初めて観たあなたはまるで

鳩沢鶲

初めて観たあなたはまるで

初めて彼女をTVで観た時、身体に電流が走った様な気がした。

ありきたりな表現だが、まさか本当にこんな事が自分の身に起こるとは思っていなかった。

それくらい驚いたんだ。


僕はTVに映る彼女から目が離せなかった。

ドキドキと高鳴る鼓動、もしかしたら頬も赤かったかもしれない。

TVを一緒に見ていた家族が怪訝そうにこちらを伺っているのが目の端に映る。


僕は気持ちをごまかすように「この人、誰か知ってる?」と口にした。

家族から「知らない」と返事が来たのでCM中にさりげなくスマホで検索。

彼女は大学生院生らしい。僕よりも歳下だった。


僕は社会人で、付き合っている女の子もいる。

それなのにTVの向こうの見たこともない彼女に見惚れてしまった。

この気持ちは何だか分からないが、きっとこれは良くない。

良くない気持ちに違いない。

TVの中で微笑んでいる彼女も、見も知らぬ男性に突然好きになられても困るだけだろう。

そう思って僕はなるべく画面から目を離すようにした。


だけど。

どうも画面の彼女が気に掛かる。

ちらちらと画面を見る。

なるべくさりげなく。


カメラ目線でにっこり微笑む彼女。

わざとらしいお辞儀。

他の女性タレントなら「あざといなー」と思う仕草が何故か初々しく見えた。

今まで女性タレントを好きになったことはある。

でも今までのどの気持ちとも当てはまらない。

彼女の話をもっと聞きたい。

好きなことを知りたい。

彼女の隣で話を聞いてみたい。

何だこの感情は。まさか、とハッとする。

これがリアコというやつなんだろうか。

そう気づいてますます誰にも言えない気持ちになった。

最初から失恋確定のこんな気持ち、早く無くなってしまえばいいのに。

そう思った自分と相反するように、彼女に見惚れる自分は「この気持ちを無くしたくはない」と思って。

そのままそのつまらない番組を見続けてしまった。


付き合っている女の子とデートをした。

「あきらくん痩せたね」

「え?…仕事が忙しいからかな」


繁忙期なのは本当。

それなのに自分の言葉はどこか言い訳がましく響くように感じる。


仕事中にふとTVの向こうにいる彼女を思い出してしまうと手が止まり、なぜか食欲が湧かなくて。

…なんてとても言えない。

「なんか分かんないけど。体調気をつけてね」

「うん、ありがと」

「何でも話してね。遠慮なんてしないで」

打ち明けても、良いんだろうか。

ふとそんな思いが胸をよぎる。

でもわざわざ火種を持ち込むことは必要なのか?

そりゃ些細な喧嘩は日常茶飯事だ。

逢ったこともないTVの向こうの女の人が気になるんだ、と話したと仮定して。

結果的に失恋が決まっているこの感情を理解されるかもしれないし、されないかもしれない。

最悪いま付き合っている女の子とは別れることになるかもしれない。

馬鹿正直に話すことはないんじゃないだろうか。

でも。

嘘をつくような(ついていないのに)やましい気持ちをいつまで隠し通せるか正直なところ自信はない。

「…食べないの?」

「あ!食べる。食べるよ」

慌てて「いただきます」と食べ始めたけれど味はさっぱり分からなかった。


TVの向こうの彼女はSNSをやっている。そりゃそうだ。

メインのアカウントでフォローするのは気がひけて普段滅多に使っていないアカウントでフォローした。

僕の付き合っている女の子も多分知らない方のアカウント。

隠すからやましいのか、やましいから隠すのか。

この気持ちは自分でも分からない。

誰も相談できないから余計につらい。誰かに助けて欲しい。

でも、僕だって友達が「TVに出てるタレントを好きになってさ」と言われたらどうしていいか返答に困るだろう。

だから。

この気持ちは自分の中から出す訳にはいかないんだ。

心の中に秘めるだけ。誰にも迷惑をかけないように。

彼女はTVに出たり出なかったりしている。

僕には僕の生活があるし全てを観て誰かに怪しまれるのも困る。

そう、僕はこの気持ちが恥ずかしいんだ。とても恥ずかしく思っている。

誰かに指摘されたらどうしよう、という罪悪感が常にある。

そんな日々を送っていたある日、彼女があるイベントに出るという情報を得た。

詳細をwebで確認する。

公式に追加チケットが発売されたとのこと。

こっそりとチケットを申し込んでみた。買えてしまった。


僕は彼女と話している全ての人に嫉妬する。

僕はとても気持ちが悪い。逢ったこともなければ話したこともないのに。

彼女の近くに行ってみたい。

相手はテレビに出るような人物。それに引き換え自分には何もない。何もかも気持ち悪い気持ち悪い。

彼女が話している側で話を聞きたい。

彼女だって怯えるに決まっている。気持ち悪い。

SNSで彼女にリプを送っている見知らぬ誰かのツイートに「彼女が公開している趣味趣向に触れることは好感度が高いだろう」と妬ましく思う。

気持ち悪い。

彼女の恋愛話に嫉妬する。そりゃあれだけの人だ、付き合ってる人だっていただろう。

とにかく思ったこと全てに気持ち悪いと思う。


いま付き合っている女の子が職場で誰と話そうがカッコよくて素敵な異性がいると話されても特に何も思うことはなかったのに。彼女にだけどうしてこんな気持ち悪い感情を抱くのか。ああ嫌だ嫌だ。どうしていいかわからない。誰かに相談しても決定的なダメ出しを食らうだけだ分かっている。本気なのか僕は正気なのか僕は。気持ちが悪いよ。誰か助けて。でも誰にも話したくない。助けて助けて。胸の中から出したい。出したら振られるに決まってるんだ。これが切ないという気持ちか。なんで普通のせめて手が届く相手にこの気持ちにならないんだ。助けて。

振られるに決まっている気持ちを決定的なことを先送りにしたまま胸の中で飼い続ける。

彼女の出ているテレビなんて見たくはない。スタジオで1人でじゃないんだ、誰かと仲良さそうにしている姿を見るのはとても胸が痛いと同時にそんな下らないことを考える自分に呆れ返ってバカかと思う本気で。軽く「最近この子が好きなんだよね」と周囲に話したらそれでいいのに、変に意識してしまって誰にも話せない。バカだ。バカだバカだ。何やってるんだ僕は。1人で落ち込む。誰にも話せないまま。


気持ちだけどんどん膨れ上がっていたある日、ネットで知り合った人に相談を持ちかける事にした。大して親しくもないしお互いの本名すら知らない関係の相手。だからこそ。もしかしたら話せるかも知れない。そう思って。思い切ってDMを送ってみた。数日後に返信が来た。恐る恐る目を通す。当たり障りのない答えだけ返ってきたのでがっかりした。やはり僕は誰かに肯定してもらいたかったんだと改めて思う。でも誰もきっと肯定しない。なぜなら僕自身が肯定していないから。誰かに肯定してほしいのに自分自身は否定しなければならない。矛盾、矛盾。気持ち悪い。いつまでこの気持ちは続くのか。振られるまで?振られても?諦めたいのに諦めたくない。諦めたいのは嘘なのか?


彼女の過去のSNSを読む。まだ無名に近い頃の。同じ事務所の人たち、全く関係ない人たち、さまざまな人たちが彼女と絡んでいた。彼女からレスをもらっていてとても羨ましいと思う。反面、僕は彼女に好感を持ってもらえるようには振る舞えないと思う。趣味も考え方も、まるで違うから。悲しい。今までの人生でちらりとも掠ることがない。何もない。なんで好きなんだ。考えてみると顔が好きなんだと気付いた。人相にはその人の性格が出る。どんなに可愛い造作でも性格が歪んでいたら顔つきも歪んで来る。そんなこと誰でも知ってる。彼女の顔は年齢にしては幼い。それは彼女があまり社交的ではない(らしい)ことから来ているのかも知れない。あの顔がとても好きなんだ。無垢な表情で世の中を知っているつもりで話している話し方は正直疑問が残る。ツッコミ満載だ。それらは学生ということで何とか許容されている。でも正直なところギリギリだ。反感を買う話し方は意図している訳ではなさそうでそれもまた彼女のコミュ力のなさを示していた。なぜテレビに出ているんだろう。正直なところそう思う。


彼女はあることを中学生の頃から続けているらしい。ただ、僕から見ても彼女の立場はかなり危うい。中学生の頃から続けているとは言え、周囲の他人の大人が手加減している中で子供の母数が少ないからこそ中学生の彼女が人目をひいた。ただそれだけに見えるから。


なあなあの馴れ合いの中で彼女は自分の能力を過信し、また彼女の周囲に集まっている大人たちも彼女を利用しようとしている集団で。その中で多感な思春期を過ごし年上の大人たちと触れ合っていることで同世代の子供たちを見下して過ごしてきた彼女は世間知らずにも程がある。

それが喋り方や言動に現れていることは少し見ただけですぐに誰でも気が付く。その上で注意をしようとしている別の大人たちも画面上にいる。しかし、彼女を利用しようとする一派は彼女を唆しているのか、また彼女自身も周囲の他人に甘やかされてきたようでプライドが高く集団以外の大人たちのいうことは聞き入れないようだ。洗脳されている、とまでは言わないが。恐らくそれに違い集団なのだろう。親はいないのだろうか。ネットで少し調べてみる。どうやら親はいるにはいるが放任主義といえばいいのか塾や学校に投げ入れてあとは知らぬ存ぜぬのようだ。それを認めたくないからなのか「親は自分を小さな頃から大人扱いをしてくれた」と言い換えている彼女は少し不憫に見える。見ているうちに彼女は言い換えが多い、と気がついた。

例えば「じゃんけんで負けた」というたったそれだけの事を「自分の運が悪かった」とか「相手が後出しに近かった」とか余計な一言を付け加えて負け惜しみをするタイプ。どこにでもいるよね。彼女はそういうタイプのようだ。言い訳を「負けず嫌い」と言い換えている。実際のところ僕はそういう負け惜しみや言い訳するタイプは苦手だ。負けは負けだから。でも彼女はそうしないと進めないのだろう。プライドの高さが自分の負けを認められないのは若いからなのか、学生だからなのか。いや、恐らく性格だろう。彼女の周囲が彼女を異常に持て囃していることも見えてきた。本心から思っているとしたら随分と視野が狭い。そんな大人が世の中にいるのか?それには何か別の思惑があるんだろう。そうやって彼女を唆し続けている集団の広告塔になっているらしい。ああ、これはこれで別の意味で気持ち悪いな。見なければ良かったな。いずれ分かる事だとしても。後悔した。

彼女自身に罪はない、と思えるならばどんなに楽だっただろう。でも成人の彼女がそれを受け入れているという時点で同類だ。一方的な被害者ではない。だから彼女のやっている事は僕には全く相容れない。日本人として倫理観が許さない。

彼女は「それを行うことでちやほやされる自分が好き」なだけだ。少し見れば誰でも気がつく。

だからこそ彼女は「それを好き」と公言してちやほやされたくて進学をしたのだろう。

本当は「(知らない)人よりは好き」程度に見える。でも今更後には引けないようだ。それは負けず嫌いではない。ただ小心だから。間違いを認められないだけ。そして綻びは段々と大きくなっていった。


でも僕は彼女の顔が好き。声も好き。

つまり、また僕は揺れる感情を手に入れてしまった。

彼女を好きにならなかったらこんな複雑な思いに巻き込まれる事はなかったのに。

中学生の頃から洗脳されている彼女は生き方を変えられないだろう。ましてや僕は逢ったこともないような人間だ。周囲にも忠告していた人間は今までいただろう。番組上でもさりげなく注意したり忠告している人たちは何人かいた。でも彼女はそれらの人たちを笑っていた。つまり彼女は洗脳されている側で。でもでもでも。

そんな風にもやもやしながら。それでも彼女の顔が好きで。声が好きで。ふと見せる自然な仕草に心を囚われて。


チケットを取ったイベントの日が近づいてきた。

「この日って空いてる?」

付き合っている女の子にその日の予定を聞かれて。

「いや、その日はちょっと用事があって」

「そっかー。残念。お仕事?」

「いや、その」

「何?」

口籠る僕に不審さを感じたのか、どこへ行くのかと問われて。

「実は…あるイベントに行こうと思って…」

不承不承口にすると

「え?何それ?」

初耳だと食いつかれたので言葉を選びながら説明する。

「…だから、こういう理由でこの日はちょっと用事があるんだ」

「そっか。分かった」

ふう、と溜息をつくと、その代わりイベントが終わったら逢いたいな、と言われて逢う約束をする事になった。特にどこか寄り道する予定もなかったから構わないけれど。彼女を観に行った後、自分がどういう気持ちになるか予想がつかないので気持ちを押し隠して逢った方がいいのかなと思う。この疾しい気持ちは何なんだろう。浮気でもあるまいし。


そしてイベント当日を迎えた。

何だかよくわからないイベントだ。

メインはトークショー、らしい。チケットを見る限り。

会場について周囲を見ると僕も含めてどこか垢抜けない感じの人が多い。恐らくネットで友達を募集して集まっているようであちらこちらで挨拶と距離を推し量るような敬語の会話が交わされている。1人なのは僕くらいだ。疎外感。

それはともかく彼女に逢える。いや正しくは見ることができる、だけど。実物なのは間違いないはずだ。

ああ緊張する。そんな自分がまるで馬鹿みたいだ。いや、これはきっとイベント自体参加することが滅多にないからだと自分で自分に言い訳しながら席についている。早く始まって欲しい。いたたまれない気分だ。

開演すると彼女がステージに登場した。歓声。拍手。アイドルのような扱いに、早くもついていけない気がした。

彼女が一言話すと阿ったような拍手や歓声が湧く。何かの宗教か?若干引き気味に感じる。その場の雰囲気に戸惑ったままイベントは進んでいった。こういっては何だけれど、好きな人のイベントに行ったんだからもっと自分も惹き込まれていいはずだと思う。でも実際の僕はその場の雰囲気に溶け込めず、周囲で必要以上にリアクションの大きいわざとらしい客達を気持ち悪いと思ってしまっている。これじゃ異物だ僕は何しにきたんだ。

ステージ上の彼女を見る事に集中してみる。話している言葉は一見もっともらしいがよく聴くとツッコミ満載だ。言葉の言い換えが違和感となって、とてもまともに聞いていられないが周囲の客達は嬉しそうに頷きあっている。彼女の言葉は残念ながら僕には響かなかった。ただ一つだけ、彼女が感情を露にした一言だけが心に残った。後で知ったがどうやら彼女は自分の言葉など持たず、ただ言われるがままに喋っていたようだ。その中でぽろっと口にした一言が、僕の心に残ったのは彼女の本心からの言葉だったから、かもしれない。今となっては何も分からないが。こうして彼女のイベントへの初参加は幕を下ろした。

何もかも違和感があるし溶け込めないし納得もいかない。チケット代が高く感じる。それでも僕は彼女が好きだった。その気持ちだけは残っていた。


帰り道、このあと約束をしていたことを思い出した。逢うまでに何を話すか考えておかなくちゃ。どういうスタンスで話したらいいかな。僕は正直なところイベント自体にはガッカリしていた。ただ彼女のことはまた見る機会があればいいと思う。恐らく落胆していると伝えたら今後イベントの参加には反対されるだろう。この複雑な気持ちを説明することはなかなか難しい。ましてや相手を怒らせることなく、という必須条件の元では。待ち合わせの場所に着くまでの間に頭をフル回転させる必要があった。


そしてしばらくは見かけ上、平穏な日々が続いた。僕は1日に何度も彼女のことを思う。今何をしているんだろうか。付き合っている相手はいるんだろうか。勿論この気持ち悪い感情は何だと思う気持ちもセットだ。二律背反の気持ちを抱いて何かをするたびに不意に彼女のことを想って。仕事中に手が止まったことも一度や二度ではないだろう。止められない。そのくらいどうしようもない気持ちだった。


ある日、彼女は動画に出ていた。ああ、彼女が動画にも出ているのは以前から知っていた。ただ、その内容はあまりにお粗末で。機材を自慢していたがてんで使いこなしているようにも見えず内容が彼女の人気ありきでつくられていて。機材自慢するよりスマホで録ってその分内容に重視して欲しい、と思うほどだった。それでも狂信者たちは群がっていたが僕には理解できなかった。高価な機材を使いこなすこともできないのに買ったことを自慢している幼稚な子供達の集団にしか見えなかった。年齢的にはとても子供と呼べなかっただけに哀れだった。彼女がその中にいなければ到底知ることすらなく、いくつか無理矢理観たが彼女が出ていると知っても興味があまり持てなかった。


彼女の動画に話を戻すと、彼女は学校を中退して起業すると言っていた。社長になるらしい。「柄ではない」と自分で言っていたが誰が見てもそうだっただろう。明確なスタンスも無ければ夢や希望に満ち溢れたようにも見えなかった。ただ僕は彼女が哀れだった。その理由はその時には分からなかったけれど。今なら分かる。彼女はある団体に所属していた。恐らく今も。そして彼女はその団体に言われるがまま起業したようだ。起業するよう唆されて。付け焼き刃の知識で。「覚悟を決めた」と動画で話していた彼女。その「宣言」すらも団体の思惑の中で。彼女自身の言葉ではなかった。責任だけ負わされる広告塔。なぜそんな道を選んだのか?恐らく彼女は自分自身が大学で学ぶことを捨てた事実がコンプレックスになっていたのではないだろうか。進学していながら学校とは関係ない事に勤しんでいた彼女。ゼミにもろくに出席することもなく、最低限の単位だけ取得して。就職活動もしていなかったと後で見聞きした。

モラトリアムを満喫しすぎた彼女は「あなたは学校で何をして何を体験して何を学びましたか?」という定番の質問に答えられないことが自分でも分かっていたんだろう。それが怖くて彼女は別の道を選ばざるを得なかった。つまり彼女は逃げたのだ。当時から本人も自覚していたらしく「逃げたけれどネガティブな逃げではない」と自分自身に言い聞かせるようにしていた。その言い訳が僕の心を刺したのだ。この人は言い訳ばかりの人生を送っているんだなと思った。言い訳を取り繕うために、辻褄を合わせるためにまた別の言い訳を用意して。言い訳ができなくなったら次の場所へ逃げて。彼女の人生はその繰り返し。彼女について知ることはネガティブなことばかりだと僕は思った。それでも僕は彼女が好きだった。彼女の顔や声が僕を虜にしていた。


ある日、彼女のサイン本を買った。もちろん正規に。でも僕には疑問が残る。

「これは本当に彼女が書いたのだろうか?」

そのくらい僕は彼女を信用していない。変な話だ。好きなのに。メディアに出ている彼女の言動からすると自分の目の前で実際に描いてもらえないと信用できないのだ。根拠はないが本の中身も団体の誰かに書かせた部分が大半ではないだろうかと思った。彼女自身のエピソードを箇条書きで書き、文章にするのは団体だとしたら?彼女名義の書籍は大半が監修となっている。監修と剽窃は異なるだろう。


コロナ以前には彼女のイベントがいくつか行われた。それらの殆どは本を売るためのイベントだった。主催は出版元であるKという誰でも知っている大企業だ。それを知った僕は足を運んだ。ただ彼女を見たくて。彼女のことを知りたくて。彼女は相変わらず取り込まれて洗脳されていた。僕は助ける術を持たなかった。ただ、彼女を見ていた。誰も指摘しない裸の王様のような彼女のことを。


彼女は芸能事務所に所属したらしい。調べてみたら大手芸能事務所の下部組織にマネージメントを委託していた。それを事務所所属と言い換えている姿は滑稽にも見えるし物悲しくも見えた。もう世間知らずで済む年齢ではない。リミットが近づいている。でも客層も相変わらず彼女を持て囃していて(多分、そうじゃないまともな人たちは来ないのだろう)僕はいつも蚊帳の外の気分を味わっていた。


彼女がイベントで話す事は彼女の所属する団体のお題目だった。その言葉自体は誰もが日常的に使う普通の日本語。でも彼女が所属する団体はその言葉を自らの宣伝に悪用していた。彼女も(恐らく教えられたままに)間違った認識のまま使っていた。その言葉はそういう時のために使うものじゃない。まして一般的に何の実績も持たない団体如きが気軽に使用していい言葉ではない。

ここで言い訳をする。彼女の所属する団体を否定したいなら「見なければいい」。それだけの話なんだ。たったそれだけ。一択。

彼女がいるからこそ、その団体が目についてしまう。彼女を見たいと思ったらもれなく団体がついてくる。それは嫌なおまけだった。不快だった。どちらを取ればいいのか分からないままチケットを買った。なるべく彼女1人で出ているイベントを狙って。せめて彼女個人の売り上げにつながって欲しいと。団体に支払いたくはないと願って。僕には願うことしかできなかった。

正直にいうと彼女が誰かに話しかけたり笑いかけたりする姿を見たくなかったこともある。誰かと仲良くしている姿を見るとモヤモヤするから。

なんでこんな気持ちになるんだ。我ながら気持ち悪い。

相手が異性であれ同性であれ彼女と仲良く接している姿を見るだけで気持ちが落ち着かなくなった。

僕は気持ちが悪いんだ。自分で分かっていた。でも止められなかった。その気持ちを止められないのか、止める気がないのかすら分からなかった。わかりたくなかった。


何度かイベントに足を運び、その度に違和感と疎外感を憶えて軽く落胆して帰る。その繰り返しだった。それでも僕は彼女を見たかった。相変わらず彼女の顔と声が僕を惹きつけていた。話す内容はいつもつまらなかった、というと語弊がある。つまりは興味を持てない内容だったってこと。だって彼女が所属する団体の台本通りなのだから。そこには彼女の素顔や主義主張なんて殆ど出てこなかった。だからこそ僕は時々顔を覗かせる彼女自身の言葉を聞きたくて。時折出てくる彼女の交際関係の話に嫉妬する自分を気持ち悪いと思って。


ある日、少し毛色の違うイベントを見つけた。

それは彼女と直接声を交わすことができるイベントだった。トークショーと写真撮影会と握手会が混ざったイベント。まるでアイドルのような扱いだった。ああ、仕方ない。彼女はごく一部の間ではアイドル扱いだったから。だってそうだろう。一介の素人がタレントのように露出する際には、内容が人並み以上にしっかりしていることか、個人のキャラクターを押し出すこと、あるいはその両方でしかないんだから。そして彼女は後者だった。しかもそれは若いうちだからこそ出来たことだった。彼女は若さを売るしかなかったのだ。賞味期限のついた若さを。その時点で誰も彼女を育てるつもりはなかったのだろう。そのくらい刹那的な売り方だった。そして僕は迷った末にチケットを買った。迷ったのは彼女が好きだからだ。でも彼女が好きな気持ちだけで見続ける事に少し疲れてきたからだ。どうしても所属する団体の影がちらつく。その所属する団体ごと応援できたなら喜んで行っただろう。でも僕にはその団体のメリットがまるで見えなかった。彼女を利用するだけで後は野となれ山となれが目に見えていた。でもそんな事、見ず知らずの僕が言った所で誰にも本気にされないだろう。まして僕は彼女が好きだから嫉妬心も含まれている事が明白で。


イベント当日。付き合っている女の子に説明するのも疲れた、と思いながらやっぱり1人で参加した。彼女の事は相変わらず変な意味で好きで。困っていた。疲れていた。もともと僕は恋愛に向いていないんだ。恋愛体質じゃないんだ。なのに何故こんな事になったんだ、と落ち込んでいた。

そしてイベントが始まった。トークショー。客の熱気。そわそわしている客席。彼女の一言一言に大袈裟なリアクションを取り続ける客達。相変わらず言葉の使い方を間違えている彼女の姿はまるで「すっぱい葡萄」の童話のようだ。

いよいよ握手と写真の時間が近付いてきた。スタッフによると客席から移動して順番にステージに上がるらしい。彼女がステージ上に待機しているのが見えた。かなり近くに寄ることになる。今更緊張してきた。僕はここにいて良いんだろうか。
僕の順番が徐々に近づいてきた。

好きな相手が目の前にいるんだ。どうしたって鼓動が高鳴る。仕方ないだろう。

緊張する。何を話せば良いんだろう。

僕は意を決して彼女に声をかけた。

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