何事も無く回せる気がするのですがあの三人は人類統一王国ワン・フォー・オールの上層部の意向で送られてきた人材ですので追い出すわけにもいかずああああああああっ……!!」

「……お、お疲れ様……」

 言い始めると愚痴が止まらなくなったクアドラに、マティアスは苦笑いしながら労いの言葉を掛けた。

 ラーンたち三人は、名目上は『クアドラだけでは大変であるはずの〝聖父アマデウス〟の身の回りの世話を手伝う為、派遣されたメイド』だが……全員がれっきとした貴族の令嬢である。しかも、ラーンのアンシャリア侯爵家は人類統一王国ワン・フォー・オールの宰相を数多く輩出している文官筋の名門。現在の宰相も彼の家の当主が務めている。ニーテのミラード辺境伯家は神砂海ニルヴァーナ外縁部の楼閣シェルターを領地とし、人類圏へのソーマの侵入に目を光らせている武の名門。ホリーのアーノルド公爵家に至っては、人類統一王国ワン・フォー・オールの現国王の弟が当主を務める、今最も新しく勢いがある公爵家なのであった。

 どの家も、人類統一王国ワン・フォー・オール内で重要視されている上位貴族。……貴族の娘が、行儀見習いの為により高位の家へと奉公に出されるのは珍しくないことだが……ラーンたち三人がそのようなケースではないことは、いくら何でもマティアスにだって解る……。

(……三人共、〝聖母マグダレナ〟クラスにも在籍してるしね……はぁ……)

 要するに――より確実に自分たちの家の娘を〝聖母マグダレナ〟にする為に、あわよくばマティアスにお手付きにされるよう、ラーンたちの実家がごり押しでマティアスとの一つ屋根の下に送り込んできたということなのである。

(そりゃあ、クアドラの苦労も増えるよ……)

 自分たちの娘を〝聖母マグダレナ〟にしたいのは、レナを擁するダルタニアン王家だってソルアートを擁する幻陽教ミラージュ・サンだって同じなのだから。……〝聖母マグダレナ〟に選ばれることが、今の人類社会において非常に大きな名誉になるというのは疑い無き事実であるが、それだけではなく。民衆に人気の高いマティアスの伴侶を輩出した家や組織は、当然ながら人類統一王国ワン・フォー・オール内での発言力が増す。〝救裁者メギド〟が誕生し、ソーマが駆逐されたとなれば、それは盤石のものとなるだろう。そういったことを見越せば、〝聖母マグダレナ〟の候補者に名前を連ねた少女の一族や属する組織が、彼女たちを何としても〝聖母マグダレナ〟にしようと血眼になるのは必然であった。

 ……しかし、だからこそ〝聖母マグダレナ〟の座争奪レースで、特定の候補者だけが有利になる展開は、他の候補者やその後援者たちの不興を買う。

 ……だからと言って、その辺りの不満をマティアスに直接訴えて、逆にマティアスの不興を買うことを……自分たちの推す娘が〝聖母マグダレナ〟の座争奪レースで後退することを、各候補者の後援者たちも恐れているのだろう。

 結果、この件に関する意見や陳情の多くは、クアドラが窓口となって受け付ける羽目に陥るのだ。……それの調整に彼女が奔走していることは、マティアスだって気付く。愚痴くらいは仕方のないことであろう……。

(……ただ――)

 それでも……マティアスは少しだけ意地悪を言いたくなった。

「――クアドラが僕の告白を受け入れてくれてたなら、無かったはずの苦労だよ?」

「…………っ……」

 微かに……本当にほんの微かに、クアドラが息を呑んだ。

(あぁ……自分で自分の未練がましさが嫌になるけどさ……)

 半分以下に減ったカップの中の紅茶を見下ろしつつ、マティアスは続ける。

「僕は、まだ、クアドラが好きだよ。世界で一番好きだ。……今からでもやっぱり、僕の告白を受け入れてくれるなら……クアドラこそが〝聖母マグダレナ〟になってくれるなら――嬉しい」

「……わたくしなどの何がそんなに良いのですか?」

 自虐するようなクアドラの声音に、マティアスは断言する。

「いつもはとっても厳しいけど、それが優しさの裏返しな所。さっき、ラーンさんたちの失敗について並べ立ててたけど、ラーンさんが生成した毒物……ゴホンッ、駄目にした食材の処理、率先して手伝ってたよね? ホリーさんが掃除中に壊した花瓶の片付けも、一緒にやってたし。ニーテさんが泡塗れにした洗濯物も、改めて教えながら洗濯してたしね」

(……本当は、僕もその時に手助けしたかったんだけど……)

 少しだけでも好きな人の役に立ちたくて。……けれど、マティアスにはそう言い出す隙すら与えてくれないのがクアドラのデフォルトなのだ。

「……他にも、クアドラの良い所ならいくらでも挙げられる。その全部が、僕は好きだ。……もちろん、そこはちょっと直してほしいって所もたくさんあるよ? 何事も一人で背負い込み過ぎな所とか……時々空気が読めない所とか。だけど、そういう所だって――愛おしい。僕がずっと見てきた、そして好きになったクアドラという女性は、本当に……素敵な人だ」

 マティアスが語った熱の籠もった気持ちに、クアドラは長く……長く息を吐き、残っていた自分の紅茶を飲み干した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る