第5話 クアドラ・アリエッティ

(……クアドラ……)

 クアドラ・アリエッティという名の彼女を、マティアスはどういう存在か、簡単には説明が出来ない。

聖父アマデウス〟であると判明し、両親の許から引き離された五歳のマティアスに、人類統一王国ワン・フォー・オールはそれに相応しい教養と能力を身に付けさせようとした。その為に選抜に選抜を重ねて選ばれた教育係……それがクアドラである。

 ……同時に、何があろうと死なせてはならない〝聖父マティアス〟を絶対に守り抜く為の守護者でもあった。

 マティアスの教育係兼護衛となる前のクアドラは、各楼閣シェルターを巡りながらソーマを退治して回っていたという。その討伐数は人類統一王国ワン・フォー・オール史上最高であり、未だに破られる気配が無い。だからと言って戦いしか能が無いというわけでもなく、ドレスを纏えば各楼閣シェルターの上流階級の社交界で、他を寄せ付けぬ教養と作法、何より美貌によって男性陣を虜にし、女性陣の羨望を一身に受けたマドンナであったのだ。それらの功績・名声の大きさから、人類統一王国ワン・フォー・オールの王家より一代侯爵の位を授けられている身なのである。

(……アイシア聖母学院このがっこうにも、クアドラのファンがかなり多いみたいだしね……)

 マティアスはむず痒く感じていた学院生たちの熱視線を、クアドラの方は一切意に介してはいないように見える……。

 とにかく、そんなクアドラとマティアスは一〇年の年月を一緒に過ごしてきたのだ。

(教育係としては……うん、ちょっと厳しくて怖いかな……)

 教養や礼儀作法はもちろん、対ソーマを想定した戦闘術もソーマの天敵アマデウスとしてクアドラから叩き込まれてきたマティアスは、彼女にボコボコにされた経験も一度や二度ではない。

(護衛としては、とても頼りになるけど……)

 ソーマは当然のこと、様々な思惑からマティアスを狙った暗殺者たちも、クアドラの前では赤子同然であった。……そもそも、比較的最近になるまで、マティアス自身さえも自分を狙う暗殺者が居たということに気が付けなかったほどなのである。

 ただ――それらはマティアスにとって、あくまでもクアドラの一面に過ぎない。彼の知っている本当の彼女は……。

(……父さんと母さんに会いたいと泣く幼い僕を、一晩中抱き締めてあやしてくれた……)

 或いは、体調不良でマティアスが寝込んだ時、油断だと叱りつつも……治るまで寝ずに看病してくれたこともある。

(日頃の感謝の気持ちを籠めて、こっそりプレゼントを用意して贈ったら、僕の方がびっくりするくらい驚いて……)

 普段のクールな雰囲気からは信じられないくらい、照れて真っ赤になっていた……。

 教育係や護衛というだけではない。両親かぞくと引き離されたマティアスにとっては、母のようであり、姉のようであり、時々妹のようでさえあり……。

(……っ……! まずい……。ああ、くそ……やっぱり、大好きだ……!!)


 ――いつしか、マティアスの心のど真ん中に座していた、最愛の女性なのである……。


 ……そんな相手クアドラが居るにもかかわらず、アイシア聖母学院に将来の伴侶を選ぶ為に入学することを、マティアスは非常に居心地悪く感じていた……。

(……いや、クアドラには、完膚なきまでにフラれてるんだけどね。…………。あ、駄目だ、何だか泣きそう……)

 熱くなってきた目頭を、マティアスは意志の力で必死に冷却する。

 ……まだ数日前のことだ。ザ・ワンの前に居た楼閣シェルターで、そこの街並みを見下ろせる展望台の上で、マティアスは自分の気持ちをクアドラへと伝えたのである。きっかけは間違いなく、アイシア聖母学院への入学の件。ついに、〝聖父アマデウス〟として伴侶を選ばなければならない時が来たこと、少なくとも数年以内には回答を出すことを迫られたという事実に、マティアス自身も焦ったのである。

 ……クアドラという心に決めた人が居るのにアイシア聖母学院に入学して、そこの生徒たちに無駄な期待を抱かせたくないという配慮もあった。

 なのだが……結果は撃沈だったわけであるけれど。


『僕は……貴方のことが、好きです! 愛している! 僕の伴侶になって、ずっと……ずっと一緒に……生きて下さい!!』


『――申し訳ありません。わたくしはあなたの気持ちに、応えるわけには参りません』


 ……自分の吐いた告白の台詞と、それに対するクアドラの返事が脳内でリフレインする度に、マティアスの心臓はナイフで突き刺された如き激痛を発する。

(……クアドラは、断った理由を自分が下賤な身だからとか、穢らわしい血の持ち主だからとか、言ってたけど……実際はそんなわけないし……)

 経歴を鑑みても、クアドラにアイシア聖母学院の生徒たちに何か一つでも劣っている部分があるとは、マティアスには思えなかった。……真面目な話、マティアスとクアドラがになってしまったとしても、人類統一王国ワン・フォー・オールの上層部はそれを認めるだろうとマティアスは感じている。〝大預言者メサイヤ〟アマデウスや〝聖父アマデウス〟マティアスが別格というだけで、クアドラも今の人類において紛う方無き英雄の一人なのであるからして。

 比類なき英雄同士の婚姻……人類に明るい未来を示す上で、これ以上のイベントはあるまい。また、血統的な面で考えても、クアドラの才を〝救裁者メギド〟に受け継がせることが出来るのは、いずれ起こり得るソーマと人類の最終決戦を想定しても悪くない選択のはずであった。

 ……だのに、当のクアドラ自身がマティアスの伴侶になることに乗り気ではない。その事実から考えられる答えは――

(……や、やっぱり、歳の差がネックなのかな……!?)

 ――クアドラから対等の男として認識されていないのではと、マティアスは愚考する。

 現実問題、年齢が離れた相手を恋人や伴侶とする為には、並大抵ではない努力が必要となるものだ。マティアスとクアドラの年齢差は……実のところ、マティアス自身も正確には把握をしていないのだが……。

(……年齢について触れた時のクアドラは、物凄く怖いから……! ――と、とりあえず、僕の教育係兼護衛になった時点で、今の僕より年下だったってことは、無いはずだけど……)

 ……少なくとも、一〇歳以上の歳の差がマティアスとクアドラの間には横たわっているはずであった。それを埋める努力が、自分には足りていなかったのではないかとマティアスは分析している。

(『女性は包容力のある男性を求める』って、昔読んだ本にも書いてあったし! 僕の、包容力……。身長はクアドラより低いし、腕や脚だって、鍛えてるはずなのにあまり太くならないし……。見た目には確かに、包容力なんて感じられないって自覚はあるけど……)

 ならばハートで補おうと思っても……マティアスは昨日の砂走船サンド・ランナーの船室での一幕が記憶に甦り、少しばかり死にたくなる……。

(今日の件に触れられて、拗ねて、不貞腐れて……ああぁ、丸っきり子供だよ! 包容力の『ほ』の字も見えない! クアドラだってそんな相手ぼくを恋人とか……あまつさえ夫にしたいなんて、思うはず無いじゃないかぁぁああああああああああっっ!!)

 自問自答で出た結論に、マティアスはもしここがアイシア聖母学院の講堂でなければ、地面で転げ回っていたであろうほどの自虐を味わっていた……。

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