第3話 救世主の、父

 ……かつて、ソーマの大侵攻が始まり、人類の生存圏が加速的に脅かされていった頃、『彼』は現れた。

 ――〝大預言者メサイヤ〟アマデウス。

 それまで誰も知らなかった神砂海ニルヴァーナへ、人類の生き残りたちを導き、ソーマに対抗するを人々に伝えた彼は、神砂海ニルヴァーナでの人々の生活が安定するまでそれをソーマから守り抜き……ソーマとの戦いの傷が元で命を落としたという……。

 滅亡の一歩手前まで追い詰められていた人類に、か細いながらも存続の道を示した英雄の死に、人々は哀しみと絶望を味わったが――アマデウスは自らの死の直前、最後の希望を残していたのである。


『私は、今日、ここで死ぬ。けれど皆、悲観することは無い。……途方もない年月の後、私は再びこの世に生まれ変わる。生まれ変わった私は誰かと結ばれて、子を生すだろう。その子は幾多の困難を乗り越えて成長し、いつかソーマを退けて世界を、人類を救済する。……皆、今しばらくだけ待ってほしい……私の帰還を。そして我が子……〝救裁者メギド〟の誕生を――』


 ……〝大預言者メサイヤ〟アマデウスの復活と、その子・〝救裁者メギド〟の誕生。それだけを心の支えに、人類は長きに亘る雌伏の時に耐えてきたのだ……。

 ――そして一五年前、ついにアマデウスは人類の許へ帰ってきたのである。

 猫っ毛の銀色の髪と、澄んだブルーの眼差し。少女と見紛うような優しげな面差しと小柄な身体つきをした彼は、今世では『マティアス』という名前を持つ。

 人々からは尊敬と親しみを込めて、〝聖父アマデウス〟と呼ばれていた――


「――ま、まさか……まさか! 〝聖父アマデウス〟様が乗り合わせて下さっていたなんて……!!」

「ああ……ああっ……! 私は今日という日を一生忘れないでしょう……!!」

「……お、俺……あのソーマがこの船に近付いてくるのを見て、護衛の凍牙騎士クルセイダーが逃げ出したんじゃないかって暴言を……! 〝聖父アマデウス〟様だとは露知らず……!! お許し下さい、お許し下さいっっ!!」

「――いえ、気にしないで下さい。……むしろ、僕こそもっと早く、ソーマの接近に気付いて対処するべきでした。申し訳ありません」

「「「「「――そんな!? お顔を上げて下さい〝聖父アマデウス〟様!!」」」」」

 ……砂走船サンド・ランナーの甲板上は、数分前までとは別の意味で大騒ぎになっていた。船に襲来したソーマが倒され……倒した人物が聖父アマデウス〟マティアスだと解り、彼の姿を一目見ようと乗客も船員も殺到したからである。マティアスから直接声を掛けられた船員は感涙に咽び、彼と目が合って微笑み掛けられた婦人など気絶してひっくり返るほどであった。

「再びソーマがこの船に襲い掛かってこようとも、何も恐れることはありません! 次も……何度でも! 僕が皆さんをお守りすると約束します!!」

「「「「「マティアス様――万歳っっ!!」」」」」

「「「「「〝聖父アマデウス〟様……万歳っっ!!」」」」」

 ……お祭り騒ぎがどうにか収束するまで、実に一時間以上掛かった。ようやく人の群れから解放され、新たに宛がわれた船室(元々マティアスたちはもっと安い船室を借りていたのだが、船員たちから「〝聖父アマデウス〟様をこの船で一番の部屋にお連れしないなどとんでもない!!」と、強引に案内されたのである)に入ったマティアスは、扉に鍵を掛けたことをしっかりと確かめ――ズル~ッと床へと座り込んだのである。

「……つ、疲れた~! 竜型のソーマと戦ったことよりも、船の人たちを落ち着かせることの方がずっと大変だったよ……」

「――お疲れ様でした、マティアス」

 マティアスの独り言……ではなかった。船室には先客が居たのである。年齢は二〇代の中盤だろうか? マティアスより数cm身長が高い、腕も脚も長く、お尻や胸は肉感的に発育した……けれども腰はキュッとくびれた女性が、こちらも旅装束に身を包んで姿勢良く立っていたのである。

 藤の花を思わせる色合いの髪は、腰を越すくらい長い。緩い一本三つ編みにされたそこからは林檎のような香りが微かに立ち昇り、マティアスの胸をざわつかせる。紫水晶アメジストのような双眸が特徴的な容貌は芸術品のように整っており、それ故に何処か冷たい印象を醸し出していた。

「ですが――人々にとって〝聖父あなた〟は希望なのです。あなたの一挙手一投足が人々を心穏やかにすることもあれば、不安に駆り立てることもあると自覚して下さい。……今のようにだらけ、油断した姿をこの船の人たちが見たらどう思うか、解っていますね? 隙を見せることが無いよう、お願いしますよ?」

「……解ってるよ、クアドラ」

 不貞腐れた表情で、マティアスは彼女の名を呼び、目を逸らす。その仕草は年齢以上に子供っぽく、甲板に居た時の堂々たる紳士然とした姿とは似ても似付かない。クアドラは小さく、音の無い溜息を吐いた。

「……良いですか、マティアス。この船は夕方には目的地――『ザ・ワン』に着きます。夜には王族の方々を始め、『人類統一王国ワン・フォー・オール』の重鎮の方々とも顔を合わせることになるのですよ? 何より、翌日にはとも対面することになるのです。その時までそのような態度では困りますよ? ……聞いていますか?」

「……『婚約者』じゃないよね? まだ『婚約者』の子たちだ」

 ぶっきらぼうに、だが少しだけ声を震わせて反論したマティアスに、クアドラは口元を手で隠し、溜息をもう一度だけ吐く。

「……資料で見ただけですが、どの方も素晴らしいお嬢様ですよ。優しくしてあげて下さいね? それは〝聖父アマデウス〟以前に、紳士として淑女に対する義務です」

 そう言うと、クアドラは「では、わたくしはこの船の船長とお話しするべきことがありますので」と告げ、マティアスが折角鍵まで掛けた扉を開き、廊下へと出て行く。

「――それから、先程のソーマはよ。塩の砂の中を潜行して、鮫型のソーマが二体、付き従っていました。そちらはしておきましたが……気付けなかったことは大きな減点です。ザ・ワンに着いてからの修行は少々厳しくしますから、覚悟しておいて下さい」

 マティアスの〈北兎丸〉のそれとよく似た鞘の長剣を腰で鳴らして、クアドラは扉を閉めた。鍵を持っていったらしく、外から施錠される音が響く。……それを聞き終えたところで、銀髪の〝聖父アマデウス〟はのろのろと立ち上がり……船室に備え付けられた二つある寝台の片方へ顔から倒れ込んだ。清潔な匂いがするシーツを両手で握り締めて、マティアスはくぐもった声で愚痴を零す……。

「僕の気持ちを解ってるくせに……。クアドラ、何で……」

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