第37話 闇魔法師ジェーン
「人の弱みに、漬け込む魔法」
「具現化されるものはしょせんその程度。目に見えるものだけがすべてではないというのに。わかりやすい強さだけに囚われていれば、勝てない。ヴィリス、そこが英雄ブライとの違いだ」
「父さんとの、違い?」
ヴィリスがいう。
「ヴィリス、お前には才能がある。具現化される魔法の中では飛び抜けて強い。ゆえにルートニしかりラインランドを始末できたわけだ。だが、ブライ様のような"戦うことさえ諦めてしまう"強さではない」
ジェーンはため息をつく。
「このジェーンが求めてきた強さは。戦うことすら諦めてしまうような力一択。さあ、ジェーンの精神攻撃、耐えてみるがいい!!」
そういって、ジェーンは手から魔力を放った。
ジェーンから放たれた【深淵】は、ヴィリスの体内に侵食した。入ってすぐは、気分が害されることはなかった。
むしろ清々しい気分だった。心の汚れが取り除かれ、浄化されていくような。溜まり続けていた汚れがこしとられていくような感覚があった。
敵であるはずのジェーンが、自分の心を正してくれる聖人にすら思えるヴィリスがいた。
「ねえ、ヴィリス!! しっかりして!!」
フライスが必死に呼びかけるも、彼は完全にジェーンの手に収まりつつあった。
「ヴィリス!!」
心の闇も、不安もすべて忘れてしまいそうなくらいに吸い取られていく……
抵抗する気にもなれなかった。現実だと受け入れ、身を委ねるだけだった。
体内に侵入していた邪悪な魔力は、ヴィリスの中に秘める邪悪を巻きとり、ふたたびジェーンの手元に戻った。
「ねえ、ジェーン。あなたは何がしたいの?」
「いいだろう? 私は勝ちたいんだ。圧倒的な攻撃手段を持つ相手に武力を戦わずして勝つ。それがやはり心地いいんだ。ここにいる魔法師は皆同じだろう? 勝つという行為に囚われた人間しかいない。そんな奴らから、一瞬でも執着を取り除いてやる私は優しいと思うが」
ジェーンの手元に、邪悪な魔力が収まる。黒ずんだ空気が渦巻く球体を、ジェーンはじっくりと眺める。
「攻撃魔法には、相性があるだろう。炎と氷のように、互いに打ち消し合うものが存在してしまう。だが、闇魔法は相手の弱みや悪につけこむ。どんな人間にでも存在するものを対象している。ゆえに、誰も抗えない。誰も、だ」
「そんなの知ったことじゃないんだから!! 【光の矢ライトバースト】!!」
閃光の名にふさわしき、高速の光魔法がジェーンへと向かう。
「何も変わっていない、いや退化している」
ジェーンに近づく前に、何かにぶつかったように【光の矢ライトバースト】は消滅してしまった。
「残念だが、私に並の魔法は効かない」
「このリーナ、あなた方がいない間もジェーンの元にいたからわかります。フライスさん、私たちに勝ち目はありません」
「どうして? 黙って見捨てるっていうの?」
「あなたの知っているジェーンでは、もうありません。これまでは手が届くところにいたかもしれませんが、もうあの方は人ならざる領域へ、着々と進んでいます。無駄な抵抗は後悔を加速させるだけです。それでは効率が……」
「効率なんて関係ないでしょう!! なんでやる前から諦めてるの? それでも【英雄パーティー】の【七選魔法師】じゃないの?」
「あなたも、【元】がつきますがそうでしょう? 【七選魔法師】たるもの犬死は頭の足りないものがすることだとわかっているでしょう」
「犬死、だなんて」
その間にも、ジェーンは手中の魔力を、さらに凝縮させている。彼の中に秘める、底知れぬ悪が、注ぎ込まれていく。
「さあ、戻るといい。そして、ヴィリス。せいぜい長く楽しめるといいな」
ジェーンが手のひらを開いた途端、魔力はヴィリスの口を経由して取り込まれてしまった。
「うっっ??」
取り込まれた瞬間、眉間は動いた。
そして、濃縮された闇が、朦朧とするヴィリスに対して鮮明に突きつけられていく。
流れてくるのは、英雄ブライの記憶と、ヴィリスが目にしたことのない、ブライの戦闘。
ブライという人間は、ヴィリスに対してだけは穏健だった。
裏を返せば。
記憶になくとも、ヴィリスの母親はよくブライに八つ当たりをされていた。
家が荒れ果てるほどに怒り狂った日も少なくなかった。
やめてくれ、やめてくれという余力も残されぬまま、ブライの愚行は脳内にチラつ己続ける。
気のしれた家臣を、嬉しそうに斬り殺すブライの姿。
来客の態度が気に食わず、顔面を地面に何度も叩きつけている姿。
剣の調子を確かめるために、何度も何度も試し斬りをしている姿。
理不尽な理由で、多種多様な魔法で誰と構わず惨殺する姿。
ありとあらゆる、ブライの愚行を延々と流されては、ヴィリスの心はそれが嘘だと信じたかった。
自分がずっと信じて追い求めてきた男の姿というのは、これほどまでに汚くて醜いものだったのかと。
英雄という称号を、こんな極悪非道な人間に与え、さも善人であるかのようにうつされていた人間を敬っていたのかと。
吐き気がした。つい体の中のものが逆流してしまい、口から出てしまう。しばらく止められそうにもなかった。
「ヴィリス、ねえ、何を見せられているの? ねえ」
しゃべりもうなずきもしない。見せられた悪以外、何も見えなかった。
それと同時に、自分の弱さが可視化される。走馬灯のように駆け巡る。
後悔、嫉妬、悲しみ。
うまくいかずに過ぎ去ってしまった日々が蘇る。忘れることで平穏に暮らせていたことを、容赦なく思い出させる。
それも高速で、何周も、何周も。
五分ほどすると、
「もうこれでヴィリスも尽き果てたか」
とジェーンがいった。
精神攻撃は、彼のひとことで終止符が打たれた。
見ていられないような光景を逃げられず、受け入れることしかできなかったヴィリス。
戦わせてもくれなかった。
「ヴィリス!!」
フライスが駆け寄る。体を揺さぶるも、目は生気を帯びておらず、体からも力が抜けつつあった。
「ねえ、死なないよね? こんなところで終わるの、ヴィリスの最強は? 返事くらいしてよ?」
「安心しろ、私はまだ殺していない。それで死なれてしまっては興醒めしてしまうだろう」
「あなた、人を何だと……」
「忘れるな、私は【英雄パーティー】の闇魔法師【深淵】のジェーンだ。これまでもこうやって幾千もの敵を精神崩壊させてきたさ。星の数ほどいる被害者のひとりになったに過ぎないからな」
フライスは殴りたかったが、殴ろうとする前で、やはり何かに遮られてしまった。
「なんで、なんでよ!!」
フライスは地面を、強く強く叩き続ける。たとえ血が出ようとも、声が枯れそうになるほど叫んでも。
「僕は、嫌だ……」
ようやくして、ヴィリスが声を放つ。
「ヴィリ、ス?」
「父が、残虐な殺人愛好家だったなんて。信じられないですよ。ずっと憧れていた父が、幻想だったなんて…… そんなの、そんなのダメじゃないですか」
「ブライが、殺人愛好家? 違う、そんなわけないわ。きっとそれは正しい殺しだったはず。あの人は、殺すべき相手しか殺さなかったはず」
「殺人愛好家で、誰ふり構わず殺してしまうことが、彼の真の姿。それってあんまりじゃないですか。そんなの」
「ヴィリス?」
「嫌だ。嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
魂の叫びだった。高速で何度も繰り返し見せられれば、ずっと前から知っていたように錯覚するのも無理はない。それを忘れていた自分が許せない。父が許せない。
ヴィリスにとって、ブライの存在はいかに大きかっただろうか。
心の支えだった。
それなのに、裏切られた? なぜ、いってくれなかった。
自分と接してくれたブライはなんだったのか。
もう、考えたくなかった。嫌だ、といい続けて、今だけは気分を紛らわせたかった。
「壊れゆく人間を見るのは、楽しいものだね」
「ジェーン、あんたって……」
「これが【深淵】だ。思い知ったか? 次はフライス、いいや、リーナの番だ。フライスはさらなる苦痛を味わった上で死にいくといいさ」
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