第4話 アイシア聖母学院

 今の人類は、神砂海ニルヴァーナすなの上に直接立って生活している……というわけでは、当然ない。……非常に粒子が細かい神砂海ニルヴァーナの塩は、その上にただ立っているだけの存在さえも、ズブズブと流砂の如く呑み込んでいくのである……。

 故に、人々は神砂海ニルヴァーナの数m上に、反重力の力場にて浮遊する機械の浮島を築き上げ、そこで生活をしているのだ。

 ドーム状の天蓋にて覆われたその浮島は『楼閣シェルター』と呼ばれ、中でも特段に大型のものだと『大楼閣グランシェルター』と呼称されている。……その大楼閣グランシェルターの中でも、最初に建造された最大のものがザ・ワンであり、そここそが人類統一王国ワン・フォー・オール……ソーマにより神砂海ニルヴァーナへと追い遣られた人類が、その地にて再編成した世界唯一の国家の首都なのであった。

 そんなザ・ワンの中央区画、それの一角に『アイシア聖母学院』は校舎を構えている……。

「――長々と話してしまいましたが、これを持ちまして歓迎の挨拶とさせて頂きます。どうか、良き学院生活を! 偉大なる〝聖父アマデウス〟……マティアス様!!」

 彼の学校の敷地内に設けられた、大講堂。その壇上にて長い挨拶を終えた少女へ、最前列の貴賓席に腰掛けたマティアスは拍手を送る。彼のそれを皮切りに、講堂全体が揺れるくらいの大拍手が鳴り響いた。

 それを一身に浴びることになった桜色のセミロングヘアの少女は、エメラルド色の瞳が眩い美貌をあわあわさせ――咄嗟に下げた頭を講壇へと激突させる。拍手の音でも搔き消せぬ壮絶な音が轟いて……痛みに身を震わせた彼女が講壇の向こうにしゃがみ込む姿が、講堂中に笑いを生じさせた。……とはいえ、不快感を覚えさせる厭らしい笑いではなく、少女への親近感が多くを占める笑いである。

「……生徒たちに愛されてるんだね、あの生徒会長さん。確か――」

 独白のつもりだったマティアスの言葉に、彼の肩に細やかな重みが掛かった。〝聖父アマデウス〟の耳朶に極小の囁きが滑り込み……彼の鼓動が数割早まる――のも一瞬のこと。

「――レナ・ダルタニアン殿下です、マティアス。人類統一王国このくにの第二王女殿下ですよ。後でまた話す機会があるはずですが……くれぐれも失礼の無いようにお願いします」

「……肝に銘じてるよ」

 隣に座る、微塵も隙の無いスーツ姿のクアドラから釘を刺され、マティアスは胸の内で嘆息した。色気の無い事務的な忠告に、彼のときめきは儚く霧散してしまう。

 ……〝聖父アマデウス〟として持て囃されているが、マティアスの元々の出身は、ザ・ワンとは比較にならぬほど小さい田舎の楼閣シェルターである。そこに住んでいた何の変哲もない農家の夫婦の子供として生まれたのだ。

(……そこで普通の子供として過ごしたのなんて、五歳までだけど……)

『三つ子の魂百まで』ということわざもある。田舎の庶民の血筋であるマティアスにとって、王族と対面するなど……緊張で胸が張り裂けそうな出来事であった。

 ……もっとも、その王族のレナ・ダルタニアン姫の方こそ、〝聖父マティアス〟へと全校生徒を代表して挨拶することに、可哀想になるくらい緊張していたのだが。登壇する時、その細い腕と脚は同じ方が同時に出ていた。今の人類社会においては、王族が敬意を向けられる頂点ではない。マティアスが――〝聖父アマデウス〟こそが、敬意のピラミッドの頂点なのである。

「レナ殿下は今、一六歳……マティアスより一つ上ですね。このアイシア聖母学院で生徒会長を務めていることからも解る通り、極めて有望なです。是非、仲を深めて頂きたいものですね」

「………………」

 クアドラの解説に、マティアスは苦虫を噛み潰したような表情が顔に浮かばないようにするのに、なかなかの精神力を消耗した。

(アイシア聖母学院……。今日から僕が通う羽目になった学校で、本来は女子校! 僕の……〝聖父アマデウス〟の、か……。はぁぁ……)

 創立は、〝大預言者メサイヤ〟アマデウスの死から一〇〇年ほど経った頃だと言われている。いずれ現れる〝聖父アマデウス〟の伴侶、即ち〝救裁者メギド〟の母として相応しい女性を育て上げることを目的に、下は一二歳から上は一八歳までの少女たちに、徹底した淑女教育他を行う人類統一王国ワン・フォー・オール屈指の名門校――それがアイシア聖母学院だ。

 ……特に、実際に〝聖父アマデウス〟たるマティアスが現れて以降は、その本懐を果たすべく授業は高度化。神砂海ニルヴァーナ全土から入学希望者が殺到し、同時に数多くの落伍者を出しつつ、生徒たちの質は磨き上げられていったという……。

 そこに、満を持して〝聖父アマデウス〟マティアスが、ただ一人の男子生徒として入学するのが今日なのである。要するに、とうとう〝聖父アマデウス〟マティアスの正当な伴侶、〝救裁者メギド〟の母となる女性が選ばれる時が来た。……そのように人々は認識している。

 今日、この日を迎えて、アイシア聖母学院の少女たちが浮足立っているのは、初めてここへ足を踏み入れたマティアスにも解るほどだった。早朝に学院敷地に入ってから、マティアスが視線を感じなかった瞬間は雉を撃ちトイレに行った時だけである。本日初めて袖を通した白の学生服……マティアスの為だけにデザインされ、縫い上げられたアイシア聖母学院の男子用制服が、早くも視線に射抜かれて穴だらけになりそうであった。

(……いたたまれない……。――いや、それが、多くの男性から見れば贅沢な悩みなんだってことは、解るんだけど……)

 表情は穏やかな微笑を保持したまま、マティアスの心中では溜息が止まらない。

(……この学校の女の子たちは、皆綺麗だし……性格だって良いんだと思うよ。身分だって、ほとんどが貴族だって聞いてる……。それどころか本物の王女様だって通ってるわけだしね!)

 マティアスと、壇上のレナ王女の目が合った。頬を赤らめて目礼する彼女が、マティアスに悪感情を抱いていないことはいくら何でも察せる。

 その気になれば、お姫様までよりどりみどり。もしかしたら男の夢・ハーレムだって作れるかもしれない……そんな環境が、マティアスの為にお膳立てされているのである。

(だけど……あぁ……だけど、さ……)

 ……それを全く嬉しいと思わない自分を自覚して、マティアスはそっと己の隣を盗み見た。

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