第17話 謎めく校閲・元井川さん

「うわー見てくださいよ蒼ちゃん先輩、この記事」

「え? あぁ……こうなっちゃうんですね……」


 迎えた夜番勤務。

 隣の席のオーランドさんが見せてきた記事に、私は苦笑する。


 いまだくすぶり続けている声優同士の結婚の話題。

 その2人が共演し、馴れ初めと噂されているアニメ『戦国プリンス歌劇団』のCDやグッズが、フリマサイトにて大量に転売されている、という内容の記事だ。


「こうやって当事者以外にも影響が及んでいくんですね」

「ホントに大変な商売っすねぇ、声優さんとかアイドルさんって」


 これくらいの会話なら問題ないだろう。

 と、考えながらオーランドさんとやり取りをするのにも慣れてきた。いつまで私は元井川さんの影に怯えなければならないのか。


 そもそも、多少仲良く会話していたとしても、元井川さん本人に見られなければ問題ないのではないか。

 オーランドさんは誰とでも距離を縮めて話すのだから、私だけ特別には見えないだろう。そう考えると、少しは心が軽くなった。


「少し気になったんですけど、アニメのファンの方々……『箱推し』でしたっけ? その人たちはなんで怒ってるんですか? 声優さんのファンが怒るのはともかくとして……」

「この『戦プ歌』ってアニメの主要キャラは、高本さんを含めた男性が多数で、女性は雛田さんが演じたヒロインただ1人なんですよ。つまり初期設定の時点で、ギリギリのバランスなわけです。そこでヒロインの声優と男性キャラの声優が結婚すれば、一気に世界観が崩壊しちゃうじゃないですか」

「でも、アニメのキャラと現実の声優は別じゃないですか」

「そう割り切れる人もいるでしょうけど、実際問題キビシーっすよ。この2人のキャラが会話してるシーンを見たら、イヤでも意識しちゃうじゃないすか」

「そっか、確かに……」

「まぁだからって、過激な行動に出るのは良くないっすけどね。中にはグッズを捨てる動画を投稿する人もいるみたいっすけど、そこまでするともうアニメに悪いイメージついちゃいますよね」


 ファンのネガティブな行動がそのままアイドルや声優のパブリックイメージへと繋がりかねない。

 ファンのあり方というものも、近年議論になりやすいテーマである。


「蒼ちゃん先輩はどうなんすか? アイドルとか」

「最近のアイドルはけっこう知っている方ですけど、ファンっていうほどじゃないですね。昔は女性シンガーソングライターのファンでしたけど」

「いやそうじゃなくて、アイドルになりたいとは思わなかったんですか?」

「ヘっ?」


 質問のベクトルが斜め上すぎて、ついオーランドさんを二度見してしまった。

 なんて不可思議な思考回路をお持ちなのだろう。今の話の流れでなぜそんな質問にいたるのか。


「思うわけないじゃないですか……」

「でも蒼ちゃん先輩の容姿って、なんかギリギリ手が届きそうな雰囲気じゃないですか。アイドルとかにちょうど良いと思うんすよ、僕」

「……褒めてないですよね、それ」

「いやいやめっちゃ褒めてるっしょ。僕だったら蒼ちゃん先輩のファンになっちゃうな〜」

「何をおかしなことを……ん?」


 与太話をしていた最中、ふと、背後から視線を感じた。


「…………」

「ぎゃあっ!」


 振り向くとそこには、元井川さん。

 冷ややかな、とても冷ややかな目で私を見下ろしている。心臓がバクンッとワンバウンドするほどの衝撃が走った。


「な、な、なんで……」

「……あちらの会議室で面談があったので。たまたま通りかかっただけです」

「そ、そう……」

「それでは、失礼しました」


 元井川さんは律儀に頭を下げ、去っていく。

 まっすぐに伸びる背中を見つめながら、私は必死に呼吸を整えていた。


 今の話、聞かれただろうか。

 けして本気にはしていないが、オーランドさんが私を褒めたことに変わりはない。

 元井川さんの目には、耳には、どう捉えられたのか。


「知り合いっすか?」


 当のオーランドさんが無邪気に聞いてきた。


「えっと、同期の人です。この前の研修で一緒になって……」

「へー、けっこう美人さんですねぇ。背筋がピンとしててカッコいいなぁ」

「はは……今度本人に言っておきますね」


 人の気も知らないで、このチャラチャラ男は。


「どこの部署の人なんすか? 見覚えがあるような、ないような……」

「えっと、それは……あ、すみません校閲からチャットが……」


 ディスプレイにポンッとポップアップが表示される。

 クリックするとそこには……。


「ひぇっ」

「え、どうしたんすか? またヤバいミスすか?」

「い、いえ……気にしないでください」


 元井川。

 差出人の欄にはそう書いてあった。

 つい数分前、いかがわしい場面を見せてしまった彼女からのメッセージ。恐る恐る開いてみる。


『見出し:山越徹が議員のロジハラ問題に苦言 問題点:山越徹さんは政治評論家でありタレントではないので、敬称をお願いします』


 つい安堵のため息が漏れる。

 中身はごく普通の指摘メッセージであった。


 私は指摘点を修正したのち、返信を送る。

 本来はここで校閲とのやり取りは終了する。

 が、なぜか元井川さんからもう一通、メッセージが届いた。


『余談ですが、私も信長さんのファンになってみたいものですね』

「…………」


 怖い。すごく怖い文章が届いた。


 やはり聞かれていた。

 そしてやはり、怒りを買ってしまった。

 もはや信長の同級生でもない、私は信長そのものになってしまった。


 次に目が合った時、殴りかかられるのではないだろうか、私。


「あっ、僕にも校閲から指摘きましたわー。ひぇー、相変わらず元井川さんはキビシーなぁ」

「え?」


『見出し:浮間礼央が共演した田島の態度に激怒 問題点:浮間礼央はあくまで冗談半分で、怒ったフリをしているようです。なのでこの見出しはタイトル詐欺と取られる可能性があるため、修正お願いします』


 元井川さんによる理路整然とした主張が、オーランドさんに送られていた。

 そういえば、と私は違和感を覚える。


「……校閲の元井川さんって、オーランドさんにもけっこう厳しいですよね?」

「そうっすよー。僕に対してが一番厳しいんじゃないすかー?」


 そこへ、会議から玉木さんと中村さんが戻ってくる。

 中村さんはその流れで会話に入る。


「そんなことはないだろー。元井川さんって僕にだってけっこうキツめの注意を飛ばしてくるし」

「えぇっ、元フーリガンの人にそんなマネしたら、元井川さんが大変な目に……」

「そうそう、昔の僕ならただじゃおかない……ってやかましいわ」


 オーランドさんによる執拗な元フーリガンいじりを、ノリツッコミに昇華するようになった中村さん。たくましい人である。


「玉木さんに対してもけっこう強めに来ますよね、元井川さんって」


 呼びかけられると玉木さんは「あー……」と逡巡したのち、答える。


「まぁ、元井川ってヤツが一番厳しい印象はあるな。ただそいつの主張には一分の隙もないから、有能なんだろうとは思う。ていうかオーランドはリタイトルがきわど過ぎるんだよ」

「でも玉木さん的にはそんな僕が好きなんすよね?」

「ああ、おまえはそれで良いよ」

「いえーっ! ほら玉木さんっ、いえーっ!」

「うるせえ、しねえしねえハイタッチなんて。とっとと仕事しろ」


 玉木さんとオーランドさんが謎の信頼関係を見せつける中、私の頭にはひとつの疑問が渦巻いていた。


 なぜ元井川さんは、オーランドさんに嫌われるような指摘を送っているのか。


 仕事は仕事として割り切っているのか。

 でもそんな器用な人が、私にあんなストレートな敵意を向けるだろうか。


 もしくはネガティブな感情でも良いから、自分に意識を向けさせたいとか。

 もしそうなら、うまくいっていると言える。


「なんにせよ、一度でいいから会ってみたいっすねー、元井川さん」


 現にオーランドさんは、ここまで言っているのだから。


「……あ、そうだ」

「え、どうしたんすか蒼ちゃん先輩?」


 灯台下暗し、とはこのことだ。

 なぜ初めからこうしなかったのか。


 私は私の平穏を守るため、オーランドさんに魔法の一言を口にした。


「オーランドさん、実はさっきの人が、元井川さんなんですよ」


 驚きのあまり、あの饒舌なオーランドさんが数秒ほど、言葉を失っていた。

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