第2話 その名は『アマデウス』
「パパ……パパぁ……! うっ……ひぐっ……!!」
「……大丈夫だ!! パパが……パパがきっと、助けてやるから!! ……お前だけでも……」
防塩のフード付き外套を羽織った壮年の男が、同様の外套で身を包んだ幼女を抱き締める。……父と娘であるだろうその二人は、
ソーマの花そのものの頭部は、数秒置きに発光していた。その度にバチッ、バチチッと威嚇するような音を鳴らし、幼き娘の方を怖がらせる。……空気を焼き焦がす臭いからして、影響は明白だった。
「……電撃……! まずい、まずいぞ……!!」
父娘が身を隠すコンテナは、前述の通り金属製。電撃から身を守れるどころか、避雷針的に
――
「……ヘレン。パパと一緒なら、泣かずに……頑張れるか?」
「………………ぅ、ぅんっ! ヘレン……頑張るっ……!!」
まだ五歳か六歳の年頃で気丈に振る舞う少女の頭を、彼女の父は優しく撫でた。何にも勝る宝であるように娘を抱きかかえた父親は、己が両脚を全力で駆けさせる。
……ドタドタと不格好に甲板を走る父娘の姿を、何かしらの感覚器官でソーマは見咎めた。その花型の頭に、まさに竜が息吹を吐く前兆のように稲光が集束する。
「――ぅわああああああっっ!!」
それを発射させまいと、父親が小型の、護身用と思しき拳銃をソーマへと乱射する。見た目通り、竜にも並ぶ巨体を誇るソーマには豆鉄砲に過ぎないが……それでも数発の鉛玉が緑色の体表へ喰い込み、穴を空けた。……父親が、頬を引き攣らせながらも笑みを浮かべる――が。
「……あっ!? ……ああぁぁああああっ……!!」
ソーマが負った銃創は、一秒と経たぬ内に塞がってしまう。……人が、ソーマの侵略に抗えなかった理由の一つがそれだ。この怪奇なる植物たちは、どのような損傷を負っても……それがたとえ核の炎であっても、長くてもほんの数秒で完全に再生を遂げてしまうのである。それも……受けた攻撃に対する完璧な耐性を獲得して。
……『不死不滅』。そうとしか表現が出来ないこの怪物たちに、人は如何様にして対抗すれば良いというのか……?
「……ひっ……ひぃっ……!?」「パパぁ……!!」
緑竜の花の頭部が、中天の太陽にすら勝る輝きを帯びる。……そこに籠められた雷電の暴威は、どれほどの破壊力に至るか……? すがり付く愛娘を庇うように我が身で覆って、男は涙ながらの声で天に訴えた。
「せめて……娘だけでも! 誰か……助けてくれ……!!」
「――もちろん助けます! 娘さんも……貴方も!! すみません、遅くなりました!」
「……えっ?」
――希望の風が、親子の横を吹き抜けた。
風は、防塩のマントを脱ぎ捨てながら、花の魔竜へ疾駆する。甲板を蹴り付ける痩躯は、歳の頃一〇代の半ばの少年のもの。それでも、丈夫そうな旅装束を着込んだ彼は、まさしく疾風の如く速い。
その疾風へ、ソーマの雷霆が降り注ぐ――
「頼むよ、〈
少年の腰に佩かれた大型の鞘が、呼び掛けに応じてプシューッと蒸気を上げた。その中より引き抜かれたのは、二尺七寸ほどの刃渡りの打刀。蒼白く、微かに透き通った刀身が白き靄を纏わり付かせて振り抜かれ――
バリバ――ギィィンッッッッ……!!
ソーマの放った稲妻を、その形のまま凍り付かせた。
「……は?」
稲妻が――電気が凍るなど、物理法則的には本来あり得ない現象。呆気に取られる父親の声を背に受けて、それを為した少年は凍結した雷を駆け上がる。
少年の、猫っ毛な銀髪が塩風に踊り――
――緑竜の花の頭部が、椿が散るように首から切り離された。
……ついでに、甲板へと着地した少年の向こうで、皮膜の如き翼の一枚も肩口から分離する。
ソーマの悲鳴は、他の如何なる生き物のそれとも似てはいなかった。
「……やっぱり、見た目通りの急所の位置じゃないんだよね……」
真上の蒼穹に似た色の瞳を細めながら、少年は幼さを多分に残す愛嬌のある顔を歪める。彼に向かい、首から上と片翼を失った植物の竜は、遠心力をたっぷりと乗せて尾を振るってきた。そこにも、周囲の陰影を変えるほどの雷光が絡み付いている――けれど。
「遅いよ」
少年の刀が、迅雷すら追い抜く旋風と化す。輪切りどころか細切れとなったソーマの尾は、さらに澄んだ音を立てて粉々に砕けた。身長一六〇cmそこそこの少年の体躯を、星屑のようなダイアモンドダストが取り巻く。
今さらながら……少年に斬られたソーマの傷は、再生していなかった。切断面にはびっしりと霜が降り、電撃と同じく完全に凍結している。ここに来て、ようやく目の前の少年が自身を殺し得る天敵だと悟ったように竜の形の植物は踵を返そうとするが――最大の移動手段たる翼を失ったその身は、逃走の機をとっくに逸していた。
「ふっ――」
軽い呼気と共に、一瞬で少年は遥か上空へと跳んでいた。耳元で轟々と鳴る風の中、少年は泳ぐように体勢を整えて、〈北兎丸〉という銘の打刀を鞘へと納める。鯉口がガチンッとロックされる音の直後――眼下の緑の翼竜が縦に二つに分かれた。正中線から急速に凍て付いていき……数秒後、粉雪のように散華する。
危なげなく最も高いマストの上に降り立った少年は、黙祷するように目を閉じて胸元に右手を添えた。
ここまで声も無く、少年の勇姿にまばたきも忘れて見入っていた娘が、父へと囁く。
「……パパ……わたし、あのお兄ちゃん……見たことあるっ!」
「……あ、ああっ。パパも……パパもだよ! 知ってる……知らない人間がこの世に居るものかっ!!」
誰よりも、何よりも貴く尊き存在に出会ったように、父娘は落涙して跪いた。
「「――『アマデウス』様っっ!!」」
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