第34話 終わりなき会議と、折れない思い

 中村さんの残業時間をいたずらに増やすわけにはいかない。私たち3人は空いている会議室に集まるとすぐに企画会議を始めた。


 中村さんとオーランドさんは手分けして、台風10号に対する人々の反応を各SNSや掲示板で調べ始める。

 私は気象庁のホームページなどで、台風10号の詳細な情報を収集する。


「SNSだと、気にしてる人ほぼいないなぁ。まだ発生したばかりとはいえ、本州に上陸する可能性もあるんだし、もうちょっと意識してくれてもいいよね」

「掲示板も同じっすね。人気の雑談板でも、スレッドどころか投稿のひとつもない状況っすよ。ちなみにポケニュー以外で掲載しているニュースサイトは、今のところないみたいっすね」


 気象庁のサイトを見ても、特筆するような新情報は得られない。風速や中心の気圧がわかったところで、どうにもならない。


「そもそも、企画ってどういうものを想定しているんすか?」

「ポケニューとしてたまにやるのは、オリジナル記事の作成だね。それをトップページに掲載したりSNSに投稿するんだ。前回は玉木さんの発案で、ネットで話題になった『犬みたいな鳴き声の猫』の取材記事を作って、けっこう反響あったよ。1年近く前かな」


 オーランドさんは「あーやってましたね、去年」と懐かしむ。ポケニューでも他社から配信された記事を使うばかりでなく、自社で制作できるとは知らなかった。

 しかし前回の企画は、なぜ1年近く前なのだろうか。


「企画はコスパが悪いからねぇ。取材費もかかる分、上の人たちがあまりいい顔しないんだ。それなら素直に他社の記事を掲載している方がマシだって。玉木さんの考える企画って、だいたい面白いから僕は好きなんだけどね」

「でもじゃあなんで玉木さん、今回はゴーサイン出したんですかね。しかも急に」

「今回のは取材費かからないからね。こうしてネットで調べてるだけだし」

「ああ、確かにそうですね」

「安楽椅子取材っすね」


 しかしだからと言ってのんべんだらりと考えてはいられない。

 台風が沖縄に上陸するのは2日後、進路によっては更にその2日後に本州にもやって来る。啓発記事を制作するのだとしたら、明日の昼ピークタイムにでもトップページに掲載したいところだ。


「あっ。この噂、使えそうじゃないすか?」


 オーランドさんが見せてきたのは、匿名掲示板のとあるスレッド。台風と地震には相関性があるとの説について議論していた。


「ええ……これはちょっと眉唾モノじゃないか?」

「でも地質学の専門家がこの説を唱え続けているみたいっすよ。海外の大学の研究チームも、ハリケーンが地震を誘発したと結論づけた論文を発表してます。大昔から言い伝えとしてある日本の港町もあるみたいですし、取り上げる分には悪くないんじゃないすか?」


 読み進めてみると、日本の大学教授や研究員の中にも、その説について前向きに意見している人が少なからずいるようだ。オカルト的な話だが、興味深いのは事実だ。


「でも、不安を余計に煽りそうな気も……」

「さっき玉木さんも言ってたじゃないですか。災害系は煽りすぎくらいの方がいいって」

「いや、それとこれとは……」


 突如、会議室の扉が開く。

 玉木さんが薄ら笑いを浮かべつつ、中村さんを見つめている。


「中村くーん、そろそろ帰ろうかー?」

「やばい、残業警察だ。うわ、もう1時間以上経ってたのか」

「おまえらもぼちぼち本業に戻れよー。ユーザーが増えてくる時間だろ」


 そう言いつつ玉木さんは、私たちが企画の為のメモを記したノートに目を向ける。一通り見ると、難しい表情を見せて嘆息する。


「良いアイディアは出なかったみたいだな。まあ、出ないものは仕方ない……」

「玉木さんっ、これなんかどうだって話していたところなんですよ!」


 オーランドさんは先ほどのスレッドを提示する。玉木さんは「ははっ」と乾いた笑いを起こしつつ、見解を述べる。


「ギリギリだけど、まあセーフだな。見出しにさえ気をつければ、ゴシップ記事のような感覚でユーザも読むだろうよ。無論批判も大いに飛んで来るだろうけど」


 編集長からのオーケーは出た。ネタとしての引きも申し分ない。

 オーランドさんは嬉しそうに小躍り、中村さんはわずかに抵抗感を残しつつも納得した様子。


 では蒼井は、とでも言いたげな顔で、玉木さんが目線を送ってくる。


「……何ですか?」

「おまえが発起人だろ。おまえが決めるんだよ」


 飛んできた責任重大なパス。

 なんて勝手な言い草だろう。まず私は企画を始めたいなどとは一言も言っていない。そもそも入社4ヶ月目の私に託すことか。もはやこれは新手のパウなのではないだろうか。


 ひとしきり心の中で愚痴を吐き出したところで、答える決心ができた。

 オーランドさんの提案に乗るかどうか、私の心では初めから決まっていたのだ。


「このネタは控えた方がいいと思います」


 玉木さんは見定めるような目で私を見る。中村さんは意外そうな表情だ。そしてオーランドさんはやはり、異議を唱えた。


「えーなんでですかー。絶対数字取れますよー」

「PV数が取れるかどうか以前に、根拠が薄いのは問題だと思います。オカルトだとこちらが割り切っても、記事を読んだ人は余計な不安を抱いてしまうかもしれない。それは、やっぱり私はイヤです」


 この心に決めた誓いはもう、何があっても破らない。


「私はいつでも、記事の向こう側にいるユーザーに寄り添いたいのです」


 あるいはそれは、玉木さんにあの夜、問われた質問の答えでもある。

 見れば玉木さんは、私の心をふわりと撫でるような、穏やかな笑みを浮かべていた。


「うん。僕も大事だと思う、そういう意識」

「……うむ。良い言葉っすね」


 中村さんはいつもの柔らかい笑顔で、オーランドさんはどこか悔しそうにしながらも、私の意見を聞き入れてくれた。


 私の願いは通った。しかしそれは、再びゼロベースに戻ったことを意味する。

 玉木さんは再びノートに目を通しながらも、私たちを諭す。


「とにかく、今日のところはもう締めろ。また明日にでも考えれば……え、今年もう9つも発生してるのか。あぁそりゃそうか、今回のが10号だもんな」

「確かにそこ驚きっすよね。ひとつも知らなかったっすわ」

「ええと、8号と9号は先週発生したみたいで……わっ」


 私の不自然な声に、皆そろって首を傾げる。


「いや、今年の台風の名前がズラッと書いてあるのに驚いて……そうですよね、台風ってすべてに名前をつけるんですよね」

「あー確かに、いつも変な名前ついてるイメージあるね。10号はなんて名前なの?」

「えっと……ピーニャンだそうです」

「えっ、なにそれ可愛い」

「すげー、めっちゃ変っすねー。ネット民とか食いつき、そう……」


 刹那、中村さんとオーランドさんと私は一斉に顔を見合わせた。

 言葉にせずとも、漂う空気感で把握できた。玉木さんさえ理解したようで「はっ」と短い笑い声を発する。


 その瞬間、私たちの考えが一致した。

 ピックアップすべきは、この「ピーニャン」だ。

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