第六章 暁星を追って  55 持ち出された報告書

「デュシェル・レアールです!あ、姉上にはずっとお会いしたいと思っていました!あのっ、戴いた剣は、僕にはまだ大きいので、部屋に飾ってあります!いつか、あの剣にふさわしいと言われるように、今は勉強中です‼」


「キャロルです。遠い所を、来てくれてありがとう。帝都メレディスでのお仕事があるので、毎日は一緒にいられないんだけど、今日は大丈夫なので、1日一緒に過ごしましょうね?」


「はい!」


 レアールともローレンスとも名乗りづらかったキャロルは、敢えて名前だけを目の前の弟に告げた。

 産まれた時も思ったが、やはり自分とは真逆の、カレル似だ。


 朝食の後片付けが終わり次第、パーティー準備の傍ら、商業ギルドを見学しようと言う話になり、デュシェルが支度に消えるのと前後するタイミングで、ヒューバートが部屋へと入って来た。


「お嬢ちゃん…ちょっと、良いか」

「あ…うん。あ!エーレに何か――」

「いや、悪い。そうじゃないんだ。多分、これ…お嬢ちゃんに見せた方が良いんじゃないかと思って、な」


 そう言ったヒューバートが手にしていたのは、紐で縦横両方向から綴じられた、書類の束だった。


「意識が途切れる直前のエーレ様が、持ち出しを指示した書類なんだよ。だけど俺らは、これをどうするつもりだったのか、読めないからな……」


「……ジャガイモの取引リスト…代価が帝国貨幣?なんで……」


「やっぱり、分かるのか」


 まだ、紐をほどかない内から、一番上を見て判断したキャロルに、ヒューバートがうなる。


「やー…詳しくは、全部読んでみないと、何とも言えないんだけど……」


ほどいて、見てくれて良いぜ。多分今度の外遊で、お嬢ちゃん経由で、帝国そっちの殿下に渡そうとしていたヤツなんじゃないかと思うんだよ。詳しくは聞いてないんだが、手土産の1つでもないと…的な話をしてた事は、あるんだ」


「アデリシア殿下に?」


 取引代価が帝国貨幣である点から言っても、ヒューバートの言う事は、あながち間違いではないのかも知れない。

 そう思ったキャロルは、思い切ってその綴じ紐をほどいた。


 始めは、軽く斜め読みするくらいのつもりだったが、その顔色が変わるまでに、時間はかからなかった。


「…お嬢ちゃん…たまに、エーレ様が書類見ながら、なってる表情かおと同じじゃねぇか……」

「……ヒュー」

「あ、ああ」


 ヒューバートの呟きは、恐らく聞こえていなかったのだろう。

 片手で口元を覆ったキャロルの視線は、書類に固定されたままだ。


「マルメラーデ国のフォアネニ妃にひ…って、どう言う立ち位置の女性?あと、この…後見の、イエッタ公爵家って……」


「あ?…っと、悪い。そこは…ちょっと説明が難しいな…。フォアネ様自体は、セレナ妃――つまり、エーレ様の亡くなられた母君と、親友と言っても良いくらいに親しくしていらっしゃったんだが…マルメラーデで後見に入ったイエッタ公爵家って言うのは、公国こっちのミュールディヒ侯爵領から、一人嫁いでるんだよな……」


「分かった。それは、ニ妃本人が絡んでいないにしても、立ち位置としては、第二皇子側むこうと思った方が良いよね。ありがと。じゃあ…ファールバウティ公爵家は?同じ派閥なのかな」


「……悪い、俺はそこまで詳しくない。ただ、イエッタ公爵家と同じ系列だとかで、名前を聞いた覚えがないってのは、言える」


「………分かった」


 ヒューバートは、エーレを守っている時に感じていたのと、同じ無力感を、この目の前の少女にも感じてしまい――顔をしかめた。


 武力の向こう側にいて、ヒューバートの手が、届かない。そんな表情をしているのだ。

 目の前の書類に没頭しているキャロルは、そんなヒューバートの変化には、気付かない。


「これ…証拠が揃ったら、殿下からファールバウティ公爵家を動かして貰うしかないなぁ…ニ妃にひを絡めとるか正妃せいひを絡めとるかは……時間もないし、殿下に丸投げで良いか」


「うん?」


「何でもない。…あ、これ、途中からはディレクトアの話になるんだ。別の報告書だ。えーっと…こっちは……」


 読み進めていくうちに、こちらも眉間にしわが寄り始めたが――最後には、口元にあった手が額へとやられ、大きなため息が一つ、吐き出された。


「お嬢ちゃん?」


「ヒュー…。エーレの部下で、ヒュー達とは別の勢力…って言うか、グループって、ある?」

「別の勢力?」

「ヒューって、武闘派でしょ?そうじゃなくて、諜報とか、そっち系」


「ああ…なるほど。それなら、ルスランだな。ルスラン・ソユーズ。覚えてねぇか?濃い緑色の髪に、メガネかけた、ちょっと陰険な感じのヤツ。何だかんだ、あいつ、俺の次くらいには強いから、そう言う区別の仕方をした事がなかったけど、エーレ様に時々調べ物を頼まれるのは、アイツだ」


 曰く、エーレを最初に公国くにから逃がす助力をしたのも、このルスランらしい。


「顔を見たら、思い出すかも…。私、まだ、他の人に会ってないんだけど、同行者の中に、いる?」

「おお、いるぜ。っつーか……」


 言いながら、ヒューバートは、つかつかと窓の方へと歩みより、おもむろに窓を開けた。


「ルスラン、お嬢ちゃんのご指名ー」

「えっ、気配感じなかったんだけど⁉」

「俺だって、殺気でもなきゃ、そうそう感じねぇよ。だけど大抵、こう言う時は建物のすぐ外にいるんだよ、コイツ」


 ヒューバートの言葉に、視線を書類から剥がしてみれば、確かに窓の端に、人の背中が見えた。


「あー…っと、ちょっと、中でお話し聞けます?」

「ちょい待ち、お嬢ちゃん。何で俺には自由フランクで、ルスランには敬語なんだ」

「ヒューが、いくらかしこまらなくて良いって言ったからって、いきなり他の人にまで、拡大解釈はしませんー」

「うわぁ…俺、絶対、初対面の時の接し方間違ったわ」


「…自分で話を脱線させておいて、何を言わんや、だな。と言うか、陰険そう、は余計だ」


 窓の外の人影が、ため息と共に、動く。


 あ、とキャロルが思わず声を発した。

 眼鏡の容貌もそうだが、何よりキャロルはルスラン・ソユーズに対しては、ハッキリと覚えている事があった。


「そうだ、暗器いっぱい持ってた人だ……」


 呟かれた一言に、ルスランが目を丸くして、ヒューバートは――吹き出して、哄笑した。


「どう言う覚え方してんだよ、お嬢ちゃん!いや、間違っちゃいねぇけど!」

「…確かに…そんな風な言われ方をした事は、なかったな……」


「えっ⁉あ?ごめん…なさい?私、カーヴィアルで、近衛の礼服にアレコレ仕込んであって…。それって、昔に色々見せて貰ったのが、すごく参考になったから、つい……」


「いや、仕込むなよ。そこは、参考にするところじゃねぇだろ」

「謝らなくて良い。力押しの誰かさんと違って、実に見上げた心がけだ」

「ルスラン、てめぇ――」

「――それで?」


 ヒューバートの抗議には取りあわず、窓枠に両肘を置いたルスランが、キャロルにニッコリと笑いかけた。


「俺に聞きたい事とは?」

「えーっと…中に、入って貰っても?」

「一応、周辺の警戒と護衛も兼ねているつもりだから、なるべくなら、このままの方が有難いが……」

「話し声が外に漏れる危険を減らしたいです。特にヒューとか、どちらかと言えば、声大きいですし」

「なるほど」


 なるほどじゃねぇよ、と、ヒューバートがうめいたが、キャロルもルスランも、無視して話を進めている。


 では、少しだけ…と、首肯したルスランが、窓枠を軽々と飛び越えて、部屋の中に入った。

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