第35話 ピーニャンを知っているか

 ピーニャンとは東南アジアの国に伝わる神話の女神の名前だった。

 誰もが羨む美貌を持ちながらも気性が荒くわがまま。夫の浮気に激怒し人間を1日1000人殺したと言われている。


「ピーニャンめちゃくちゃ怖いじゃないすか」

「でも、キャラは立ってますよね」


 私たちはそこに目をつけた。

 ピーニャンを強調して記事へ誘導し、台風の最新情報や対策を記載することで対10号への意識を高める。筋書きは決まった。


 残業警察に摘発され、中村さんはここで退場。オーランドさんもトップページの運用に集中しろとの強烈な視線を受け、記事制作の中心から離脱していった。


 私は当初担当だったオーランドさんのサポートから外れ、比較的ローカロリーな国内と芸能のページを更新しながら、ひとり企画を進めていく。


 台風10号に関する基本的な情報、ピーニャンの語源である女神の概要をまとめ、記事内で使用する箇所を絞る。

 更に窓や塀などの補強方法や備えておくべき防犯グッズを紹介。一般家庭でもできる台風対策の数々を、図解で示したイラストも作成していく。


 制作過程を覗き見たオーランドさんは、「えっ」と声を上げる。


「めっちゃうまいっすね。蒼ちゃん先輩、デザインソフト使えたんですね」

「大学時代、学校のパソコンで使い放題だったので、ヒマな時に遊んでたんですよ」

「この説明キャラも可愛いし、食いつくんじゃないですか?」


 その後も、運用をしながら記事制作に没頭していった。




「うーん……」


 退社し、帰宅してからも私は、作業の手を止められないでいた。

 記述における表現やイラストの細部が気になり、気づけば2、3時間ブラッシュアップを重ねていた。


 正直、記事を制作している間は、仕事中だということを忘れていた。

 デザインソフトなんて大げさなツールを使い、仰々しく執筆してはいるが、感覚は小学生の時の自由研究に近い。

 悪く言えば学生気分だが、私の中の最も純粋で美しい価値観が蘇っているようで、非常に心地が良かった。


 一社会人として、人の為、社会の為、という大義名分は忘れていない。

 しかし一方でそれは、私を貫き通す、という呆れるほど自分本位な活動でもあった。


 ****


 株式会社FLOWなどを有している30階建てのオフィスビルは、9時や10時前になると途端にエレベーターを利用する人々の長い行列ができる。

 その最後尾に並びかけた時、気づいてしまった。

 目の前に立つその背中には、見覚えがある。とっさに逃げようと試みるも、運悪く相手の腰に私のカバンがぶつかり、見つかってしまう。


「おはようございますぅ、玉木さん……」

「……蒼井、おまえ遅番だろ。なんでいるんだ」

「あ、あれそうでしたっけ。てっきり早番かと……」

「早番だとしたらめちゃくちゃ遅刻じゃねえか」


 怪訝な表情の玉木さん。

 深くなっていく眉間のシワを見るに、真実に気づいてしまったらしい。

 

「おまえさては、昨日の企画を詰める為にカフェテリアかどこかで仕事するつもりだったな?」


 無言は肯定とみなされ、ひどく鋭利な目を向けられる。更にあろうことか顔の距離をぐっと縮められ、心臓が止まりそうになった。


「……しかもおまえ、家でもやってたな」


 すべてお見通しだと悟った時、去来したのはとてつもない恥ずかしさだった。入念にメイクをして、目の下のクマを消してきたはずのに、なんて観察眼なのだろう。 

 玉木さんはそれはそれは大きくて長い溜息をついた。


「……フロアに着いたらちゃんと打刻して、自分のデスクでやれ」

「え、いやでもこれは私が勝手に……」

「口答えするなクソガキ」

「ぱ、ぱ、ぱう……」

「それから今月はもう、1日につき10分以上残業したら殺すぞ」


 本当に今ここで圧殺しかねない眼光を前に、私は震えながら頷くしかなかった。




 「うん、いいよこれ。面白いと思う」


 完成した台風10号対策記事、その名も『ピーニャンを知っているか』。

 その内容を見て、中村さんは晴れやかに言う。


「ピーニャンのキャラを存分に活かしてるし、この図解もわかりやすい。よく見たら細部まで作り込まれてるし。早速今日の昼ピークで使ってみよう。SNSでも同時に投稿して」

「はい、よろしくお願いします」


 こうして記事がポケニューにて発信される手はずは整った。


 つい昨日の夕方、突発的に始まったこの企画。

 初めは困惑していたが、中村さんやオーランドさんの助けもあり、なんとか納得できるものになった。


 結果に結びつくかどうかはユーザーの反応次第。もしかしたら「不謹慎だ」とまた非難が飛んでくるかもしれない。嫌でも呼び起こされるのは、信長の同級生事件と金森フェイクニュース事件。

 ここで更なる炎上を起こせば、私は立ち直れないのではないだろうか。


 ピークタイムが近づくごとに、身体がこわばっていく。


「炎上姫がまた、ポケニューを焼け野原にするのかな」


 顔に緊張が表れていたようで、玉木さんは現状最も言われたくないことをヘラヘラしながら言い放つ。今回は玉木さんによって唐突に押し付けられた企画だ。もし炎上したら、全面的に玉木さんのせいにしようと思う。


「燃え尽きる時は一緒ですよ、玉木さん。焼け野原には誰も残りません」

「覚醒しやがったな、本物の炎上姫に」

「私に炎上できない記事はこの世にありませんよ」

「まあまあ調子いいよー、蒼井さんの記事」


 中村さんの報告に、「へぇ?」とマヌケな声が漏れてしまった。

 見れば時刻は12時3分過ぎ。気まぐれで玉木さんのバカ話に乗っていたら、自作記事が掲載された瞬間を見逃してしまった。何をしてるのか私は。


 現状PV数は他の記事よりも少し高め。これはSNSで同時に発信したことによる流入も影響しているだろう。投稿も順調に拡散しているようだ。


 SNSの反応を検索してみる。「ピーニャン可愛い」「ツンデレじゃん」「いやツンしかないだろ」「誰か擬人化してくれ」など、企画に乗ってくれている投稿も多く見られ、おおむね好評だと言えるだろう。


 ひとまず大スベりとはならず良かった。批判も今のところ、SNS上では見られない。最低限の結果を出すことには成功したようだ。


 しかし、それまでだとも言える。

 ピークタイムを終え、トップページでのPV数やSNSでの拡散の度合いは、そこそこ。失敗ではないが、大きな影響を与えたとはけして言えない結果となった。


「まあ、こんなもんですよね」


 私のこんな感想に、中村さんは眉をハの字にしつつ笑いかける。


「十分だよ。ヒット記事の部類に入るくらいのPV数を稼げたし。それだけ読んでくれたユーザーもいた。台風のことを意識させられたんじゃないかな」

「初めての企画にしては良い方だろ。取材費もかかっていないんだし、及第点だな。中村なんてポケニューに配属されてすぐの頃、企画を主導して大爆死したんだぞ」

「なんでそれ言うんですか玉木さん!」


 なんにせよ3人で始めた台風10号拡散企画は、まあまあの出来を残した。

 もちろん後悔などはない。達成感もある。やるだけのことをやった。


 ただ、これで台風接近に対する、人々の意識は変わってくれたのだろうか。


 安堵にも似た充足感と、ほんの少しの割り切れない感情を残して、企画は終了した。




 遅番の出勤時間まで、カフェテリアで休憩する。

 食事を終えると、体から力が抜けていく。


 テーブルに突っ伏すと、口から自然と本音が漏れた。


「……もうちょっと、反響あっても良かったのになぁ」

「今日の企画?」

「うぉうっ!?」


 独り言のはずが、レスポンスが飛んできた。

 見ればいつの間にか向かいの席には元井川さん。彼女はサンドイッチを食べながら、私を観察していたようだ。


「い、いたの……?」

「あの台風対策記事、そんなに反応良くなかったの?」


 私の質問は無視し、元井川さんは質問を投げかける。


「いや、PV数は悪くないよ。ただもっとバズってほしかったなぁって」

「信長の同級生くらい?」

「あー、あれくらい拡散されていれば、いろんな人に届いただろうなぁ」

「…………」


 私の返答に、元井川さんは「つまらない」といった表情を隠さない。私だっていつまでもトラウマを引きずっている訳ではないのだ。


「まぁ、そこそこのPV数でも十分に届いたんじゃない? ポケニューSNSのフォロワー数ってすごいじゃない」

「……そうだと良いなぁ」

「少なくとも私は、良いと思ったよ。ピーニャン記事」

「えっ、ほんと……」


 聞き返すよりも早く、元井川さんは「それじゃあね」と去っていく。

 素直じゃない校閲さんだ。


 私も休憩を終え、ポケニュー部署へ向かう。


「さあ、切り替えよう。遅番、遅番」


 ふと私は、ひとつ異変に気づいた。

 ポケニュー内が、何やらにわかにザワついている。


「あっ、蒼ちゃん先輩どこ行ってたんですか!」


 遅番として出勤してきたオーランドさんは私を確認すると、なぜかそう咎める。


「どこ行ってたって、休憩に……」

「ピーニャンめちゃくちゃ拡散されてますよ!」

「……え?」

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