61 金色の馬

「ユニちゃん、おはようー」


 翌朝。馬留めの馬たちの餌やりを終えたキャロルは、自分の愛馬がいる所で、足を止めた。


 キャロルは、クリーム色かと思っていたが、「金色の馬シュヴァルドール」とも例えられる、希少種だと知ったのは、随分と後になってからだ。


「あのさぁ、ユニちゃん。これから、ちょっと遠出があってね?ユニちゃん、一昨日、無理して貰ったし…今回は、デュシェルの方に付いて、無理しないルート…行く?」


 キャロルとしては、愛馬に無理をさせたくなくて、聞いたつもりだったが、愛馬の方では、そうは受け取らなかったようである。

 自分は元気だとばかりに、嘶き、片足で地面をダンダン鳴らしている。


「…大丈夫だ、って?急いでるから、結構ハードだよ…?」


 聞けば、ますます、ブルルと首を振っている。

 最近では、意志の疎通が可能なものだと、思うようになってきていた。


「レアール産の黄金種アヴァルデは、そもそもが長駆ちょうく向けの馬ですから、体力には自信があると思いますよ、キャロル様。活発敏捷、そのうえ、ただ一人の人間にだけ懐くとも言われていますから、色々な意味で、お連れになった方が宜しいかと…」


 苦笑混じりの声に振り返ると、そこにはロータスが立っている。


「あ、おはようございます。ロータスさ――」


 普通に挨拶しかけたキャロルは、ロータスの無言の圧を感じて、言葉を詰まらせる。


「えー…っと。ロータス、おはよう」

「はい、おはようございます。キャロル様」

「はは……」


 今では「ロータス」と呼んでいるカレルも、こうやって押し切られたのか…と、キャロルは乾いた笑い声をあげてしまう。


「餌やりの代わりに、馬装と出発準備は、私が致しますよ、キャロル様。ソユーズ様が、書類の書き写しが終わったと、お探しでしたので、店舗スペースの方においで下さいますか」


「ああ、はい、分かり――分かった、ありがとう」


 ロータスの「無言の指導」に慌てて訂正をしながら、キャロルは開店前の店舗の方へと、足を踏み入れた。


「ル…スラン、ヒュー」


 部屋の中には、ルスラン・ソユーズと、フランツ・ヒューバートの2人がいた。


 フランツに対して、そこまでくだけているのなら、自分にも敬語は不要。でないと、フランツが拗ねて面倒。ルスランで良い――と、昨日あれから言い切られたキャロルは、こちらも若干呼びにくそうに『ルスラン』と、声をかける。


 もともと、口数はそう多くないのだろう。

 よお、と片手をあげるヒューバートとは対照的に、ルスランは無言で、綴じられた書類の束を掲げている。


 この二人が、公国くにではエーレの「右腕ヒューバート」「左腕ルスラン」と、それぞれ称されているらしい。


 共に没落、屋敷を手放した貴族家の生き残りと言う事で、妙にウマは合うようなのだ。

 断絶状態の貴族と言う事もあり、本人達は、すっかり平民のつもりではあるらしい。


 ただ、エーレの側にいるためには、断絶状態でも「元・貴族」の称号は必須――として、時折名乗っているのだそうだ。


「無茶を言ってごめんなさい。でも、ありがとう」


 そう言ってキャロルが書類を受け取ると、ルスランが微かに口の端に笑みを浮かべた。


「いや。君が一晩エーレ様に付いていてくれたから、出来た事だ。徹夜なら、お互い様と言うべきだ。しかも、君はこの後出発するんだから、あとあと、君の方が辛くなってくるだろう」


 お嬢ちゃん、と、その横からヒューバートが声をかける。


「エーレ様は、まだ……?」


 どうやらヒューバートの方は、エーレの様子を聞きたくて、ルスランに付いて来たらしかった。

 キャロルはゆっくりと、首を横に振る。


「時々ね…辛そうな声が出たりとかは、してて…。あっ、明け方ね?ちょっとベッドの端に突っ伏して、うたた寝してたら、こう…手が置かれててね?一瞬、期待したんだけど…無意識の、たまたまだったみたいで――」


 片手を頭の上に乗せながら話す、キャロルの表情は、今にも泣きそうだ。


 ルスランが無言でヒューバートの鳩尾みぞおちに肘を叩き込み、ヒューバートも、咳込みつつも、「…悪い。失言だった」と、呟いた。


「あっ、でも、ほら、それって、もうすぐ目が覚めそうな気がしない?手紙!手紙もコレ、書いておいたから!こっちがエーレ宛で、こっちが帝国ウチの殿下宛で…殿下宛が2通あるのは、エーレが行く場合と、ルスランが行く事になった場合とで、頼み方を分けたから。状況に応じて、使って?」


 フォローするように、慌てて手を振ったキャロルが、上着のポケットから取り出した、3通の手紙を、ルスランに手渡す。


「………分かった。預かっておく」


「うん。よろしく。それと、ヒュー、ちょうど良かった」


「あ、ああ。何だ?」


「昨日の夜、少し話したけど、母と弟は、ジルダール男爵領の領主屋敷で、しばらくお世話になる事になって……お屋敷自体は、召使みんな戦闘要員くらいの勢いらしいから、滞在中の事は、ヒュー達にお願いしなくても良くなったんだけど…領までの護衛だけ、誰か、お願い出来ないかな?ここから1日半くらいの距離みたいだから、ルスラン達が逆方向に出発しても、追いつけない事はないと思うんだけど……」


「あー…まあ、そのくらいの距離だったらな…」


 請われたヒューバートが、距離を逆算するように、口もとに手をやって、首を傾げたが、それはそう、長い間の事ではなかった。


「分かった。じゃあもし、エーレ様がこのままで、ルスランが使者につ事になったら、俺が送って行く。逆に、エーレ様が気が付かれて、ご自身で帝都メレディスに向かわれる事になった場合は、ルスランに行かせるわ」


「えっ、良いの?」


「おい、何を勝手に――」


 抗議の声をあげかけたルスランの肘を、ヒューバートが軽く小突く。


「男爵領から引き返して来て、追いつくための、それぞれの馬の技量を考えたら、俺かおまえかって話になるだろうが。でもって、エーレ様が気が付かれた場合に、支えて護衛するなら、俺の方が適任だ。おまえじゃ、いざと言う時、エーレ様抱えて走れねぇだろ。まぁ、お嬢ちゃんの安心感の問題もあるけどな」


「くっ…これだから、筋肉バカは……」


「待て待て、今のは否定するトコじゃねぇだろ。俺の提案に納得して、褒めるところだろ」


「納得はしたが、褒める要素などない。だが、言い分は分かった。もしもの時は、俺が送ろう」


 何だか漫才を見ているようだったが、一応の決着は、みたらしい。ありがとう!と、キャロルは微笑わらった。 


「まぁ、そのあたりは任せておけよ。…だけどな、お嬢ちゃん」


 ふと、ヒューバートの声色から、冗談の要素が消えた。


「本当は、これからイルハルトとやり合いに行くって分かってるお嬢ちゃんを、好き好んで行かせたい訳じゃないんだ。何で行かせたんだ!って、エーレ様が怒り狂うのが、目に見えてるからな」


「ヒュー……」


「けど、時間がないのも確かだし、その書類の事やら、謎の執事長ロータスを連れて行く事やら、お嬢ちゃんが、ちゃんと考えて動いてるって言うのも、分かってる。…って、まあその辺は、こいつが説明してくれたんだが」


 やや不本意そうにルスランを指しながら、ヒューバートが続ける。


「だとしたら、俺らはもう、お嬢ちゃんを信じて送り出すしかない。生き残れよ?エーレ様の隣には、お嬢ちゃんが相応しい。お嬢ちゃんしかいない。少なくとも、俺とルスランは、そう思ってる。一緒にバカやって、これからもエーレ様を助けていこうぜ」


「…バカをやる事まで一緒にされても困るが、君になら仕えられると思ったのは、確かだ。俺からも、言っておく。――生き残れ」


 2人の手が、同時にキャロルの頭の上に乗り、グシャグシャと髪をかき回した。


「わあっ⁉」


「こっちは、俺とルスランに任せておけ。おまえが、目の前の事にだけ集中出来るように、しておいてやるから」


「あと、これも、渡しておく。俺が使ってる白隼シロハヤブサにだけ分かる、特殊な香木だ。エーレ様の意識が戻ったら、手紙付けて飛ばしてやるから、手放すな。連絡事項があったら、それで折り返せば良い」


「わ、分かった。ありがと」


 キャロルの両手に、中に板状の香木が入った、小さな布袋が落とされた。


「んじゃ、朝メシにするか。話済んだら来いって、おまえの母親に言われてるしな」


 最後、わざと明るく話を閉めたヒューバートに、キャロルも微笑わらって頷いた。


 ――生き残るとは、約束出来なくても。

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