第6話 凍牙――クレセント

 ――そんなマティアスに、隣席から訝しげな声が掛けられる。

「……マティアス? マティアスッ? 聞こえていますか……?」

「――あ、ああ、何……クアドラ?」

 自分を悩ませる想い人からの詰問に、マティアスは表面的には落ち着いた声音で答えた。

(……さっきまでの葛藤は、一切態度には出てないはずだけど……?)

 それほど自分の内面と外面を切り離せるまでに、〝聖父アマデウス〟としての立ち振る舞いの訓練を通じてマティアスは至っていた。その辺りはマティアスが最も得意とするところで、クアドラであってもそうそう見破れないはずなのであるが……。

「次は、あなたからアイシア聖母学院の生徒たちに向けての挨拶です。何をぼうっとしているのですか?」

「……そうだったね」

 マティアスのアイシア聖母学院への入学式兼同校の生徒たちとの対面式は、彼の内での騒動など知りもせずに滞りなく進んでいたらしい。マティアスはすっくと立ち上がり、まずは振り返って自分の後ろ……階段状かつ放射状に並んでいる大講堂の全席、そこを余す座席なく埋め尽くしている少女たちへ、洗練された所作で一礼してみせる。

 流石に、人類統一王国ワン・フォー・オールの淑女教育の最高峰。黄色い歓声など上がりはしなかったが――それよりも余程情感の籠もった吐息が大講堂の各所からこだました。

(……何やってるんだろ、僕……?)

 失恋したとはいえ、クアドラという最愛の女性が居る身で、他の少女たちの純真を惑わして……自分がとんでもない女の敵になってしまったような気がして、マティアスの心は冷める。

(ああ、もう……! 早く終わらせて、早く一人で部屋に閉じ籠もって……それから気が済むまで罪悪感で身悶えればいいやっ!)

 やけっぱちな心情で背筋をピンッと伸ばし、一歩一歩揺るぎない足取りでマティアスは壇上へ向かう。講壇への階段に最初の足を乗せ――そのが彼の耳に届いたのは、ちょうどその刹那であった。


 …………ッ……ィ……ッ……。


 ――マティアスでなければ……クアドラという最高位の戦士から徹底的に鍛え上げられた身の聴覚でなければ、聞き逃していたであろう破砕音。

「…………っ!」

 マティアスの歩みがピタッと止まった。身を翻し、青の視線を向けたのは……信頼厚き自分の教育係兼護衛の女性。

「クアドラッッ!!」

「解っています!」

 細かい説明など不要。以心伝心で通じ合った二人は、即座に別々に動いた。

「――教員の方々、生徒たちの避難を! 教養科の生徒たちから順次地下通路を通らせ、講堂から離れさせて下さい。……です!!」

 響き渡るクアドラの指示を背中に聞きながら、マティアスは大講堂の床を力強く蹴り付けて飛翔した――


 ――天井を〈北兎丸〉で切り開き、マティアスは大講堂の屋根の上に出る。切り離した建材は、床に到達する前に凍結・粉砕。後には細やかな霧氷が降ったのみ……。

 装飾過多な制服の襟元を緩めつつ、マティアスは蒼白き打刀を真上へと振るった。頭上より降り注いできた透明な瓦礫が、こちらも粉雪へ変じる。

「本当ならダイアモンドにも勝る硬度の超々硬質ガラスが……! どれだけの勢いで激突したんだよ、もう……!!」

 マティアスの両目と同じ色の大空を透かす、大楼閣グランシェルターの天蓋の一部であった。全容的にはごく小さく見える……実際には直径数十mには達するはずのドームに開いた穴から、深緑色をした何かがこちらへと墜落――否、強襲してくる。

「昨日の今日で……! 本当に最近、襲撃が多過ぎない!?」

 毒吐いて、マティアスは超高速で飛来した蜂に似た姿のソーマと交差した。……蜂と言っても、大きさは昨日交戦した竜型のソーマとほぼ変わらないのだが。

 神砂海ニルヴァーナへと侵入を果たし、その上でかつ楼閣シェルターにまで辿り着くソーマは、圧倒的に飛行するタイプが多い。

(考えてみれば当然だけど……!)

 高空を飛ぶことにより、神砂海ニルヴァーナの塩や乾燥の影響を最小限に留めることが出来る。そうして楼閣ターゲットを見付けたら急降下、襲い掛かればいいのだから……ソーマにしてみればお手軽なのであろう。

人類ぼくらにとっては堪ったものじゃないけれどっ!)

 そこは螳螂に酷似したソーマの前脚を斬り飛ばし、マティアスは憤然とする。

 此度のソーマは、西瓜やら南瓜やら……表面が硬めの植物の実を思わせた。外骨格の生物を模した外見のせいか、昨日の緑竜と比べると若干斬り難い。……もっとも、〈北兎丸〉はそんなソーマでもスパスパと切っているわけだが。


 ――『月銀ミスリル』という物質がある。


 本来は月に存在し、この惑星せかいの重力に引き寄せられ、稀に降ってくるだ。

 大気圏突入時の莫大な摩擦熱でも全く融けず、地表に墜ちた際の絶大な衝撃でも亀裂の一つも入らない月銀それを武器の形に加工した物……。それこそが、〝大預言者メサイヤ〟アマデウスが人類へともたらしたソーマへの二つの対抗手段の一つ――『凍牙クレセント』である。

 マティアスが手にする〈北兎丸〉も、そのような凍牙クレセントの一振りなのだ。

 宇宙からの落下にも容易に耐える強度故に、相手がソーマであっても引き裂き、砕く。

 巨大隕石であっても燃え尽きることが避けられぬ超高熱すら、ものともしない冷気を纏うが故に、ソーマであっても凍て付かせ、その生命活動を阻害する……。

 それらの事実から、凍牙クレセント月銀ミスリル、そしてその故郷たる月を神格化した宗教・『月虹教カレイド・ムーン』というものが生まれてしまうほど、凍牙クレセントはソーマに対する絶対の停止記号なのであった。

 ……ただし、のだが……。

「これでとどめ……! ――は? えっ!?」

 大講堂の屋根から跳躍したマティアス。その軌道上に居た巨大蜂型のソーマが縦真っ二つに割れる。……昨日の花竜ソーマの末路の再現のようだが――マティアスの戸惑った声がそれに異を唱えていた。

(僕は斬って……ない! こいつ、自分から割れた!?)

 割れて開いたソーマの身体から零れ出たのは、卵のような……のような丸い物体の数々。それらが――緑色に膨張する。

「――!?」

 時間にしてまばたきを一度するくらい。そんな秒にも満たない一瞬で、植物の巨大蜂が何十もの数に増殖したのである。それを認め、マティアスの頬が引き攣った。

「このソーマ――なんて凍牙クレセントと相性が悪い……!!」

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