第16話 ファンの暴走は怖いのです

「蒼ちゃんセンパーイっ、金曜の夜空いてますー?」

「……っ」


 オーランドさんは出勤してすぐ、私の元へ駆け寄ってくる。

 その声を聞いた直後、ブルっと身体に悪寒が走った。


「知り合いが読書カフェなるものをオープンしたらしくて、割引券もらったんすよ。なんで一緒に行きましょ蒼ちゃん先輩。たしか読書が趣味って言ってましたよね?」

「……私は」

「え、なんすか?」

「私は、読書が趣味ではないです」


 予想外の答えだったらしく、オーランドさんは首を傾げる。


「え? でもこの前、飲みに行った時に言ってませんでした?」

「私は飲みに行った時、読書が趣味とは言っていないです」

「なんか英語の教科書みたいな日本語になってますよー、どうしたんすかー?」


 怪訝な顔をするオーランドさんを尻目に、私は周囲を見渡します。

 ひとまず元井川さんらしき人物の姿、視線は確認できずひと安心。うまく断ったとはいえ、こんな場面を彼女に見られていたらどうなっていたか。

 あるいは誘いに乗って2人で読書カフェなど行こうものなら……想像しただけで怖気立つ。


『私は……あなたの存在を認めない』


 先日の元井川さんとのトイレでの会話は、くっきりと脳に刻まれている。


 私がオーランドさんの名前を出した途端、彼女は明らかに不愉快そうな態度をとった。そしてついには私という存在そのものを否定する発言まで飛び出した。


 ここまでヒントを与えられれば、イヤでも理解できる。

 元井川さんは、オーランドさんのファンなのだ。


 オーランドさんのキラキラしたオーラや全方位型コミュ力をもってすれば、遥か遠く校閲部署の女性を虜にすることなど容易いだろう。

 そんな彼女の王子様がぽっと出の新卒と仲良くしていれば、面白くないのは当然だ。つまり、ぽっと出の私は速やかに王子様から距離を取るべきなのだ。


 オーランドさんは良い人であり、ポケニュー部署の中では一番年が近いため会話も楽しかった。だが、いたしかたない。

 理由は、言わずもがな。


「蒼井さん、芸能カテの1枠、トップページに掲載するね」

「あ、はい。了解です」


 私と中村さんの会話に、オーランドさんも反応する。


「あ、あの声優同士の結婚、ついにここまできたんすねー」


 雛田のSNSでファン同士が場外乱闘


 私が掲載したこの見出しの記事は、トップページでもぐんぐんPV数を伸ばしていく。先日結婚した声優・雛田里香のSNS、そのコメント欄でファン同士が激しく言い争っている、という内容。


 結婚発表した当初は朗らかなニュースも多かったが、1週間ほど経った今では一部のファンらに関するネガティブな内容の記事が多く見られている。


 そんな現状に、オーランドさんが一言。


「いやぁ古今東西、ファンの暴走ってのは怖いっすねぇ」

「…………」


 そう、ファンの暴走は怖いのだ。


 ****


 それからも私は、極力オーランドさんと親しくなりすぎないように心がけた。


 そもそもオーランドさんは仕事中も食事中も、基本的に誰かと会話をしていたいタイプなので、相当に苦労した。

 食事の誘いを断るのも、会話を適当に聞き流すのも、オーランドさん相手では簡単でないのだ。


「えーなんでですかーーっ! 行きましょーよ一緒にーっ!」

「なんかノリ悪くないすかー? 僕の話つまんないすかー?」

「蒼ちゃん先輩、最近僕のこと避けてないすかーーっ? なんでなんでなんでーーーっ?」


 気づいたのだが、この人はコミュ強というより、ただ異常なまでに無邪気なだけではないだろうか。


 ひとつ幸いしたのは、私のシフトが朝番でほぼ固定されていた点だ。

 大学生のオーランドさんは夜番のみであるため、一緒にいるのは2〜3時間ほど。それだけ接触する時間を短く抑えているため、何とかかわせているのだ。


 が、そんな平穏は突如として崩壊する。


「蒼井、おまえ来週は夜番な」

「ひぇ……」

「ひぇ、って……そんな声が出るほどか?」


 やってきた週1の面談。

 玉木さんと中村さんは私の反応に目を丸くした。


「大丈夫、蒼井さん? 何か問題があるの?」

「い、いえ大丈夫、です……いやもしかしたら大丈夫じゃない……いえやっぱり大丈夫です」

「葛藤が口から溢れ出てるじゃねえか。どうした。オーランドにフラれたのか?」

「…………」

「玉木さん、POWどころじゃないですよ、それ。ハラスメントの数え役満ですよ」


 この編集長は一体どんな脳みそをしているのか。どんな思考回路をもってすれば、そんな予想に行き着くのか。


「あれ、蒼井とオーランドって付き合ってたんじゃなかったっけ?」

「いや、それは僕の勘違いだったって言ったじゃないですか」

「ああ、そうだっけ。すまんすまん」

「どれだけ私たちに興味がないんですか……。ていうか仮に付き合っていたとしても、さっきの発言は十分にハラスメント案件ですよ」


 そういえば数週間前、私とオーランドさんが付き合っている、なんてデマが流れていたこともあったな。主に中村さんのせいで。

 いま考えればなんて恐ろしい噂話だろう。


 閑話休題。

 来週からの夜番勤務は、了承する他なかった。


 ファンの反感を買わないオーランドさんとの接し方を考えなければ。なんで私がこんなアイドルのマネージャーみたいなことを考えないといけないのか。


「それと、この前の会議で話した上からのお達し、覚えてるか? 好感度アップ大作戦(笑)」

「ポケニュー編集部の仕事の様子をSNSに投稿する件ですね」


 (笑)って。この人めちゃくちゃバカにしてますよー、上の人ー。


「その業務、ひとまず蒼井に担当してほしい」

「えっ、そうですか、私ですか」

「イヤそうだな。まぁ気持ちは分かる。クソ面倒くさいよな」

「いや写真を撮ること自体は良いんですけど……それ投稿すると、絶対に『おかしな』リプがつくじゃないですか。いちいちそれを確認するのが、辛いなぁと……」


 玉木さんも中村さんも「あぁ……」と妙に納得する。

 ポケニューのSNS運用は現在、基本的にはニュース記事の投稿のみだ。

 批判性のある記事の投稿ならともかく、動物などの何でもない癒し系投稿にさえ『おかしな』返信が飛んでくることが多々ある。SNSとは、魔境なのである。


「確かに、まだあの雰囲気に慣れていない人にはキツいですよ、玉木さん」


 同情する中村さん。珍しく玉木さんも同意見のようだ。


「まぁ一理あるな。分かった、ひとまず保留にしよう。もともと他のヤツにも聞いてみる予定だったしな」


 私のせいではあるが、なんだか微妙な空気のまま面談は終了した。

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