54 母と娘

「結構早くから、エーレ様はお嬢ちゃんが欲しいと、レアール侯に打診をしてたって事か……だけどレアール侯は、二つ返事で話を受けた訳じゃないよな?だったらとっくに、お嬢ちゃんはルフトヴェークに居を移してた筈だ。何らかの要因があって、保留にしていたところへの、皇弟おうてい殿下からの更なる縁談だったんだろう?19、20歳はたちで婚約者のいない貴族令嬢なんざ、いくら顔を出していないにしろ、社交界で目立って仕方がなかった筈だからな。皇弟殿下にしてみりゃ、小さな親切。レアール侯にしてみりゃ、大きなお世話。有難迷惑もいいところだった訳だ」


あるじは…キャロル様のお気持ちも確かめない内から、何かを決めるような事は、なさいません。離れて暮らしておいでですから、尚更、父親として、レアール侯爵として、何かを押し付けるような事はしたくないと――少し、負い目のようなものをお持ちですから。だからこその、保留だったのだと思います。エーレ殿下には、そのあたりをご納得頂けたのやも知れませんが…皇弟殿下には、ご理解頂けなかったのでしょうね、恐らく」


「お嬢ちゃんの気持ち、か……」


「………ええ」


 声を殺して泣く、この姿が、何より雄弁な「答え」だと、ヒューバートもロータスも、同時に理解していた。


 弟が継ぐであろう侯爵家とは一線を引き、カーヴィアルの近衛隊長として、剣を捧げる――それでも、どうしても手放せなかった思いが、ここにある。


 近衛の職を一時退いてまで、ここに駆けつけたのは、ただ、父親の身が危ないからと言う事だけではなかった筈だ。


 ヒューバートは、大きく息を吐きだした。


「お嬢ちゃんも…エーレ様を好きでいてくれてたって事か……」


「キャロル様は……3歳で私が初めてお目にかかった頃から、先に相手の思いを汲んで、ご自分の事は後回しにされる方でした。そんなキャロル様の、これが唯一の我儘だとおっしゃるなら……力の及ぶ限りは、何とかして差し上げたいのですが……」


「………3歳?ちょい待ち、執事長アンタ何歳いくつ?」


 目を丸くするヒューバートに、ロータスはニッコリ微笑って答えをはぐらかした。


「………ロータス?」


 その時、彼らが入って来た出入口の方に佇む人影が、恐る恐ると言ったていで、声を発した。


「カレル様!」


 その声をよく知るロータスが、慌てて扉の前を離れて、入口の方に駆け寄る。


「申し訳ありません。そろそろ、お声をおかけしに行こうと思っておりましたのに――」


「いいえ、デュシェルはまだ眠っているから、いいの。目が覚めて、外の空気を吸いに出たら…外で会った、そちらの部下の方から、キャロルが着いて、ここに寄っていると……でも……」


 部屋の扉は、半分とは言え、開いている。

 例えこらえた泣き声でも、多少なりと耳に届くだろう。


「そう……旅の途中に、お世話になったと言うだけじゃ…なかったのね……」


 そして、母の勘は大の男2人よりも、よほど鋭い。


「…もしかして、少し身分の高い方なのかしら?」

「……っ」


 ロータスもヒューバートも、言葉に詰まった時点で、推して知るべしである。

 カレルは、ため息をついた。


「もう…見た目や頭の中身はあの人そっくりなのに…そう言う不器用な生き方だけ、私と同じ事をするって……年代記クロニクルの補正作用なのかしら……」


 何やらぶつぶつと呟きながら、キャロルがいる部屋の前を通り過ぎ、奥にある店の準備スペースの方へと入って行く。


「カレル様?」


「ちょっと、目を冷やす布と水を用意するわね。キャロルと少し話をするわ。ロータス、デュシェルや他の皆さんの朝食をお願い出来るかしら?」


「……承りました」


「あー…俺んトコは、後で外で適当に食うんで――」


 言いかけたヒューバートの言葉は、妙に迫力のある、カレルの笑顔に遮られた。


「息子はまだ5歳になっていなくて、そんな子どもが、一人で食べるのって、とっても寂しいと思いません?」


「え、いや、そう言うのは、家族水入らずで食うんじゃ――」


「泣いている娘には、なす術もないんですから、でしたら、息子の食事くらいは、付き合って下さいますわね?」


「―――」


 いかれる母親の怖さを、男性陣が思い知った瞬間だった。


*        *         *


 どのくらい、そうしていたのか。


 突然、頬に冷たい布がピタリとあてられた。


「…お…母…さん…」

「はい。後回しにされちゃって、とっても寂しいお母さんです」


 わざと、おどけて見せるカレルに、キャロルの表情がくしゃりと歪んだ。


「ごめ…なさ…」

「ああ、良いのよ。とりあえず、泣き腫らした顔だと、デュシェルがビックリするから、これで冷やして…ね?」

「泣き…腫らしては…」

「そう言うのは、後からジワジワくるのよ。経験者の言う事は、素直に聞く事」


 カレルがかつて、デューイから貰ったハンカチを手に、クーディアで密かに泣いていた時代がある事を知るキャロルも、そう言われれば頷くしかない。

 受け取った布を、そのまま両のまぶたにそっとあてる。


「……この人の事が、好きなのね?」


 そっと問いかけるカレルに、キャロルはコクリと頷いた。


「あなた宛の縁談ね…これまでも、なかった訳じゃないの。でもデューイは、人との結婚に手を貸すのが、自分の役目だって…ずーっと門前払い。それがね?少し前から、本人の気持ちを何とかして聞かないとーって、頭を抱えていたから…。デューイは逆に、この人の方を、よく知っていたってことなのね?」


「多分……」


 公式行事の後で、何か話をしていたと、ヒューバートが言っていた。エーレがデューイに、キャロルの素性を確認していたに違いない。


「じゃあ、デューイにちゃんと言わないとね?デューイが悩むって言う事は、多分この人の身分は、デューイよりも上。そんな人が…あなたが好きで、あなたと結婚したいって、直接言ったんじゃないのかしら?」


「…そう、なのかな……」


「でなきゃ、デューイは悩まないわよ。他の縁談同様、一刀両断して、終わりだわ。皇弟殿下からも、何か話があったみたいなんだけど…断るつもりだって言ってたから。それで宮殿で孤立しているって言うなら、それはデューイが、そう決めて、受け入れた事なんだから、あなたは気にしないで良し」


「⁉」


 驚いたように、布から顔をあげるキャロルの頭を、カレルがくしゃくしゃと撫で回した。


「でもちゃんと、この人の目が覚めたら、私に紹介してね?とかとかの気質がないか、確認しないと」


「そ…んな人じゃ…」


「分からないわよ?だって、まるで私みたいなんだもの。身分が遥かに上の人を好きになるとか…。これが〝エールデ・クロニクル〟の主人公ヒロイン補正なら、そのうちドロドロに甘やかされるかも知れないわよ?出会った頃って、上から目線だったり、ケンカばかりしていたとかじゃなかった?」


「エーレは、あんな面倒くさい人じゃない……」


 夢中になって、の〝エールデ・クロニクル〟を読んでいた深青は、思わず顔をしかめてしまう。


「……何気に酷いわね、深青みおちゃん」

「最初から…甘かったかも知れないけど……」

「あら」


 2人の視線が、どちらからともなく、寝台ベッドのエーレに向いた。


「……早く目が覚めてくれると良いわね」


 志帆しほ深青みおは、母娘であり――唯一、同じ世界を共有出来る、だ。

 志帆が、この世界で誰かを――デューイを愛せたのなら、深青もきっと…大丈夫。

 頭に置かれた手から、そんな言葉が伝わってくる気がした。


「……うん」


 ほのかに微笑わらって頷いたに――涙はもうなかった。

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