60 その話は内密で

「………え⁉」


 さりげなさすぎて、スルーしかけていたカレルは、一拍置いて事態に気付き、顔面蒼白になった。

 しいっ!と、キャロルはカレルの口元に人差し指を立てて、大声を出さないよう、釘を刺す。


(ちょっと、あなた、どこで恋愛フラグ立ててるの⁉)

(立ててない!立ててないから!あと、まだオフレコだから、大声出さないで!)


 周囲になるべく聞こえないよう、片手で口元を隠しながら、ヒソヒソと会話を続ける。


(何で、休みをとるのに婚約が必要なの!どこのブラック企業⁉)


(ちょっと、ここに来る以外にも、仕事で行くところがあって、その不在の、対外的な穴埋めの意味もあるの!ただ、それが上手くいかなかったら、本当に結婚するしか道が残らないから!だから――)


(どんな仕事よ、それ!いや、仕事なら内容言えないのは分かるんだけど!だけどあなた、あの――〝彼〟の事は、どうするの⁉諦めるの⁉)


(…っ、それは…もう、仕事が上手くいくよう、祈ってて…としか……)


両親おやに黙って、何やってるの、このはもう――‼)


 怒り心頭のカレルが、キャロルの上着を両手掴んで、ガクガクと揺さぶった。


(お…母さん、苦し……)


(それ、もう破棄出来ないの⁉お母さん、いくらでも殿下に頭下げるわよ?一緒にデューイの所に行って、そっちで暮らす⁉)


(いや…もう…遅い、から……)


(何で⁉あなたはどう思っていようと、それって、殿下があなたを囲い込むって言う、どこからどう見ても〝恋愛フラグ〟イベントよ⁉)


(ええっ⁉)


(ええっ⁉じゃないわよ、キャロル!もう、ウチの娘が、思わぬところでバカだった!)


 そんな会場の隅で、コソコソともめている母娘おやこの所に、人影が静かに近付いた。


「その様子だと…どうにも裏がありそうですね、キャロル」


 はた、と母娘が小声のケンカを止める。


「ジルダールさん……」


 勤務時間外には、ギルド長とは呼ばない――が、以前からの慣習だ。

 はたしてそこには、穏やかな笑顔を崩さない、ジルダールの姿があった。


「今、ギルドの手の者から、連絡がありましてね。正式な触書ふれがきは、3~4日後に届くようだが……君がアデリシア殿下の寵愛を受けて、側妃として後宮にあがる事になった、と」


「―――」


 いち地方都市のギルド長の筈なのに、ジルダールの情報収集力が、恐ろしい。


「こんな地方の一都市から、国立高等教育院に進学しただけでも奇跡的なところ、今度は次期皇帝の妃。元警備隊長ゲイルなどが聞けば、泣いて喜びそうだと、真偽の確認に来たのですが……」


 ジルダールも、周囲をおもんばかってか、小声だ。


「もしやこの話は、先ほどの『依頼』と、関係が?」

「…………内密オフレコで、お願いします」


 やや迂遠に、キャロルはジルダールの問いかけを、認めた。


「今回の件の決着次第で、それが仮初かりそめから真実に変わると思います。ただ、最初から仮初と知れれば、私が調査に着手出来ません。ですから――しばらくは、聞かなかった事にして下さい」


「……なるほど。事実ではなく、真実……か」

「……はい」


 視線の交錯は、一瞬。

 折れたのは、ジルダールだった。


「分かりました。今の話は、当面私の胸にしまっておくとしましょう。とは言え、君の出身地であるこのクーディアで、何もしないって言うのは、より不自然。触書ふれがきが届き次第、本人不在の祝宴にはなるけれど、街をあげて開く事にはなるから、それは理解しておいて欲しい」


「それは、仕方がないと思ってます。ただ…母と弟を、そこに巻き込みたくはないんですが」


「……ああ、純粋に祝いたいだけならともかく、のに寄って来られると、面倒な事になるかも知れない――と言ったところかな?」


「はい。勝手を言ってるのは、分かってるんですが」


 そうですね…と、考えを巡らせるかのように、天井に視線をやったジルダールだったが、それはそう、長い間の事ではなかった。


「良いでしょう。では、君の調査が終わって、ほとぼりが覚めるまで、カレル殿とデュシェル君は、私の領地で過ごして頂きましょう」


「ジルダールさんの、領地?」


 そろって首を傾げるローレンス母娘に、ジルダールは、街のほとんどが知らないであろう爆弾を、あっさりと投下してみせた。


「長くギルド長を務めていると、一代貴族に叙爵されていたりするんですよ。名ばかり男爵ですが、ここから帝都メレディスとは逆方向に1日ちょっとのところに、屋敷付の小さな所領がありまして。もっとも私と妻は、夏の休暇くらいでしか、その屋敷は利用しません。管理人に手紙は書きますから、どうぞ遠慮なく利用して下さい。食費その他滞在費用については、後日キャロルから倍額取り立てますから、ええ、心おきなくどうぞ」


「――一代いちだい貴族⁉」


 一代貴族とは、功績のあった平民が、名誉職として、当代限りとして授けられる場合を指し、当該爵位は男爵位のみとなっている。

 とは言え、道理で現在いまの首長の方が、ジルダールに及び腰だった訳である。


「湖があって、釣りも出来る穏やかな気候の所ですよ。趣味で収集した蔵書室も、なかなかの物ですし。そうは退屈しない筈ですよ」


「いえ、でも、そんな――」


「ありがとうございます、ジルダールさん!その方が私も安心して仕事に打ち込めるので、宜しくお願いします‼」


 カレルが謙譲精神を発揮してしまう前に、キャロルが素早く頭を下げて、ジルダールの提案に乗った。


 安心して仕事に打ち込める、と言われては、ダメだった場合の結末を聞いたばかりのカレルが、辞退出来よう筈もない。


 デュシェルの「初仕事」が終わり次第、ジルダールの領地に出発する事で、すぐさま話はまとまった。――無理やり、まとめた。


 そして、ダメ押しのように、ジルダールが微笑わらう。


「ちなみにその領地、ギルドの護衛達の訓練に使ったりもしますので、屋敷の管理人や召使達は、皆、腕自慢ですよ。もし、噂を聞きつけた慮外者りょがいものしたとしても、間違いなく返り討ちですから、その点でも安心して下さい」


「……完璧です」


 それなら安心して執事長ロータスを借りる事が出来る。ヒューバート達も、動きやすくなるだろう。

 

 ジルダールが、どこまで見越して提案をしてくれたのか。

 キャロルは、聞くのも怖かった。

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