第16話 凍える夜の過酷な修行

 太陽が、塩の砂漠の地平線に消えて数時間……。間もなく日付も変わろうかという夜天の下で、マティアスは〈北兎丸〉を振るっていた。

「――集中力が落ちていますよ。そんな足運びで……塩の底へ呑み込まれるのがご所望ですか?」

「くっ……!」

 クアドラからの叱責に、マティアスは紫色になった唇を噛む。

 場所は、ザ・ワンの天蓋の下……。彼の大楼閣グランシェルターの威容は目の端に捉えられるが……そこからそれなりに距離がある神砂海ニルヴァーナ塩の粒子すなの上である。

 空調設備が常時稼働し、内部は常に過ごし易い気温に保たれているザ・ワンとは違う。夜の神砂海ニルヴァーナの外気は、容易く零度を一〇度や二〇度も下回るのだ。

 吐いた息すら刹那で凍る極寒の世界で、マティアスとクアドラは互いの凍牙クレセントを交錯させている――で。

 紫の一本三つ編みを……そして、先端の突起すら隠さず晒した量感ある胸の柔肉を揺らし、クアドラの氷刃がマティアスの首筋を撫でる。……皮一枚。〝聖父アマデウス〟の首の肌に、朱の直線が一本刻まれた。

「……わたくしが本気でしたら、首から上と下が泣き別れです。今の攻撃で、また一度あなたは死にました。今夜だけで四回目ですね。この程度の寒さで動きが鈍り過ぎです」

「っ……!!」

 滑らかな皮膚に鳥肌一つ立ててもいないクアドラの呆れた声に、こちらはそろそろ舌の根が凍えてきたマティアスは反論も出来ない。

 ……人類がソーマに対抗する為の二つの手段の内、光焔コロナの方は先天的な才能に左右される。体内に光焔炉リアクターを持たない者は、後天的にどれだけ努力を重ねようと光焔コロナを扱うことは叶わないのだ。

 だが……凍牙クレセントは異なる。こちらは、その気になれば全人類の誰もが扱うことが出来るのだ。


 ――凍牙クレセントの放つ常軌を逸した冷気に耐え、それを握り、振るい続けられるだけの肉体的、及び精神的強度を得る為の鍛錬……。過酷極まりないそれを潜り抜けられたのであれば。


 ……今のマティアスたちがやっているように。

 ちなみに――今夜のこれはの鍛錬である。

(五歳の頃、初めてやった凍牙クレセントの鍛錬は――零下三〇度以下の神砂海ニルヴァーナすなへ埋められて、そこから這い出てくることだったっけ……!!)

 我ながらよくその時点で死ななかったものだと、マティアスは自画自賛する。

 神砂海ニルヴァーナの表面を、〈北兎丸〉の冷気で凍結。その上を素足で滑ることで加速したマティアスは、どうにかクアドラとの距離を広げた。……もっとも、その程度で彼女の間合いから逃れることなど出来ないのは、マティアスも百も承知である。

 何せ――

「っっっっ……!!」

「……今のは見事でした」

 ――クアドラ自身はマティアスの正面に居るにもかかわらず、彼女の刺突はマティアスの盆の窪を真後ろから狙ってきた。それを〈北兎丸〉で受け流しつつ、〝聖父アマデウス〟は目を凝らす。

(相変わらず……どういう構造をしてるんだよクアドラの〈極光の淑女アウローラ〉は!?)

 マティアスの青眼に映ったのは、微細な氷の刃が半透明のワイヤーによって連結された鞭。それは、稲妻が遅く思えるほどの速度でクアドラの手許に引き戻され――一二〇cmほどの剣の形に回帰する。

 ……剣型を基本に、状況に応じて鞭型へと変形する機構を組み込んだ異形の凍牙クレセント……それこそがクアドラの得物・〈極光の淑女アウローラ〉の正体であった。いわゆる『蛇腹剣』と呼ばれる奇剣の一種で、『実戦では使えない机上の空論の武器』と本来はされている。

(まあ、普通に考えて――強度が足りないよね、武器として……)

 剣として使った場合、相手の武器と打ち合った瞬間にバラバラになるのがマティアスにも目に見える。……鞭としても、柄の部分以外は刃が連なっている為、引き戻す時などにうっかり操作を誤れば自分の身を自分で切り刻みかねない。取り扱いの難易度が普通の鞭の比ではないだろう……。

 結論――片手に普通の剣、片手に普通の鞭を持つ変則二刀流の方がまだマシ。

 ……けれど――それが凍牙クレセントで、使い手がクアドラであるならば話は違ってくるのだ。

(強度の問題は、月銀ミスリルの強靭さがあれば克服出来る……!)

 足元の塩の粒を爆発させて突撃してきたクアドラと、マティアスは鍔迫り合いを演じる。彼の〈北兎丸〉と噛み合った〈極光の淑女アウローラ〉は、亀裂一つ走らせない。

 クアドラの長く形の整った脚が跳ね上がり、破城槌のような蹴撃がマティアスの腹を射抜く。長年の修練で鍛えられている〝聖父アマデウス〟の腹筋はそれの衝撃に耐え抜くが……後方へと数m、強制的な移動を強いられた。彼の足の裏が塩の上に降り立った瞬間――

(しまっ……!?)

 マティアスの周囲にダイアモンドダストが渦を巻く。――否、いつの間にか刀身を分解、鞭の姿に変貌した〈極光の淑女アウローラ〉が、銀髪の少年を完全に包囲していた。……途方もなく複雑で繊細なパズルのように組み合わさり、普段の長剣の姿を形成している〈極光の淑女アウローラ〉は、そこから分解されれば地上から雲に至る長さにまで伸びるという。その長大さを以って構築された包囲網は、翼竜型ソーマの放電すら軽く見切ったマティアスの眼力を以ってしても、すり抜ける隙間を捉えさせない……。

「これで、今夜五度目の死です」

「…………!?」

 四方八方から殺到した刃の雪嵐に、マティアスの姿が霞む……。

「……む?」

「――っっぶはぁっっ……!!」

 しかし、手応えが無いことから眉間に皺を寄せたクアドラの背後で、塩の柱が立ち上がった。その中から飛び出したマティアスが、大上段から〈北兎丸〉を振り下ろす。……蒼白き剣閃は、瞬時に長剣へと戻った〈極光の淑女アウローラ〉に受け止められてしまうが、剣圧はそれを貫いた。氷の蛇腹剣の女主人を中心として、神砂海ニルヴァーナが数百平方mに亘ってすり鉢状に抉り取られる。

「……敢えてすなの中に潜り、わたくしの足の下を泳いで抜けて、背後に回り込んだのですね。確かに、塩の中にまで〈極光の淑女アウローラ〉を潜ませてはいませんでしたが、それを追い詰められた状況でも見逃さなかったのは見事です。――いいでしょう。が今夜の修行でしたが……達成したと見なします。……大まけですが」

「……っっはぁああああっっ……!!」

 クアドラより今宵の特訓の終わりを告げられ、マティアスは盛大に霧氷の如き息を吐き、塩の上に膝を突いた。〈北兎丸〉を杖代わりにして支えた身体が、大地震のように震えている……。

 そんな〝聖父アマデウス〟の有様に微苦笑を浮かべたクアドラは、〈極光の淑女アウローラ〉を左手に持ち替えて右手を彼へと差し伸べた。

「早く戻って服を着ましょう。その後で、温かい紅茶を淹れてあげます。蜂蜜もたっぷりの、マティアスの好みの味にしてあげますよ」

「……ぅ、うん……」

 自身の手を摑んだマティアスを引っ張って立たせながら、クアドラは、最近なかなか見せていなかった柔らかい表情で、自分の教え子兼護衛対象に語り掛ける。

「とはいえ、今後も要修行です、マティアス。……あなたはここ数年、本当にこの手の修行が苦手になりましたから。昔はもっと平然としていたのに……」

 やれやれと肩をすくめるクアドラの裸身の方へ寄っていこうとする己の青い眼差しを、猛烈な精神力を費やして抑制しながら、マティアスは唇を震わせる……。

(……流石に察してよ、クアドラ……!!)

 好きな女性の裸を前に、とても平静でなどいられない年頃の男の子の純情を……。

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