第18話 楽園

 翌日の夜7時ごろ。

 社内のカフェテラスに入ると、見覚えのある黒髪ロングの女性が入り口に背を向けて座っていた。


「元井川さん、お待たせ」

「……なんですか、急に呼び出し、て……」


 振り向いた元井川さんは、こちらを見た瞬間、ピタッと動きを停止した。

 それもそのはず、そこにはきっと彼女にとって、思いもよらぬ人がいたのだから。


「どーもーっ、初めまして三田オーランドっす! ていうか初めましてじゃないっすよね! いつもお世話になってるっす、校閲の元井川さん!」


 オーランドさんはいつも通り、初対面でもパーリーピーポーで元井川さんに挨拶。これにはさすがの元井川さんも面食らっていた。


 初めからこの2人を引き合わせれば良かったのだ。

 オーランドファンの元井川さんと、校閲の元井川さんに会いたかったオーランドさん。奇跡の初対面である。


「…………」

「あ、あれ?」


 ただ元井川さんの反応は、予想したのとは異なるものだった。

 ここへ呼び出してサプライズで会わせたため、初めこそ驚いていた。しかしその後は特に変わった様子はない。平静そのものである。


 ファンならばアイドルの突然の登場には、動揺を隠せないはずだ。泣き喚き興奮するのではないのか。

 なのに元井川さん、なぜにあなたは能面ヅラ?


「いやー、一度会いたかったんですよー、元井川さんと」

「そうですか」

「元井川さん、ちょっと僕に厳しすぎないすかー?」

「いえ、私はあくまで表記ルールに則り、見出しの誤りや不備を指摘しているだけです。厳しすぎると感じるのは、三田さんのミスが多いからではないですか?」

「ひぇーやっぱキビシーっ! あ、三田じゃなくてオーランドでいいっすよ!」

「いえ、三田さんで大丈夫です」

「えー。じゃあ僕は元井川さんのこと、もっちーって呼んでいいですか?」

「お好きにどうぞ」


 その後もオーランドさんと元井川さんの会話は、まるでチャットそのもの。

 元井川さんはひとつひとつキチンと応えるものの、そこに親しみやすさはない。ましてオーランドさんのファンだとはまったく思えない態度だった。


「それでは、私この後もあるので」

「おっすおっす、いやー実際に話せてよかったっすー。今度飲みに行きましょ!」

「あ、ありがとう元井川さん、また今度ね」


 元井川さんの姿がエレベーターホールの方へ消えていくと、オーランドさんは笑顔で一言。


「いやぁ、想像通りの人でしたねー元井川さん! メガネもかけてたし!」

「そ、そうですね」

「蒼ちゃん先輩と同い年とは思えないほど落ち着いてましたねぇ。楽しかったぁ」

「あ、そうですか。意外です」

「はい! あのつれない感じイイっすねぇ! お堅いのもあそこまで突き抜けると好きっすよ、僕!」

「それは良かったですねぇ」


 オーランドさんはお気に召したらしいが、私からするとどうにも消化不良だ。

 オーランドさんと夢の対談を実現することで元井川さんからの敵意を和らげようとしたつもりが、当の元井川さんがあまり嬉しそうではなかった。


 もしかして、オーランドさんのファンというのも私の勘違いなのだろうか。


「……ん?」


 不意にスマホが振動。

 社内PCと連動しているチャットアプリだ。差出人は、元井川さん。


『あす、同じ時間。会社の前のカフェに来なさい』

「…………」


 私にお礼がしたいのかなぁ、なんて曲解を許さないほどの怒気が、文面から滲み出ていた。


 ****


 翌日は朝から何事にも集中できなかった。

 きょう、私は元井川さんに何を言われるのか。何をされるのか。腹に漫画雑誌を仕込んでおくべきか。

 そもそも彼女はオーランドさんのファンではなかったのか。ではなぜ私は敵視されているのか。

 もはや私には何も分からなかった。


 そうして迎えた約束の時間。

 休憩に入った瞬間、運用から抜け出してエレベーターホールへ向かう。


 指定されたカフェに着き、昨日と同様、彼女の後ろ姿を発見する。


「お、お待たせ元井川さん……」

「ええ、どうそ座って」


 注文を終えると、元井川さんはしばし沈黙。私は彼女の一言目を待つ。

 まずなぜ社外のカフェなのか。社内では憚られるような行動に出ようというのか。


「……昨日のは、何?」


 突然、元井川さんが口を開く。

 そんな第一声に、私は慌てて答えた。


「え、えっと、オーランドさんが元井川さんに会いたいって言ってたから……」

「なんで、私に何も言わず連れてきたの?」

「それは……元井川さんが喜ぶかなって」

「なんで?」


 質問に答えてもノータイムでさらなる追及が待っている。

 こんな怖いことがあるか。


 もはや隠しても意味ないと、私は素直に白状した。


「元井川さんが、その……オーランドさんに気があって、一緒に仕事している私が鬱陶しいのかと。だからオーランドさんと会わせれば、少しは敵意を緩めてくれるかなって思って……」

「…………」


 元井川さんは沈黙。

 メガネの奥の大きな瞳がじっと、見定めるように私を見つめる。


 そうしてひとつため息をつき、口を開いた。


「……余計なお節介ね。私が三田さんを特別意識しているわけがないでしょう」

「え、そうなの……?」

「そうよ。あんなミスが多くて、ユーザーを煽るような見出しばかり考える人。アルバイトとはいえ、遊び半分でやっているのが見え見えなのよ」


 実に校閲社員らしい見解である。

 元井川さんは最後に一言残し、去ろうとする。


「とにかく、今後あんな不意打ちみたいなことはしないで。それでは……」


 ただひとつ、気になる点があった。


「オーランドさんがアルバイトって、なんで知ってるの?」


 ピタッと、元井川さんの動きが止まる。


 オーランドさんは金髪で恰好はいかにも学生っぽい雰囲気ではあるが、ITベンチャーにはそんな容姿の社員はざらにいる。

 ポケニューの内部事情を知らなければ、オーランドさんが学生バイトだと普通は思わないはずだ。


「……それは、ほら。あの人の噂はイヤでも耳に入ってくるから……」


 急に歯切れが悪くなった元井川さん。

 先ほどまであんなにハキハキ話していたのに。


「でも最初に会ったとき、トイレで私に怒ったでしょ。オーランドさんを下の名前で呼んだ時。私の存在を認めないって」

「それは……感情が高ぶったから……」

「なんで高ぶったの?」

「あ、あなたが『信長の同級生事件』みたいなくだらないミスをしたからっ、その時からずっとムカついていたのよ。三田さんは関係ないわ」

「…………」


 怪しい。玉木さんをして主張に一分の隙もないと言わしめた元井川さんの発言から、明らかに整合性が失われている。絶対に何か裏がある。

 私は休む間も与えず追及していく。


「ウソだよ。元井川さん、本当はオーランドさんのファンなんでしょ?」

「ファンって、そんなわけないでしょ。あの人はアイドルでも何でもないじゃない」

「でも前にオーランドさんと中村さんと飲みに行った時、本人が言ってたよ。ファンみたいな存在がいるって」

「……それは知らないけど、とにかく私はそんなのじゃないから。もう行きますね」

「待って、絶対におかしい。さっきから主張が全然元井川さんらしくないよ。あの皮肉屋の天邪鬼な玉木さんですら『有能』って言っていたのに……」


 私はこれでもかと追い詰めていく。

 すると次の瞬間、彼女から思いもよらぬ発言が飛び出した。


「玉木氏と中村氏の名前まで出すなしッ!」

「ッ!?」


 何かしらのスイッチが入ったらしい。

 元井川さんはその発言の後、はっと我に返った。


「……氏?」

「いや……今のは何でも……」

「玉木さんと中村さんが、なんで……?」


 その時、私の頭に浮かんだのは、先日のオーランドさんとの会話。

 結婚発表した声優をめぐる、女性向けアニメの話題だ。


『戦プ歌』のファンが憤慨した理由。キャラクターの相関図。ヒロインの立場。


 私の思考が、ひとつの可能性に行き着いた。


「元井川さんって、もしかして……」

「な、なに……?」

「ポケニュー編集部の『箱推し』?」

「…………」


 押し黙った。かと思いきや徐々にその目は鋭く、憎しみの色を帯びていく。まるで漫画のように、ギリッと歯さえ鳴らしている。


 そして元井川さんが放ったのは、魂の叫び。


「あなたさえいなければ……ポケニューは楽園だったんだ……っ!」


 私さえいなければ、ポケニューは楽園だったらしいです。

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